この作品は23年2月14日に投稿されたバレンタインデー特別SSになります。
時系列としては、第一巻の発売の二週間後ということもあって、登場人物はそこまでに出てきた者に限っています(WEB版では第一部終了までに当たります)。
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「ところでエメスよ。バレンタインを知っているか?」
魔王城の廊下ですれ違いざま、吸血鬼のルーシーは尋ねた。
ルーシーは第六魔王こと愚者セロの同伴者《パートナー》で、人造人間《フランケンシュタイン》エメスも同国の顧問という立場にいるので、こうして相談するのは特に珍しい光景ではないのだが――
「バレンタインですか? おやおや、急に珍しいことを聞いてくるものですね」
「そんなに珍しいか?」
「それはそうでしょう。とうに死んでいる聖職者のことを知りたがっているのですから」
「聖職者だと?」
「そうですよ。より正確にはラテン語でウァレンティヌス。古の時代より遥か以前に殉教した司祭の名前です。少なくとも私のデータベースにはそう登録されています。終了《オーバー》」
人造人間エメスがそう答えると、ルーシーは「おかしいな」と首を傾げた。
そして、すぐに一冊の書籍を取り出して、その表紙をエメスに見せつける。どうやら真祖カミラの書斎に保存してあった、これまた古の時代より以前の女性向け雑誌のようで、タイトルは『アーン・アアーン』――そこには「バレンタイン、大好き♡チョコレート」と銘打ってある。
「なるほど。理解しました。バレンタインデーのことを聞きたかったわけですか」
「違うのか?」
「当然です。先ほども説明したようにウァレンティヌスは人族。一方でバレンタインデーとは諸説ありますが、ウァレンティヌスの殉教を偲んで発祥した祭日のことです。それが幾世紀も過ぎて、家族や恋人にプレゼントを贈る特別な日となって――」
「ちょっと待ってくれ。この雑誌には、女性が好きになった男性にチョコレートなるお菓子を贈る日とあったのだが?」
「ふむん。データベースを精査したところ、理由は分かりませんが……ヘンタイや触手などといった言葉と関連付けられていますね。どうやら貴女が言ったチョコレートを贈る云々といった行為は、とある辺境の変態触手島国にて変容された文化のようです。終了《オーバー》」
「ということは、人族は必ずしもチョコレートなるものを恋人に贈るわけではないのだな?」
ルーシーが再度、喰らいつくと、人造人間エメスは顎に片手をやってから、
「そうですね。当時の世界では一般的な風習ではありません。あくまでもその可笑しな島国での出来事になります。終了《オーバー》」
そう結論付けると、ルーシーも「そんなものか」と小さく息をついた。
もっとも、「じゅるり」と唾を飲み込む音がルーシーのすぐそばで上がった。ルーシーの側付きであるダークエルフの双子の片割れディンだ。
ルーシーから受け取った雑誌をぱらぱらとめくって、そこに出てきたチョコレートなるお菓子に興味を持ったらしい。魔族は基本的に食事をしなくても問題ないので、食べ物にはさして関心を示さないのだが、亜人族のディンとなると話が別だ。特にディンはまだ子供なので甘いものに目がない。
「ルーシー様……わたし、作ってみたいです」
「ほう。ならば挑戦してみるか。どうだ、エメス? 一緒にやってみるか?」
「そうですね。調理自体はどうでもいいですが……未知の食材には興味があります。新たな錬成素材になるかもしれません。手伝いましょう。終了《オーバー》」
そんなこんなで、三人は雑誌をぱらぱらとめくって、チョコレートなるお菓子を作る為の材料を確認した。
「ふむ。カカオ豆か……聞いたこともないな」
ルーシーが眉をひそめると、ダークエルフのディンが「はい」と手を挙げた。
「たしか、『迷いの森』を抜けた先の砦に売っていたはずです。おそらく王国でも一般的に流通しているものと推測出来ます」
「なるほどな。それでは、妾《わらわ》たち自身に認識阻害でもかけて、王国の市場を回ってみるか?」
「いえ。面倒なので、手っ取り早く王国を攻め滅ぼしましょう。終了《オーバー》」
「待て、エメスよ。それではさすがに二、三日はかかる。バレンタインデーが過ぎてしまうぞ」
「ルーシー様、それにエメス様。ご安心ください。カカオによく似た実を付ける植物系の魔物《モンスター》がいます。『火の国』のそばの森に生息していたはずです」
ディンの博識に従って、ルーシーたちは早速その森に赴いて、竜の卵よりも大きなカカオの実を幾つか手に入れた。
そして踵を返すや、すぐに魔王城に戻って、人狼のメイド長チェトリエの許可を得て、食堂に隣接している調理場に入ってカカオの実を割ってみた。中からは白い果肉がごろごろと零れてくる。
すると、エメスがデータベースの知識を披露してみせる。
「この果肉を凍らせて、スムージーにして飲むと美味しいらしいですよ。終了《オーバー》」
「では、それについてはチェトリエに任せてみるか」
「畏まりました、ルーシー様」
チェトリエはそう言って、果肉部分を持って三人とは別の調理台に向かった。
「ところで、妾たちに必要なのは、たしかこの果肉の中にある種――カカオ豆だろう?」
「その通りです。カカオ豆を取り出したら焙煎《ロースト》を行うわけですが、小生たちが採ってきた豆は一般的なものよりも大きいので、この時点で細かく砕いて焙煎する『ニブロースト法』を採用します。終了《オーバー》」
そうはいっても焙煎にも深煎り、浅煎りなど、加熱時間や熱の加え方によって風味が異なってくるので、ちょうど手隙だった人狼メイドやダークエルフたちを呼んで、それぞれで焙煎してもらった。そのうち、気に入ったものをルーシー、エメスやディンは選んで、すり潰すことでペースト状にした。
そこに砂糖やバター、あるいは粉乳を加えて、風魔術の『|切り刻み《エアリアル》』と『重力』によって精錬を仕上げて、自ら作った木枠に充てこんでいった。
ルーシーはいたって普通のハート型、エメスは何の変哲もない正方形、ディンは双子のドゥにも手伝ってもらって様々な型を幾つも作った。
「よし。これで完成したな」
「味の特性評価、官能評価及び成分分析を行いましたが、中々に面白い結果です。終了《オーバー》」
「えへ。さっきちょっとだけ味見したんですが……止まらなくて、もう半分ぐらいドゥと一緒になって食べちゃいました」
そんなわけで三者三様のチョコレートがその日の食卓にデザートとして並んだわけだが――
「さて、セロよ。どれが誰の作った物か、分かるかな?」
ルーシーたちはそんな意地悪をした。
セロからしてみれば当然分かるはずもなかったのだが、それでも味はともかく、出されたチョコレートの型からある程度の推測は出来た。
「ええと……この無骨な正方形はエメスかな?」
そう言って実食してみると、「んぐっ」とセロは咳き込みそうになった。
かなり渋くて、酸っぱい味だったせいだ。焙煎の時点で失敗していたようだが、何となくセロはポーションの苦みを思い浮かべた。もしかしたらエメスはチョコではなく、何か違うものを作ろうとしたのかもしれない……
「さて、気を取り直して……この小さくて、たくさんあるのは――きっとディンだよね。あと、ドゥも途中から手伝ったんだっけ?」
セロがそう尋ねると、ドゥはこくこくと肯いた。
食べてみると、今度もまた「んぐっ」とセロは咽びそうになった。あまりに甘々だったのだ。いや、違うか。さっきのエメスの苦さと対照的に過ぎたこともあって、余計にそう感じたせいだ。
おそらく子供らしく砂糖をこれでもかと入れたのだろう。実際に、ドゥは「あまー」と喜んでぱくついているぐらいだ……
「となると、このハート型が――」
セロはそこまで言って、肝心のチョコレートを見た。
それはピンク色にトッピングされていた。セロはすぐに「そういや、ルーシーは意外にファンシー好きだもんなあ」と呟いたが、何はともあれルーシーの調理の腕は信用していたので、
「じゃあ、いただきます」
と、がぶりと齧った。
すぐにカカオの芳醇な味わいが口内に広がっていく。セロはつい涙をこぼしそうになった。
それほどにルーシーの作ったチョコレートは美味しかった。王国でもチョコレートは出回っているが、あくまでも奢侈――いや、嗜好品だ。貴族の子女などが飲み物として好むものに過ぎず、セロも勇者パーティー時代の祝勝会などで口にした程度だった。
それと比して、今、セロが頬張っているものはどれだけ豊かで、まろやかで、香ばしくて、さながらルーシーとの関係性を匂わせるような甘い味わいか……
「ルーシー。すごいよ、これ。めちゃくちゃ美味しい!」
「ふふふ。そうか。それだけ喜んでくれたら、妾もうれしくなってくるな」
「特に、このピンク色にコーティングしたチョコの層が凄いね。これだけ別格の味わいだよ」
「当然だ。それはゴライアス様の血反吐を混ぜているからな」
「ぶばぼおおおっ!」
セロは吹き出しかけた。
また血反吐か、と心の底から叫びたかった。
だが、ルーシーの話を聞いた皆は「ほうほう」と集まって、ピンク色の部分を少々だけ削って、ぺろりと口にすると、
「さすがゴライアス様!」
「食べるだけで天恵を受けそう」
「これは栄養価が非常に高いものです、終了《オーバー》」
「セロが気に入ってくれたなら、これも血反吐レシピシリーズにしていつでも作ってやるぞ」
セロからすれば、またこの件《くだり》か、と。
内心でツッコミを入れたかったわけだが、何はともあれ、この日セロはチョコレートを楽しんだ。
もっとも、元聖職者のセロとしては、人狼メイド長のチェトリエから受け取ったスムージーをちゅうちゅう吸いながら、首を傾げざるを得なかった――
「ところで……なぜ今日はこんなふうに皆でチョコを食べているんだろう? たしか、遥か古の聖人ウァレンティヌスの命日だったはずだけど?」