届けたくて守りたくて ながれる涙はどれだけ美しいんだろう♪ 『心情呼吸』by 近藤晃央
というわけで、恋心を自覚したゆかなんが泣ける日はくるのでしょうか?
「隷属少女は断れない」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054890789292

 ラストスパートの前にこちらはいったん放置して、久々に読書メモいきます。


『世界をわからないものに育てること 文学・思想論集』加藤典洋(岩波書店)

 雑誌掲載や講演、寄稿文などを集めた論集。テーマ別で三章建てになってます。第一章は「災後と文学」。第二章は「文学の二〇世紀以後」としてソ連の小説家ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』の考察、またカズオ・イシグロ『わたしを離さないで』を同作の映画版を導入しながら紐解いています。

 同じく二章で取り上げられている、国語教育論上で興った「ナンデモアリ」な〈読み〉が量産された「八〇年代問題」を克服するべく現れた「〈第三項〉の理論」、ここから更に氏が展開する「可能空間」という考え方が興味深いです。
 つまり、読書行為において、ちょっとの「空所」は読者にそこに何があるかを考えさせるけど、謎だらけになると関心が途切れ読者は本を閉じる、という。作者が支配的過ぎても読者の自発的な反応を奪ってしまうし、読者の反応だけを見てしまうと「可能空間」は消えてしまう。……これはあれだな、テクストと読者が「相互主観的な」関係を持つには、読者にだって力が必要だよね、なんて思ってしまった私は作家ファーストと詰られても仕方ないのですけどね、ええ。

 第三章「時代の変わり目の指標」は文庫解説や書評を集めたものらしいですが……なんといっても加藤典洋氏ですから、最後は村上春樹の短編数作を取りあげてます。最近の若者像と恋愛観について触れてるところで、
「普通の世間のなかで考えられたふくらみのある「不安な決定」というより、先験的な理念に経験から離れて動かされた「貧しい正解」」(p260)
という文が出て来て、この「不安な決定」と「貧しい正解」の間でもみくちゃになってる、これが今の社会・世界情勢だよなあなんて感じてしまったのでした。

 ここからは第一章「災後と文学」についてもっとつっこんで行きます。お暇な方はお付き合いください。

 震災は文学に影響を与えるのかって問題に対して、
「このたびの震災をへて、人々は「感動」しやすくなった。その証拠に人をやや安易に感動させるタイプのベストセラー小説、そのテレビドラマ化、映画化作品の波状的なブーム現象が震災後の社会の特徴になった」
「人を感動させるために、「反戦小説」仕立てのほうが都合がよいとなったら、「イデオロギー」抜きで、というか(自分のものでない)「イデオロギー」までを(作品用に仮構して)読者を「感動させる」ための道具とする新しい種類の作家たちが現れてきているからです。」
「ですから、この「感動」させるためにどんなものも利用しようという「愚劣」というのが似つかわしい新小説家の作品に対しては、私たちが日常目にする、被災者のエピソードについ涙するばあいとは異種の新しい「審美的なリテラシー(読解能力)」をもたないと、もはや対処できない。」
「ここには、三・一一以後の、無意識に人々が「感動」を欲する「感動社会」化とも呼ぶべき新しい事態に対する私の危機感があります。」
と書かれてます。

 そしてこの「感動」の動きに抵抗する、また震災後の「新しい文学の動きをもっとも先鋭に代表している」作品として柴崎友香の『わたしがいなかった街で』が読み解かれていきます。『わたしがいなかった街で』の語りの構造を氏は「復元話体」と呼び論じています。

 私はこの「復元話体」が気になって、加藤氏の考察を読み進める前に『わたしがいなかった街で』を読んでみました。

『わたしがいなかった街で』柴崎友香(新潮社)

 ここから語りの構造についての解説みたいになるので、先入観なしに読みたいという方は引き返してくださいね。



 この小説は主人公砂羽(わたし)の一人称語りで物語が進みます。元夫の浮気が原因で離婚、引っ越してきたところから物語が始まる。砂羽(わたし)は戦争ドキュメンタリーを見るのが趣味で、その鑑賞シーンが作中で何度も登場します。このドキュメンタリーの内容について、わたしは詳細に語ります。わたしは消え、その画面の中に語り手が入り込んだかのように。ここでまず違和感を感じられます。
 やがて友人の中井との電話のやりとりの合間、「」付きの会話文の合間に、「中井は」という視点を中井に置いた三人称のようなくだりが差し挟まれます。

 これが加藤氏が言う「わたしが、他人の経験を他人からの見聞をもとに想起したうえでその他人を視点人物に場面を復元して語る」=復元話体です。

 最初にこの復元話体が登場する時点では、会話を挟んで再び「わたしは」という語りに戻るので、人称のブレとは感じないのです。
 復元話体の元となる「他人の経験」はしばらくは中井に固定され、中井との電話や直接会ってのやりとりの間に出現します。その中井の経験の中にふたりの共通の友人であるクズイの妹・夏が登場すると、復元話体は加藤氏いわくダイナミックに展開されるようになります。
 つまり、前置きなしに「夏は」で始まる三人称のような語りが登場するようになるんです。砂羽と夏は会ったことがないはずなのに。わたし(砂羽)が、夏が中井に話したことを中井から聞き、再現している「復元話体」ってことです。
 復元話体はこの場面までの間に段々とグレードを上げて示されるので、普通に読んでいても、ここも砂羽(わたし)の語りなのだなって受け止められます。この誘導の仕方がうまいなって思いました。

 でもそのうち、やっぱり違和感を感じるようになるんです。夏が中井に話したとは思えないような内容が出てくるのです。そこで加藤氏は、作品中では語られていない部分、読者には示されてはいないけれど、砂羽(わたし)と夏はどこかで会って直接話しているのではないのか、という過程を示唆しています。この語られない部分が、作中では一言も語られていない「震災」と重なるのではないのか、と。

 終盤には、砂羽(わたし)は登場せず、夏が四国を旅行する復元話体で物語が進み、夏がバスの窓から夕陽を見つめる美しいシーン、そこで「わたしは」というモノローグが差し込まれます。この「わたしは」誰なのか、批評家でさえ読み解けない人がいるようだけど、どう考えても砂羽なのですよ。砂羽(わたし)が夏の視点で語っているわけですから。
(ですから、この作品が『移人称小説の問題』で取り上げられるのは違うよなあ、と。『移人称小説の問題』はいずれじっくり取りあげます!)
 物語はこの夏の視点のまま、終わってしまいます。夏が砂羽(わたし)の代役のように大阪京橋の空襲跡地を訪れ、そこで出会った老女から戦争体験を聞いて終わります。わたし(砂羽)は登場しないまま、わたしがいない場所で。

 この作品の中で多くを語らない、読者の感動に訴えない姿勢は、第二章で紹介されてる「可能空間」にも当てはまると思いました。
 大多数には理解されないかもしれない、感動されないかもしれない。でも、すごい人からすごいって認められる。

 私は、すごい人からすごいって言ってもらいたいなー。それにはどれだけ書けばいいのだろう……。うん、そう。とにかく書かなきゃ、だね。

18件のコメント

  • 奈月さま

    やったー。お待ちしておりました。これ、「読書メモ⑭」のコメント欄でちらっと触れられていた本ですよね。

    震災後の安易な感動ものの大量生産は以前もお話ししましたよね。で。私、『わたしがいなかった街で』入手したのにまだ読んでない。ということで、いったん引き返して、読んでからまた来ます!

    第二章、第三章も面白そう。特に『わたしを離さないで』って、私はものすごい問題作だと思っていて、実は水面下でたくさんのクリエーターたち(小説に限らず)に大きな影響を与えてしまったと思っています。

    「可能空間」。私は謎だらけの本、好きですけど。私も、読者にも力は必要だとずっと思ってきましたけど、そうか、作家ファーストなのか。純粋に読者の立場からの見解だったとしても、そうなんですよね、たぶん。

  • Han Luさま

     お待たせしました~。やっとまとめることができました。

    『わたしがいなかった街で』の復元話体。これはまさに小清水くん!って私は思いました。読んでみて、みてー。

    『わたしを離さないで』私は読んでないのだけど。ハリウッド映画の位置付けとしては、人間でないものを主人公とした新しい流れの一角のようだね。
     人間でないものがその事実を知った時にはショックを受け反抗したりするのに『わたしを離さないで』ではそうじゃない。それは何故なのか。そう教育されてるから? 唯々諾々と運命を受け入れるように。だとしたら、ものすごく怖いことだなーと感じました。読んでないのだけどー。

     ところでこれ、カズオ・イシグロは核戦争後の世界を舞台に書こうとしたそうだね。うまくいかずに、クローン羊のドリーが誕生したことをきっかけに核兵器ではなく遺伝子操作が発達した世界を舞台にした、と。
     そのことを踏まえて、加藤氏はこれを日本的な原爆文学の系譜に入れたいようでした。ヘールシャムとヒロシマの響きが似てるって。
     だとして、唯一の被爆国でありながら核兵器禁止条約会議に出席できない日本(空席に置かれた「wish you were here」の折り鶴、切なかったー)も、米国の核の傘の下で抵抗もできずにいるわけで……すごい、色々深読みしちゃいました。読んでないくせにー。これぞテクストから大きく逸脱した「可能空間」だよね(爆)

     読書力があったほうがより深く楽しめる。読書力がない人は損してる、でいいんじゃないかな? でも「審美的なリテラシー(読解能力)」を持たない人が増えるのは社会的危機にも繋がり得るだろうから、教育現場では頑張ってるってことかな。

  • 奈月さま

    『わたしがいなかった街で』読みました。まずは、この素晴らしい小説に出会わせてもらったことに感謝です。ありがとうございました。奈月さん、やっぱ小説っていいです。今さら何言ってんだって話ですけど。私、久しぶりに小説を読んだ気がしました。最近カクヨムばっか読んでて。でもちゃんと小説読まなきゃだめだって思いました。

    それで、「復元話体」についてです。「わたしが、他人の経験を他人からの見聞をもとに想起したうえでその他人を視点人物に場面を復元して語る」=復元話体ということですね。了解です(ちなみに、『世界をわからないものに育てること 文学・思想論集』はまだ読んでません)。

    で、中井とのやりとりの部分は人称のブレは感じませんよね。中井と直接会っているから、中井から話を聞いているって、読み手は想像できる。でも、夏の視点による三人称が始まると、んん? となっちゃいます。中井という仲介者は途中からいなくなっちゃうし、夏自身にしか分からない出来事が詳細に語られる。夏と砂羽は会ったことがないのに。これってたぶん、この先、砂羽と夏が会って、直接夏から話を聞くのかな、と思いながら読んでいたのですけど、なんと、そんな場面は出てこず、しかもこの小説話自体が夏視点パートで終わっちゃう。

    でも、です。私はこれ、別におかしいとは思いませんでした。たぶんこの先(この小説の現時点である2010年以降)、いつかどこかで砂羽と夏は会うんだろーなーと思ったから。そのための伏線はたくさん張られていますし、二人が会ってもぜんぜんおかしくはないって思わせてます。

    例えば具体的に言うと、「死んでしまってもう会えない人と、生きているけどずーっと会ってない人との違いってなんだろう」っていう場面がありますよね(すみません、いちいち引用はせず記憶ベースで書きます)。で、その違いって「生きている人は、いつか会える可能性があることだ」みたいなことをわたし(砂羽)は思います。だから、夏と砂羽も(どちらかが生きている限り)会えるんですよね。

    あと、有子のお父さんが、言いますよね。引越しをする有子の荷物をもらい受けにいったときに。「誰かの話を聞こうとは思わないのか」って。これまで砂羽は、自分が感じたことや考えたことを誰かに聞いてほしい、でも誰に話したらいいのか分からないってずっと思ってましたけど、そうじゃなくてっていう場面。ちょっと逸れますけど、このお父さん、いいですよね。こういうこと言ってくれる人、貴重です。――ええと、だから、砂羽はいつか夏の話を、特にあのバスの中から見た美しい場面を、聞くことになると思うのです。

    つまり、
    >そこで加藤氏は、作品中では語られていない部分、読者には示されてはいないけれど、砂羽(わたし)と夏はどこかで会って直接話しているのではないのか、という過程を示唆しています。
    ということですね。私もまったく同じ読み方をしました。

    さて。ではこの先、砂羽はいつどこで夏に会って話を聞くのでしょう。重要なのは小説の今が2010年、そして小説は2010年の夏で終わっているということです。あと半年後に東日本大震災が起こるタイミングはどう考えても意図的で、普通に読んでいれば、どうしてもそれを意識しないわけにはいかない――と私は思うのですけど、どうなのでしょう。

    >この語られない部分が、作中では一言も語られていない「震災」と重なるのではないのか、と。

    すでに震災から八年がたち、これからどんどんと人々からその記憶は薄れていきます。例えば10年後、20年後にこの小説を読んだ人がそこまで思い至るのかというとちょっと疑問ではありますけれど、それはまた別の論点ですね。

    私は、後半部分を読みながら、どこかに夏や砂羽や中井が、半年後に東北に行くことをほのめかす記述が出てくるのではないかと、半ば期待のような気持ちを持ちながら読んでいました。結果、そんな文章は一切出てはこないのですけど、そしてそんなあざといことはしなくて正解だと思うのですけど、やっぱり3.11を意識せざるを得ないです。ただ、砂羽と夏とが会うきっかけ(なのか理由なのか分かりませんけど)が「震災」なのかというと、さすがにそこまでは読み取れないです。

    ただ、こういう文章がありましたよね。人間は次の戦争が起こるまでのことをいつも考えて生きている、みたいな。ここでは戦争と書かれていますけど、私にはまるで刻々とその時が近づいている半年後の出来事のことを指しているように感じました。

    あ。あと、夏がバスの窓から夕陽を見つめる美しいシーンの「わたしは」、これ、私は素直に夏のことだと思ってました。「復元話体」を念頭に置いたとしても、ここはちょっと無理がある気がしますけど。うーん、どうなのかなー。

    まだまだ語りたいことはあるのですけど、いったんこの辺で。あ、小清水くんはまさに「復元話体」ですね。小清水くんはどちらかというと、叙述トリック的な驚きよりも、誰かから聞いた話を再構築するという点が重要だと思っていて。それで、小清水くんでも実は第四話『猫を埋める』で同じようにほったらかしのままの「復元話体」になってます。これがずーっと気になっていて、最終話で第四話の登場人物(視点人物)山下直人くんを再登場させたりしています。私の「復元話体」にも元ネタがあるのですけど、それはまたいずれ。

    長くなってすみません! では~。

  • Han Lu先生の投稿直後で申し訳ないのですが。

    奈月沙耶先生。
    青い導火線のEpisode28 彼女の誤算(2)の以下の部分。直ってないというか、拗らせちゃってます。

    >いつかは放さなければなら【い】なことはわかっていた。

    初心忘れるべからず☆

    技術は、高校生当時のままではいけません★
    けれども、作品に対する気持ちとか、人様に見ていただく想いというのは、

    『訂正が効かない同人誌の原稿を見直』していた頃と同じでないといけないと思うのです。

    投稿前に確認して。
    投稿直後に、もう一度確認。

    これは、web投稿する総ての人が、最低限やるべき作業だと考えます。

    なにかと忙しいのかもしれませんが。

    奈月先生、どんまいだよっ♡

  •  そうなんだよね。こういう本物に触れてしまうと、本当に上手な作者さんのじゃなければヨムヨムが辛くなります。いや、それでいいのだよね。私「最後までヨム」がモットーだったけど、もうそんなことしてられないって思っちゃって。限りある時間で、なるべくいいものが読みたいもの。

    >いつかどこかで砂羽と夏は会うんだろーな

     そうそう、そうなの。そう思わせられる。
     自分のいなかった場所(過去)で生きて死んでいった人たちに思いを馳せるように、自分のいない場所(現在)で生きている夏がいて、その対比かなって。

    >「誰かの話を聞こうとは思わないのか」

     そう考えると、富士男さんのこの言葉って砂羽の背中を押してくれる重要な言葉なんですよね。先走って職を失っちゃったきらいはあるけど。

    >重要なのは小説の今が2010年、そして小説は2010年の夏で終わっているということです。

     そーなの! ほんと、ここでバッサリ切るのがすごいと思った。加藤氏の論中では「抜き取り」って論じられてます。すごい思い切った抜き取り。でも、だからすごい。凡庸な作者だったらあざとく書きすぎちゃうところだよ。復元話体にしても「以下は聞いた話である」みたいに伝聞ぽくしちゃうよな。凡庸な書き手なら。
     砂羽と夏が出会ったタイミングについては本の中で年表まで作って論じてたけど、私それは読み飛ばしちゃってよく覚えてない(こらー!) だって、年表細かすぎてー。評論家ってすごいね。その評論に耐えうる作品も。

    『わたしがいなかった街で』が震災文学として認識されたのは、斉藤環が論文で取り上げたことが大きいようなのね(加藤氏もこれを引用してます)。何より発表のタイミング。当時は誰もが震災を意識してただろうから。
     だから今後読む人たちがそう受け取るかは難しいところだけど、3.11の認識はなくても「次の戦争」や「次の災害」を示唆する〈災間文学〉としては十分に成り立つと思いたいところです。

     バスの夕日のシーン。私は、「わたし」=砂羽っていうのがこびりついてたから素直に砂羽のモノローグって思ったのだよね~。でも、それこそどっちでもいいのかも。砂羽と夏の間にシンパシーがあってこその復元話体だろうから。ただ、これを「移人称」って決めつけるのはまったく間違ってると思う。このことについてはまた後日ー。

     あとね、富士男さんの、お父さんは戦争の話をしなかった、自分も聞いたりしなかったってエピソードも大事だよなって。こういうふうに何も語らないまま亡くなっていく戦争体験者の人たちってものすごく多い。偏見を恐れて被爆者だって言えなかった人たちも。だから、最後に夏が見知らぬ老女の話を聞けたことはものすごく貴重なことなのだよなって。
     戦争もそうだし、災害も、もっと別のボランティアでもそうだけど。大衆は一時は心を動かされ募金なんかのアクションをしても、すぐにそのときの情動を忘れてしまう。継続して支援するってことが大切なのに。戦争が起こらないように考え続けるのが大事なのに。
     それには、薄っぺらな感動作品なんかじゃなく、こうやって深く考えさせられる作品がその都度生まれることが必要なんだって。そういう作家が必要なんだって。それが小説の力だって思いたいね。

     小清水くんの元ネタ、聞きたい聞きたいー。楽しみにしています。

  • ゆきちゃんさま

     マジか(/ω\) チェックありがとうございます。

  • 奈月さま

    この小説、とても大きなテーマを扱っているけどちっともドラマチックじゃないし、「多くを語らない、読者の感動に訴えない姿勢」で書かれているからガツン、とはこないんですけど、かなーり控えめに言っても「とんでもなくすごい作品」だと思います。今朝読み終わってからずーっと、じわじわときてます。こんな感覚久しぶりです。ほんと、本物に触れなきゃだめだわ。

    〈災間文学〉。なるほど。確かに、読者が直接的に3.11を想起しなくても、この小説にはそういう「次の戦争」、「次の災害」に目を向けさせる、それについて考えさせられる機能が備わっていますよね。

    驚くのは、この小説が発表されたのが2012年だということ。ということは恐らく震災後すぐに書き始めたということでしょう。まだ多くの創作者たちが、震災というものとどう向き合えばいいのか捉えあぐねている時だと思います。その時期に、ここまで抑制された、ある意味とてつもなく冷静なお話がよく書けたなと思います。3.11のことを匂わすワードを一切入れないのがすごいです。でも、確かにこれは震災文学ですよね。

    >富士男さんの、お父さんは戦争の話をしなかった、自分も聞いたりしなかったってエピソードも大事
    ですね。で、夏が最後に老女の話を聞けたのも、バスの隣の席のおばさんと言葉を交わせたのも、中井のおかげなんですよね。「知りたかったら、聞けばいいんだ」って。中井が果たす役割もそうですけど、クズイの帽子とか、この小説、ほんとによく練られていると思います。単に小説のアウトプット上での技巧的な意味ではなくて、作者の心の中ですごく練りこまれている、そんな感じがします。

    ところで、「知りたかったら、聞けばいいんだ」、私はこれ、すごく苦手です。でも、私の親の世代はそうではないと思うんです。知らない人に結構話しかける(もちろん性格はあるでしょうけど)。でも、年代が若くなればなるほど、そういう傾向ってなくなっていく気がします。若い人は、その場にいる他人じゃなくて、スマホを取り出して、つながっている人にまず聞くんじゃないかな。

    でも、そもそも「復元話体」の小説って、「わたし」が誰かの話を聞かなければ成立しない構造なんですよね。もちろんその相手はよく知っている人でもいいんでしょうし、そういうのもあるかもですけど、あまりイメージできません。「わたし」とその対象がいろんな意味で隔たっていればいるほど意味があると思うし。だから、小清水くんを書いていたときはいろいろと考えました。で、思いました。知らない誰かから、小説を書けるくらいのお話を聞くことってなんかすごそうだけど、そんなことぜんぜんあり得るよねって。

    幸いなことに、私は母方の祖母からは戦争中のこと、祖父と結婚するまでのこと、母が子供のころのことを、彼女の生前に聞くことができました。本当はこういうことを語り継いでいかないといけないのでしょうけど。

    私が「復元話体」の手法に初めて触れたのは佐藤正午さんっていう小説家の書かれた小説です。佐藤正午さんはいくつかの小説でこの手法を取り入れていますけど、一番代表的なのは『カップルズ』っていう短編集です。もし機会があれば。小清水くんの元ネタです。もちろん本家の切れ味は素晴らしいです。

    ところで、「移人称」って一般的な言葉なんですか? 私は初めて聞きました。

    『世界をわからないものに育てること 文学・思想論集』も読んでみます。

    ではでは~。

  • ただいま、アマゾンプライムにて、
    『世界をわからないものに育てること』と
    柴崎友香さんの(『ゆうかさん』と読んでいたけれど、『ともかさん』でしたか!)
    『わたしがいなかった街で』
    『その街の今は』
    『次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?』

    を注文して参りました。『世界をわからないものに育てること』は2000円以上もすること、及び、わたしが読んでも『ちんぷんかんぷん』になる気がすることから、どうしようか悩んだけれど、注文してしまった(後悔)。

    つい数日前、ブックオフで本を大漁に収穫したばかりなんですよ〜お!
    漁獲量は、今年一番(たぶん)。

    つんどく(積読+ツンツン読)の魔女と恐れられた私ですから、もう今年は本買わなくて良いくらい大豊作だったのに。

    大尊敬する奈月沙耶先生とHan Lu先生が絶賛及びこれから読むとおっしゃられてる作品を私がスルーできましょうか?いや、できない★

    そうとう背伸びした感あるけれど、お二方との『共通言語』が欲しかったのです。

    でも私って、全力で邪道な小説を書く偽物作家だからなあ。
    本物の小説を読むと、眩しさに充てられて書く意欲を喪失してしまいかねない。あるいは、単純に理解できないか。

    もう本は買わないぞ!近いうちにキンデル買って、電子書籍に移行する☆

    再び、あいまみえる日が来るかどうかはわかりませぬが、ご機嫌よう♡さようなら〜♪

  • 追伸
    ほとんど高知から出たことのない私ですが、1994年と1995年に神戸旅行に行きました。

    そう、阪神・淡路大震災の前と後です。
    もう記憶は朧げですが、震災の傷痕もなまなましく、あれは衝撃的だったなあ。

    これ程の震災は、私が生きてるうちに起こらないと思ったけれど……。

    高知は南海トラフ地震がくるとずっと言われてて、ひょっとしたら今日、くるかもしれない。

    『わたしがいなかった街で』は、登場人物が死んでしまうのですか?

    それで『復元話体』という手法を通して、亡くなられた方の視点が入るというか……あれ、違う?

    この本だけ、届くのが21日〜23日と遅いのです。他の本は19日に届く予定なのですが。

    細やかな震災体験だけ書くつもりが……★
    この辺で失礼致します☆
    良いお年を〜♪

  • Han Luさま

    >「知りたかったら、聞けばいいんだ」

     ほんとほんと。こういう重要ワードが埋もれるようにちらばってて、webで行間を開けてレイアウトで強調させるような読ませられ方に慣れてしまったら、こういうポイントを拾い上げられないと思うのね。どうなんだろ。webと紙の本、ラノベと文学じゃ違うって意見が多数だろうけど、そういうもんなの? それでいいの?って、そこに立ち戻っちゃうよ。

     中井とかクズイとか、世の中では「社会不適合者」っていうのかもだけど、砂羽の人と当たり障りなく付き合えないっていうのとはまた別のタイプで、アウトロー的というか。こういうヒトの考えや視点って大事だと思うのね。集団の中で流されちゃってることに気付かせられるっていうか。こういうヒトって社会に必要だと思うの。
     砂羽のコミュニケーションがうまくできない感じとか、描き方がうまいよね。多かれ少なかれ誰もが持ってる悩みだから、アイタタってならない人はいないと思う(笑)
     ボーダーの帽子の使い方上手かったね。この小説って、扱ってる題材がとにかくたくさんなのだけど、薄ーく長ーく繋がって登場するのだよね。冒頭から時折登場して、終盤一気に存在感を増す自販機とか。それが日常を描くってことなのだろうけど。日常だからこそ、多層的で奥行きが深い描き方ができるのか。

    >そもそも「復元話体」の小説って、「わたし」が誰かの話を聞かなければ成立しない構造
     ほんと、そうだね。小清水くんみたいに、人の聞き取りに優れたアンテナ感度の高いキャラクターや、中井みたいな接続してくれる存在って必要だろうけど。
     小説を書くのに、人の話を聞くって大事だと思う。私が書いてるネタの大半は見聞きしたことだもの。最近はとにかく気を付けて新聞読んだりニュース見たりしてるよー。アンテナは常に高く。インスピレーションはどこからくるか分からないもの。

     語り継ぐって大事だね。今はさ、まだ愚劣な小説家たちに対して「バカっ」って言える人がいるからいいけど、そういう人たちがいなくなったときが怖いなーって。

     私も、祖母から戦時中の話を聞いたことがあるのだけど、祖母はまだ小さかったみたいで。疎開先になるような田舎だったらしいのね。そこに来た看護婦のお姉さんに憧れた、とか、怪我して病院に来た兵隊のお兄さんとあちちだった、とか~。そんな微笑ましい話を聞いてしまって。いつの時代も女の子は女の子なんだな。そういうのが人間なんだよなみたいな。

    『カップルズ』読んでみます! ほんと、良作を読まなきゃです。っていうか、こうやって評論で見かけたものはちゃんと読まなきゃだめだよなーって。今までスルーだったから反省しきりだよ。文学って人間を描くものなんだよなって久々に思えました。いい読書体験ができて、こうやって感想を言い合えて(読書体験にはこれも重要!)私も大満足です。

    「移人称」
     そうそう。同一作品中での人称の切り替えについて、言及してる人はいないのかなってずっと探してて。佐々木敦『新しい小説のために』っていうそれはもう分厚い論文集でやっとそれっぽいのを見つけて。この本自体はとっつきにくくて、まだ全然読めてないけど。目次から流し読みした感じだと、人称の切り替えについて、既に2014年くらいに論争が起きてて、もうピークは過ぎてしまったらしいのだけどー。素人があーだこーだ考えることなんて、とっくに専門家が考えてくれてるのだよねえ。
     三人称+一人称で「四人称小説」だ、とか意味の分からん混乱を経て、「移人称」って造語で落ち着いたみたいです。「移人称」で検索すると、ネットでもいろんな人があーだこーだ言ってるのがたくさん出てきます。この問題については、みんなもやもやしてるんだなあ。
     私はとりあえず『新しい小説のために』からさかのぼって大元の論文も読んでみたいので、また時間がかかっちゃうけど、そのうちここでまとめようと思ってます。


    ゆきちゃんさま

     私もとっつきにくい専門書なんかはちんぷんかんぷんで、とてもここでは紹介できませんからー。ここで取り上げてるのは読みやすいと思います。大丈夫。

     本物に触れれば、それはそれでいっぱい創作意欲が湧きますよ! 高い方を見るって大事だなって私も再確認しました。当然、同じようにはできないから、自分の手の届く場所に目標設定しなおさなきゃならないのだけど(ダメじゃん) でも、目指すポーラスターがあるって大事だよね。

     神戸旅行、貴重な体験でしたね。
     今、3.11から振り返ってみても阪神・淡路大震災から影響されたものって多いのですよね。創作の世界でも、時間ループものやセカイ系、ラノベの勃興にも大きく影響したって見られてるようです。これについても詳しく知りたいって思ってるのだけど、読書が間に合わない。うう、時間が欲しいよー。

    『わたしがいなかった街で』ぜひ読んで確認してみてください。生半可に簡単な描き方じゃあないのですよ、これが~。

  • 奈月さま

    >webで行間を開けてレイアウトで強調させるような読ませられ方に慣れてしまったら

    私もそれは感じます。でもそれを証明するのは難しそう。ただ私、Webのあの「行間あけ」についてはかなりマズいんじゃないかと思ってます。すみません、また話が長くなりますけど、そもそもあれ、行間じゃないですよね。私の中での行間って、純粋に行と行との物理的な間隔のことか、「行間を読む」の行間のことか、どちらかです。もちろん通常の一行開け、時間の経過や場面転換とも違う。あれ、私にとっては「分断」です。あそこで、ほんの一瞬ですけど、私は思考が途切れちゃうんです。確かにスマホなんかの画面上では見やすいのかもしれませんけど、私はそれがたまにイラっとくることがあって。あまりいい加減なことは言いたくないですけど、ああいうこま切れの表現形態に慣れてしまうと、何かの力が確実に衰えていってしまう気がしてなりません。分かんないですけど。

    >それでいいの?

    よくないですよね。よくないと思います。Webであれ紙の本であれ、ラノベであれ文学であれ、お話であり、物語であり、小説であることは同じですもん。

    >扱ってる題材がとにかくたくさんなのだけど、薄ーく長ーく繋がって登場する

    まさに。冒頭の広島のおじいさんの話からしてそうですもんね。しかもちゃんとテーマに寄り添っているという。ほんとにいろんな大事なものがたくさんちりばめられてて、それがずーっとあるんですよね。読んでて、忘れたころにふと顔をのぞかせる。でも、考えてみたら、優れた小説や映画って、そんな感じなんですよね。最近はそんな感覚も忘れてしまっているなーと。ヤバいです。

    ちなみに、私の祖母は、戦争中はもう大人だったんですけど、戦争中のつらい話よりも、戦前、女学校の帰りに、ほんとはダメなんだけど、お友達とよく銀座の千疋屋に行った話とか(どうやらお嬢様だったようです)、その頃帝大生から恋文(!)をもらった話とかのほうが、すごく印象に残ってたりします。おんなじですよね、いつの時代も。

    あ。そうそう。『カップルズ』はまったく深いテーマは扱ってなくて、タイトルの通り恋愛ものですので、かるーい感じでどうぞ。私も人から勧められたりしたものってスルーしがちだったのですけど、不思議と奈月さんのは、あ、読みたいな、って思えるものが多いです。

    「移人称」、ちょっとググってみたらいっぱい出てきました。ううう。よく分かんない……。なんかでも、柴崎さん、別の小説でも人称でいろいろんな試みをされてるみたいですね。ほかのも読んでみたくなりました。

    ではでは~。

  • 「分断」
     すっごくよく分かる! 読むときにもノレてるときってあるじゃない? そこで場面転換でもないのに、空行が入ると変な場所で息継ぎさせられてる感じで気分が悪い。集中力途切れるよ。
     遠藤さんの『あなたに借りた鉛筆を、返せる時を待っています』を読んだとき、彼は他の作品では空行を入れてるけど、あのお話には入れないでくれて本当に良かったと思った。ああいう一息に読ませられる文章の中でレイアウトとしての空行なんて邪魔でしかない。そのことを証明した作品だったよ、あれ。
     私は常に空行にはイライラするよ。スマホでもなるべくスクロールしたくないから、もっとびっちり詰めてよって感じる。
     区切りのいいところで一塊っていうのなら大分慣れたけど、一文ごとに改行、改行とか、ほんとイラっとする。そういう「読みやすさ」と称して空行を入れまくってる作品て、内容も見た目と同じスッカスカだし、行を詰めたところで細切れの文章でしかないんだろうなーとは感じる。Han Luさんの言う読ませる「行間」なんて逆に存在しないのだろうな。
     今、オーバー30歳コンテストの参加作品読み漁ってるのだけど、空行入れてなくても読み専の人たちにたくさん読まれてる作品あったりするの。書き手はやたらと「読みやすさ」で空行を入れろ入れろっていうけど、結局は文章力の問題じゃって思う。で、前にもどっかで言ったけど、最初から空行ありきの書き方をしてたら本当の意味での「読ませる文章」は身に付かないと思う。

     銀座千疋屋とか帝大生から恋文とか、なんてじゅるりな逸話なの! ほんと戦時下だろうが非常事態だろうが、いつの時代も人の営みは変わらない。そういう人間らしさを根こそぎ奪う戦争はいけないことだって思います。

    「移人称」
     そうなの、いろんな人が自由にあーだこーだ言ってるからね。チョットヨクワカラナイ。なので、頑張ってちゃんと勉強してみようと思ってます。
     柴崎さんは「恐怖を感じるほどの異常な描写」みたいに言われてるのも見かけたよー。どんなやねん。芥川賞の『春の庭』も気になるけど、移人称小説にもあげられてる『寝ても覚めても』が人気みたいで気になる。恋愛ものらしいから、読めるか不安だけど。

  • ちょっと遅くなってしまいましたが本日、『隷属少女は断れない』全32話を一気読みして、レビューに追記&ひとこと紹介を変更しました。

    読み返してて、10話と14話で脱字と字余りと思われる箇所を見つけたので、そこのコメント欄に追記してます。
    (10話はコメントも追記してます)

    訂正したのを確認したら、そこの部分は削除します。

    公募ですか、頑張って下さい♪

    今日読み返してて改めて、私って奈月先生の影響を強く受けているなと感じました。『青い導火線』の方よりも、『隷属少女は断れない』の方がより強く影響を受けているみたいです。
    とはいっても、文章力その他様々な点で比較にならないのですけれど★

    非公開にされる作品ですか?そちらを先に読まないといけませんね♡

    なお、下記は10話に追記してたんですが、そこにあるのはふさわしくないかと思い、こちらに引っ越してきました。

    『ラブライブ!』&『ラブライブ!サンシャイン!!』のTVアニメシリーズ再放送が、10月5日(土)よりTOKYO MXで開始されるようなので、興味があれば、お子様とご一緒に、是非♪

    それでは、失礼致します。公募で受賞されることをお祈りしております☆ご機嫌よう♡

  • 更にパワーアップした紹介文をありがとうございます。よかったねー、ゆかなん。MVPは藤堂さん。鋭い。藤堂さんは裏ヒーローなので。春日井くんと表裏ね。ゆかなんを救うには春日井くんだけじゃね。

    脱字衍字報告ありがとうございます。修正しました。
    うう、読み返してもらえるだなんて。影響ですかΣ(゚Д゚) どんな形であれ私の小説が人の役に立つのなら嬉しいことです。たくさんの人に読まれることよりも、届く人にだけ届けばいいって思ってます。ありがとうございます。

    私はほら、執筆歴は長いから。ゆきちゃんさんはこれからです。

    「女は~」と「傷つきたくない~」はヒロインのタイプが真逆なのです。公募の結果が出れば再公開するのでー。無理しなくても大丈夫ですよ。

    『ラブライブ』はあのキラキラ感に目をやられそうになって視聴をやめたことがあるのですけど、興味が出たので頑張ってみます。

  • 『傷つきたくない私たちは』
    レビューまで書きました。コメント欄がひどいことに……(汗💧)

    『女はそれを我慢できない』の方では、コメントを短めにした方が良いのかなあ、とか思っているのですが。
    まあ、短めを意識しても、最終的には元に戻ってしまう気がするけれど★

    私はコメント書くときに、
    作者様のために4割
    後で読む読者様のために3割
    自分の宣伝用に3割
    の意識で書いています。
    『自分の宣伝用』について補足すると、
    『私のコメント見て気に入った人は、私のところにも遊びに来て〜』
    というのと同時に、
    『私のコメント見て、気に入らない、ウザいと思った人は、私のところに来ないで下さい』
    というのもあって、後者の方も大きいと。
    合わないのであれば、初めから来てもらわなくて結構ですよ、と★
    その方がお互いのためなのかなと思います。

    私の文章については、『癖がある』、『読み手を選ぶ』などと、お褒めの言葉を頂いております。
    『毒にも薬にもならない文章』なんて書きたくないじゃん!薬にならないんだったら、『じゃあ、猛毒でいいや』という考えなのです。

    話が逸れました。

    『女はそれを我慢できない』の方も、全部読んでレビューまで書きたいと思ってます。

    他に『頑張る女子主人公コンテスト』の参加作品もいっぱいフォローしてて、なるべくいっぱい読みたいんだけれど。
    私自身、このコンテストに参加してたところ、10月1日に間に合わないと思って撤退したところ、11月1日が〆切りだったというね……(→莫迦)

    このコンテストの元参加作品も11月1日までに仕上げたいと思ってて、カクカクとヨムヨムの両立は大変だな〜。

    すみません、長々と。
    コンテストの参加作品の吉報をお待ちしています。
    お邪魔しました☆

  • 楽しいレビューをありがとうございました。ツンデレ認定されたー。そうかなあ? ツンデレかなあ?

    コメントは、自由に書きたいことを書けばいいのだと思うよー。それが小説投稿サイトの良さだし、それが面倒な作者は書き込みできないようにしてるわけだから、何を発言するかは(規約に反しない範囲で)自由でしょう。

    「女は~」はいつでもいいですよー。忘れたころに再公開すると思うし。それより、読者選考のあるコンテストなら、そっちの作品を優先してあげた方がいいよ。

    『頑張る女子主人公コンテスト』けっこうヨムヨムしてるけど、オーバー30コンのときと違って、あんまり当たりなくってー(毒)
    やっぱり恋愛メインが多いからかな。きれいにまとまってるか、ぶっとんだ設定と始まりで最初は「お!」ってなっても、最後まとまりきれてなくて「なんじゃこれ」ってなったり。恋愛ものってほんと難しいと思うのよ。好みに左右されるからねー。
    今んとこ、すごく良かったのはリアルお仕事サクセスストーリーかなあ。参加作品、ファンタジーが多くてこういうのが少ないから余計に私好みでハマりました。
    ゆきちゃんさんもいろいろヨムヨムしてみて。この後始まるカクコンと違って完結必須なところがいいです。完結させてなんぼだからねー。

    でもでも、自分のペースでやればいいと思うよ、焦ったっていいことないからねー。
    とはいえ、私は今月末、出したい公募の締め切りが重なってて。新作で短編も書きたいけど、間に合う気がしないー。むううう。無理せず諦める決断も大事ですからね、はい。

  • 奈月沙耶先生、おはこんばんちわでございます☆

    昨日、ゆあん様の自主企画
    「筆致は物語を超えるか【海が太陽のきらり】」
    を見つけて、面白そうだな〜と思って拝読してました。
    そのため、『女はそれを我慢できない』を拝読出来ませんでした。ごめんなさ〜い。

    それはそうと、奈月先生は去年、4作品ほど出展されていたようですけれど、今年は出展されないのでしょうか?
    奈月先生の作品も拝読したいと思っているのですけれど。
    私は昨日今日で4作品に触れ、3作品にレビューを書いたほか、11月に入ったら自分でも書きたいなと思っています。
    皆さん素晴らしくて驚きました。たったの3話とか4話で、このような深い話が作れるのかと。
    奈月先生は、公募の準備などでお忙しいこととは存じますが、お時間がございましたら是非ご参加下さいますようお願い申し上げます(これじゃ、私が主催者っぽい?)。
    奈月先生の作品が上げられたら、優先順位一番で拝読に参りますよお〜☆

    それでは失礼致します。ハッピーメリー雛祭り〜🎎

  • 今月いっぱいはキツキツなので、私も11月に入ったら書きたいなーと思ってます。

    ゆあんさんの近況でさらっと見ただけで、まだプロットもみなさんの作品も見てないの。読んじゃったら、すぐに書きたくなっちゃいそうだもの。我慢、我慢。うう、はやく仲間に入りたーい。

    いちお、こんな感じでってイメージは既にあるけど、今回は参加が遅い分、みなさんのネタと被らないようにって思ってて、場合によっては書けないかもだけど。

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