循環

今後最大に誰もが問われてくるポイントは、
鏡の裏返し、なシチュエーションに置かれたとき、どうふるまうか

地上でのミッションは、そこに集約されるように思う。

立場が変わることで、何が変化するかというと、
力学ストーリー内部において扱える物的量と、力の強弱だ。

貨幣に象徴される、経済のお約束の結界の内側でしか通用しない、
この「立場」という切り分けに依存しているだけで、
手にしている強さや豊かさというものは、
俯瞰した世界からみつめると、非常に脆弱である。

立場によって、扱える結界の広さが設定されており、
その内部に入る権限があるかないか次第ですべてが決まる世界
というものと、AI的な世界の親和性は非常に高い。

だがそれは何を意味するかと言うと、結界が破られ、のっとられれば、
あっというまに自分の代わりが誰でも可能、という世界なのだ。

そのことに恐れる人々が自分の念力で生み出しているものが、
「ほ」に象徴される、弱い力が持つ強い力、なのだと思う。

そこのみにて光輝く、では、この「弱い力」から逃げ回る人への
容赦ない描写がなされていたように思う。

映画のレビューを検索していたらひっかかった、
関内関外日記さん。
くいいるように他の記事も読んでしまった。
・・・年がわたしと変わらない。やはり。
http://goldhead.hatenablog.com/

この、マージナルな世界へ触れてもまだ生き延びている人、生き延びられなかった人。
絶対に足を踏み外さないように逃げ回る人。人を蹴落としても平気なふりでいようと自分に言い聞かせている人。

踏み外したことで卑屈になり、
そのことを原動力にがむしゃらに生き、さらに支配的な生き方に反転する人。

いろいろな人がいる。

踏み外すか踏み外さないかは、宇宙がもたらす、賽でしかない。
だが、そのことで自分が豹変するのかしないのかは、
わたしが決めること。

AI的技術の飛躍的な進化と、そのことによる恩恵は
思っているよりはやく行き詰まるように思う。

問われるのは、その先だ。

立場を失ったときに、自分も一緒に損なわれるのか。
そうでないのか。

玉虫的でなく、ほんとうに輝いて活躍している人は、
立場があっても、このマージナルな世界への敬意と、
自分がいつそうなってもいいという覚悟があるように思う。

これからも、ウケるかウケないかを度外視して、
この、言葉に出来ない1点だけを見据えて、生きていきたいと、思う。







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