皆さま、お疲れ様です。
最近ちっとも執筆に時間が避けない日々が続いている、花野井です。コンサルなのに、やってることはシェルプログラミング。せめて今後の経験にも使えそうなPythonにしてくれ……なんていう途轍もなくどうでもいい前振りはここまでにして。
さっそく本題です。
僕は、いわゆる「ハッピーエンド」が書けません。短編中編だと書けるんですけど、長編になると点でダメ。そんなんでいいのか?な歪なハッピーエンドになりがちです。感動的な言葉で飾ってるけど、結局固執してるじゃん、成長してないじゃん、なんなら誰か消えてるじゃん!みたいな。
近日中に完結する、なんちゃってBLもの(濡れ場どころかラブラブシーンがほとんどない。もはやLOVEを名乗るなんておこがましい)があるのですが、これこそ(よく考えると)歪なハッピーエンドを迎える予定です。「……なぜそうなる?」という方が出てくるかもしれません。
そのお話の中のその人物にとっては、「幸せ」だと定義している、もしくはそう思い込んでいるのでハッピーエンド、としているのです。それはあまりに歪で、リアルで彼らを見ればきっと、「いや、止めたほうがいいと思うそんなクズ」となるかもしれません。
そもそも、僕の書く物語の人物たちは何かしらに固執していることが多いです。自己中心的なんです。それでいて、倫理観もクソもない非人間が多いからかなおさら話がおかしくなる。
現在休載中の『転生に失敗した聖者は愚者の道を行進する』の主人公、ケルバンがもしかしたら一番マシかもしれません。
そして一番クズっぽくなる可能性があるのは『Ba1t_b@Ll ー多頭の戦士ー』の悠。120話を越えたらドン引きされてしまうかもしれません。でも彼こそが探求者で、「私」とは何かを考えるために用意している人物なので…。こいつクズ野郎だ!とあまり責めないでやってくださいまし。
究極、そもそもハッピーエンドってなんだ?とすぐにそもそも論に飛んでしまう根っからの哲学頭なので、自分でも若干諦めているのですが…。たくさんの方に読んでいただきたい、となるならこれもどうにかせねばですね。ハッピーエンド詐欺だと言われたら元も子もないので。
長々と話してしまいましたが、ようするに、ハッピーエンドってなんだろう…という呟きでした。
以上です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
花野井