時系列としてはWEB版の第一章、また書籍第一巻の前日譚に当たります。いわば、第一巻発売時の店舗特典と同じ時系列になります。
※2023年8月15日に限定SSから非限定に設定し直しています。ご了承ください。
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「クリーン様! こっちを向いてくれ!」
「いやいや、こっちじゃあ。お慈悲をくだされええ!」
「せいじょしゃま。だいしゅきです。いつかせいじょしゃまみたいになりたいでしゅ」
「こんな老いぼれ婆にも慈しみの笑みを向けてくださるのか。ほんに素晴らしい聖女様が立ったものじゃよ」
聖女クリーンは王国に凱旋していた。
本来、大神殿の聖女は祭祀祭礼の為のお飾りであって、戦地に赴くことはほとんどない。
それでも、かつて魔族の動きが活発だった時代には、第一聖女、第二聖女などと、幾人かで役割分担して、騎士団を鼓舞する為に共に戦ってきた。
今回、クリーンは西の魔族領こと湿地帯に出張ってきたばかりだ。
そこは第七魔王の不死王リッチが治める、じめじめとした薄暗い大地で、|生ける屍《リビングデッド》が延々と湧いて出てくることもあって、大神殿に所属する神殿騎士団が定期的に遠征して退治してきた。
その遠征軍にお飾りとされるクリーンは帯同したわけだ――
「ふう。これで……私の大神殿内での立ち位置も、少しは確固たるものになるかしら?」
クリーンは馬車の覗《のぞ》き窓から顔を出して、王国民に笑みを振りまきながら呟いた。
ちなみに、現在の大神殿はさながら伏魔殿の様相だ。聖職者を管轄して、神事と祭事を行うのが本来の役割のはずだったのだが……あまりにも長い歴史の中でさしたる改革も行われなかったせいか、下手な貴族政治よりもよほどドロドロとした派閥政治が綿々と繰り広げられている。
そもそも、現在の頂点《トップ》こと教皇は、「どの派閥にも属さない人畜無害な無能だから上に立てた」とまで謗《そし》られるほどであって、実際に大神殿は三人の主教たちの三頭政治によって牛耳られている始末だ。
そんな大神殿の中でも、聖女はかなり特殊な立ち位置にあった――
「どうせお飾りとしていつでも挿げ替えられる立場なら……こうやって支持基盤を外に作るしかないですものね」
クリーンはそう呟いて、また王国民に向けて満面の笑みを作ってみせた。
三主教のいずれかの派閥に属せば、神殿内ではどうしても角が立つ。それならば、王国民の指示を取りつけて、簡単には罷免されないようにすればいい――今回の遠征への帯同はそんなクリーンの思惑から生じたものだった。
が。
「では、クリーン殿も……そろそろ婚約を考えられては如何かな?」
「……はあ?」
大神殿内で行われた遠征の祝賀会で、三大派閥の一つをまとめる主教フェンスシターから唐突にそんな話を向けられた。
主教フェンスシターは聖職者というよりも恰幅の良い商人みたいな小男で、まさに八方美人のように振舞って今の地位まで上り詰めた。一部では傲岸不遜で冷酷な主教イービルの派閥に下ったとも噂されていて、そんな男がにやにやと笑いながら話を続ける――
「賢者と聖女が番《つがい》になるという伝承は、当然のことながらクリーン殿もご存じでしょう?」
「知ってはおりますが……それは古い文献に記してある言い伝えに過ぎません。そもそも、賢者は百年以上、出てきていないはずです。それこそ勇者よりもよほど得難い」
「ふふ。おやおや、遠出していた聖女様はどうやらご存じない様子だ」
「ま、まさかとは思いますが……賢者になり得るほどの人材が現れたと?」
クリーンはさすがに目を大きく見開いた。
賢者になるには光系最上位の法術を使えることが条件なのだが、どの聖職者も派閥政治に力を入れ過ぎてろくに修行しなかったものだから、今となっては誰も扱えない上に、どのような法術なのか、その祝詞すら分かっていないというみっともない事情がある。
逆に言うと、賢者になれるほどの実力があるならば、将来教皇の地位とて約束されるはずなのだが……はたして、それほど優秀な人材をお飾りのクリーンと結びつけようとするだろうか?
だから、翌朝、クリーンは早速、子飼いの神学生に調査を命じた。
その優秀な女学生は昼にもならないうちに早くも調査を終えて、クリーンの執務室の扉をとんとんと叩いた。調査といっても、クリーンが遠征していたから詳しく知らなかっただけで、ここ最近の大神殿ではその人物のことで噂が持ちきりだったのだ。
「クリーン様、ご報告いたします」
「どうぞ。手短にね」
「はい。クリーン様が遠征していた間に、最年少で司祭に就いた者がいます。名は――セロといいます」
クリーンは「セロ」と復唱して、「ふうん」と顎に片手をやった。
「その者に、本当に賢者になり得る実力があるのかしら?」
「座学は最優秀。また、内包する魔力量は大神殿始まって以来、最大量を計測したらしく――」
「ということは私よりも上ですか?」
これにはさすがにクリーンも身を乗り出して驚いた。
クリーンとて、その魔力量の膨大さと、若くして『聖防御陣』を扱えたことで、聖女まで一気に上り詰めた実力者だ。基本的に魔力《マナ》の過多は生まれ持ったものなので、どれだけ修行しても増えることはない。
だから、聖職者も、魔術師も、どれだけ技量に優れていても、内包する魔力量によって優劣を決める傾向が強い。もちろん、これは人族だけでなく、亜人族や魔族でも同じことがいえる。
とはいえ、クリーンはやはり眉をひそめた。
「では、そのセロという若者は……もしや性格に問題があるということですか?」
そもそも、主教フェンスシターが押し付けてきたぐらいだ。
きっとどこかに瑕疵《かし》があるはずだと、クリーンとしてはそれをもって婚約話を正式に断るべきと考えた。
だが、子飼いの女学生は頭を横に振った。
「いえ。性格は温厚そのもので、自己犠牲を厭わない実直な人物という評です」
「だとすると……ますます分かりませんね。それでは、莫大な借金があるとか、女性問題を抱えているとかですか?」
「いえ。村役の三男で篤実そのもの。また女性の影も全くありません」
「聞くだに、優良物件ではないですか?」
「そうなのですが……実は二点、問題を抱えています」
クリーンは「そらきた」といった表情になった。
もっとも、成績も将来性も抜群で、性格も良く、借金も女性問題もないとなると、果たしていったい何が問題だというのか――
「まず、セロは法術が扱えません。簡単なものですら発動しないのです」
「何だ……そんな程度のことですか」
クリーンはそれを聞いて、「やれやれ」と肩をすくめた。
魔力量が多い者が法術や魔術を上手く扱えないというのは稀にある現象だ。これはいわば大きな貯水槽《タンク》に小さな蛇口みたいな問題でしかなく、膨大な魔力量を誇る者はその出力調整に手こずる傾向がある。かくいうクリーンも長年、苦労してきたくちだ。
もっとも、一度扱えるようになればすぐに慣れることもあって、クリーンは同類としてさして問題にしなかった。大神殿もそれが分かっているから、セロの可能性を高く評価して、司祭にまで昇格させたはずだ。
「次に、こちらの方が問題なのですが――セロは大神殿から出て行くそうです」
「まさか! 冒険者志願なのですか?」
クリーンは「はあ、そういうことですか」と、やっと納得出来た。
大神殿を一度でも出てしまえば、もう出世のレールに乗ることは出来ない。逆に、冒険者となって、その行く先々で負傷した者などを治療することで人格者として国内で名を馳せることになる。
つまり、王国民に愛敬を振りまく、お飾りのクリーンと婚約するには最適な若者ではないかと、主教フェンスシターは皮肉を込めて提案してきたわけだ。
ただし、このとき、クリーンは強《したた》かに計算してみた――
もしセロなる若者と婚約すれば、今の三大派閥とは離れて中立な地位を保つことが出来る、と。
いわば、大神殿内での出世レースには興味などありませんよと暗に示せるわけだ。魑魅魍魎がはびこる大神殿から距離を置くにはちょうど良い風避けになってくれるかもしれない……
さらにクリーンは熟考した。もしセロが賢者となって王国民の人気を得られたならば、その支持基盤を最大限に生かして、大神殿を外から改革していくことで、教皇の後釜を狙える可能性だってある、とも。
「はてさて……鬼が出るか、蛇が出るか」
こうして王城の前庭でクリーンが司祭になったばかりのセロと出会って、すぐに婚約を交わすことになるのは――わずか数日後のことだった。