• 現代ドラマ
  • エッセイ・ノンフィクション

エッセイって何だろ

徒然なるままに、というが、最近、ただあったことをそのまま書いている。
それで面白ければいいが、私の場合、果たしてどうなのだろう。
いいエッセイを書きたいと思うが、いいエッセイってどんなのだろう。
自分がいいと思うものが必ずしも評判がいいとは限らない。
かと言って、あったことをそのまま書いていて、それで自分は記録としていいが、読者さまは面白いだろうか?
うーん、受けるエッセイって、どんなのだろう。
自分でいいのが書けたと思っても、受けないと虚しいし。
うーん。
やっぱり、自分がいいと思うものを目指すのが一番いいのかな。

14件のコメント

  • なんか、いいエッセイって、気力を充実させて、イマジネーションを充分練って、音葉を上手く使って、初めてかけるもののような気がします。
    でも、それが受けるとは限らないですよね。
  • あのぉ、わたしは
    新幹線に乗って座席の前に用意されている冊子を読むんですけどね、
    その中に、旅のエッセイがあって、
    それを読むのが楽しみなんですが、
    なんだか、その人の見た景色が短いドラマとなって、心に残ったりするんです。
    自分が見たことの無い景色なのに、印象に残る。というか…。
    勝手に想像してるんですけど。
    「日本にはない青」とか、どんな青だろう…
    とか。↑これ好き。

    エッセイは、「聞いて、こんな事があったんだよ」ぐらいの話し。だと私は思っています。あはは。
  • なるほと。
    こんな事があったよ、くらいの話の中に、心の中に残っていく、景色の短いドラマがある、というのは、やっぱりそれを書くために随分努力されているのでしょうね。
    多分、にもかかわらず、さりげない話として感じさせる、という事なのでしょう。
    やっぱり一つだけ言えるのは、ただ書けばいいということではない、ということでしょうね。
    貴重な参考意見、ありがとうございました。
  • お邪魔します。

    私はエッセイを書いたことがありません。でも、読んで思う事はエッセイは感受性の問題かな、と思っています。

     まず、自分が面白くなければ人が面白いわけがないですものね。
     面白さとは、結局その伝え方の文章力で決まるのかな……と思います。
     自分ではなく人がこう感じたという話しを聞いただけでも文章次第で人の感動を人に伝えることができますよね。

    ある意味、中学生の時に書いた、読書感想文に似ていますが、今書くとしたら絶対その時とは違う文章になると思うんですよ。
     何故なら当時とは経験値も思考力も感性も価値観も変わっているわけだから。
     で、あとは結局個性の好みになるんでしょうけど。
    モリナガ様の言われるような、表現力のある人っていいですよね。過去の作家さんも、みんな自分で言葉を作って今の文体があるんですよね。
  • 赤雪さま。
    どうもいらっしゃってくださってありがとうございます。
    私も実は感受性の問題は大きいと考えました。そして単に話が面白いだけのものや、ただあったことをそのまま書いても、自分としては面白いわけではない事に気づきました。
    やっぱり読む方に訴える感性の煌めきが欲しい。
    無い物ねだりかもしれませんが、そういう境地を模索して書いていきたいと感じております。
    それは勿論、殆どはそううまくいかないでしょう。
    しかし稀にでいいから、自分も読者さまを感動させるようなものを書きたいと、大志を抱いた次第でございます。
    貴重なご意見、ありがとうございました。
    また、気が向いたらいらしてくださいね。
  • 自分が書きたいものをまず書いてみる。それがたまたま読者の興味をそそるものであればもうけもの。そんな軽い気持ちで書くのも私は好きです。
  • ポンポコさま。ようこそ来てくださいました。
    もともと随筆(エッセイ)といえば、おっしゃる通りのものではないかと私もイメージします。
    ただ、単に私がそれで満足できないだけの話かもしれません。
    貴重なご意見ありがとうございました。
  • ゆきみさま、ありがとうございます。
    これから近況ノート拝読します。
  • レネさま

    はじめまして。マフユフミと申します。
    私の詩集、「暗がりに叫ぶ・2」へたくさんのハートマークをいただきありがとうございます。これからも自分の言葉を丁寧に紡いでいきますので、よろしくお願いいたします。

    私はエッセイを書くのが得意ではなく、エッセイを書ける人ってすごいなー、と思ってます。飽きないエッセイ、というか、自然と流れていくような文章なのにどこか惹かれてしまうエッセイは、やはり情景描写や洞察が深かったりするのかなー、なんて思います。
    レネさまの作品も、ぽつぽつ読ませていただきますね。
  • マフユフミさま、よく来てくださいました。

    エッセイには、すぐれた情景描写というのがあれば、おっしゃる通り、人を魅了し、読者の感性に訴えることができるのだと思います。

    そしでおっしゃる通り、そこに深い洞察があれば、読者を感動させることができるのではと思いました。

    この、情景描写と洞察の二本立てで書いていくというのは、多分至難の技でしょう。そこで、プロとアマが分かれるのかもしれませんね。
    素人は、どうしても、ひとつ、ふたつ、とてもいいのが書けたとしても、ずっとそれを続けていくのは無理でしょうね。
    それができたら、それでメシが食えますもんね。

    失礼。マフユフミさまの文に刺激されて色々書いてしまいましたが、マフユフミさまが、これからもいい作品を紡いでいかれることを期待しております。
    来てくださってどうもありがとうございました。
  • こんにちは。(*^^*)

    せっかくコメントをいただけていたのに、返信が遅くなり申し訳ございません。m(_ _)m

    スマホでカクヨム以外でも執筆したりしているので、メールでのコメントチェックが遅くなってしまいました。ごめんなさい。

    「観る」と「見る」の違いがなんとなく掴めた気がいたします。ありがとうございました。(о´∀`о)
  • こんにちは。
    よくいらっしゃってくださいました。
    お忙しい中、本当にありがとうございます。
    近況ノートの書き込みは、お忙しそうだし、自分でもちょっと偉そうな気がして削除したものなので、気になさらないでくださいね。
    それより、わざわざこちらに来てくださったことの方を今喜んでいるところです。
    これからも、繊細な桃もちみいかさまから見たら、ぶしつけなことを、書いたりしてしまったら、どうか許していただきたく、お願いする次第です。
    今後も作品の方、読ませていただきますので、コメント書く時は、気を付けますので。
    本当にありがとうございました。
  • 今晩は。

    ご質問の件、こちらにお邪魔させて頂きます。

    陸上自衛隊の朝霞駐屯地に体育学校というものがあります。

    そこでは主に自衛官として体得すべき表芸である、突く、撃つ、走る、の究極を目指し、日々鍛錬が行われています。

    『突く』とは即ち銃剣道(銃の先に剣を着けた状態を模した木銃というもので刺突を競う、旧軍時代からの武技であり、最後の白兵戦で生き残るための武術の一つ。他に銃剣格闘というものがあり、これは銃剣道の突くだけに対して、殴打、斬撃などの銃全体を武器とした格闘術)であり、撃つとは射撃。走る、とは銃、弾薬、防弾ベスト、ヘルメット、防護マスクなどの個人装備を装着した状態で10マイルをノンストップで走り、到達した先で三時間の戦闘行動を取れる体力と気力を醸成することを目的として、それに生理学を加味した体育理論を実践しています。

     学生は全国の自衛隊から、能力が有ると認められたそれぞれの分野の優秀な者と学校側がデーターから招聘した隊員が入校を許されます。

     そんな体育学校が発足した翌年、郡山駐屯地に所属していた円谷は、 畠野洋夫の推薦を受けて、ランナーとして入校し、東京五輪で銅メダルを獲得します。

     その辺りのことはWikipediaをご覧ください。ここまで書いて改めて確認のためにWikipediaを見直したところ、以前のものとは替わり、かなり正確に書き直されていましたので、ほぼ真実に近くなっております。

    学校長、吉池重朝は腰痛を訴える円谷に対し、学校の各科対抗マラソン大会や駅伝対抗にも見世物のように出場を強要し、病状の悪化を促進させたと学校の医療を担当した先輩から聞いた事があります。
  • こんばんは。
    赤雪さま、ようこそきてくださいました。
    なるほど、そういう事だったんですね。
    まるでそれじゃあ「日本版・長距離走者の孤独」ではないですか。
    こういう事が現実にあったんですね。
    とても勉強になりました。
    とても詳しい説明、どうもありがとうございました。
    また来てくださいね。
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する