輓近世相の一部に於き、創作の際にアーティフィシャル・インテリジェンスを用いない人のことを、「原始人」と揶揄する向きがあるらしい
ちなみに作文をする際、私はそうしたアーティフィシャル・インテリジェンスを利用していないし、向後も利用する予定は無い。これは宏度深遠な壮図があるとか、現代への反発心から客気勝心に反時代的パフォームをしているという訳ではない
所以、病疾めいた情緒不安定の私にとり、作文は作業療法めいた趣味であるため、ハナ用いる必要が無いというか、そもそも用いてしまっては意味が無くなるのである。転帰、「原始人」との誹りを受けることになろうとも、私には詮方が無い
気取った表現になるが、仄暗い虚室裡で独り、もぞもぞとキモイ蠢動をしながら、アーデモナイコーデモナイと電波文めいた廃棄物文章を叙すことが私にはとても楽しく、復、精神衛生へ大きく裨益している
私のような弱小低能糞馬鹿が斯くいうのも烏滸がましいというか、夜郎自大かつ厚顔の極みめいた処があるが、他人の目には無名な原始人による無価値な洞窟壁画としか映らずとも、実際、そこには原始人なりの切実さがある
とあれ世流れに反対するつもりは無いし、ぶつけられる悪罵へいちいち赫怒汹汹とすることもなければ、茲にジャック・エリュールめいた技術論をぶち上げる気も無い(というより、そもそもが度外れの低能である私に、それはできない)
考えてみれば、そもそもが世への帰属意識に欠けている、ぶざまで孤独な性悪魯鈍悪臭不細工非モテ中年男たる私にとり、正味他人様からの蔑視吼罵なぞ、どうでも好いことである
所詮、過去の自分も含めて、すべては縁無き衆生。ハナ人並みの人間関係すら構築できず、已往世俗へ孤立し続けてきた私にとり、世の趨勢がどうであろうが一切、関係が無い
而して黄粱一炊の夢、ぶざまに独り、やりたいことをやりたいようにやり、なすべきことをなすべきようになすより、他は無い