『碧天の雨』
https://kakuyomu.jp/works/16818093081249771519新作エッセイを投稿開始しました。
あ、セルフレーティングは念の為全部付けていますが、そんなに具体的な描写はするつもりはありません。
普段は投稿開始通知に、裏話とか作品に対する想いとかは書かないんですが、今回だけは書かせていただきたいと思います。
ほかのエッセイにも書いていることですが、本エッセイの、つまり僕の人生のネタバレが含まれるので、ご注意ください。
人生のネタバレってなんだよ……。
本エッセイは、僕の姉さんにまつわる思い出が主体です。
僕の半生は、姉さんと共にあったと言っても過言じゃないくらいなので、自然と僕の小学2年生から高校1年生の冬までの人生を追うようなエッセイになります。
ところどころ端折りながらですが、時系列順にエピソードを書いていくので、長くなる予定です。
そんな本エッセイに書かれていること、書いていくことは全て、実話です。
たまに「嘘やろ」「ドラマかよ」と言われますが、本当にあったことです。信じるか信じないかは、読者様に委ねます。
自身の記憶と、昔から習慣でつけていた会話内容まで記載した日記の内容をもとにしています。足りない部分の会話の補完は若干ありますが、補完要素は1割も無いくらいです。
9割以上、実際にあった会話で構成されています。
姉さんとの話を書くかどうか、実を言うと10年くらい迷っていました。
僕が姉さんのことを話した友人知人の何人かは、書けよと言うんです。
からかっているわけではなく、本気で。なかには、僕のことを心配して、「アウトプットすれば昇華できるのでは」という意味合いで言ってくれた人もいます。
ただ、迷いました。
決して、明るい話ばかりではないからです。
バカバカしい思い出は、たくさんあります。思い出すと「ふふっ」と笑うような思い出や、エモい思い出が膨大にあるんです。
だけど、ほかのエッセイでも書いているように、姉さんは僕が高校1年生の頃のクリスマスイブに、自殺しました。それをクリスマス当日の25日に、僕が見つけたんです。
ケーキとプレゼントと、養母さんから預かったお酒を持って家に行ったら、洗面台の蛇口にくくりつけたタオルで首を絞めて死んでいました。
つまり、このエッセイは姉さんの死へと向かって進んでいくことになります。
それが、こうしてエッセイとして書いて出すことを迷っていた理由です。
しかし、書きたいという気持ちがだんだんと上回ってきました。それが漏れるように、最近別のエッセイで姉さんの話が多くなってきていたんですよ。
何より、姉さんの記憶が年々曖昧になるのが嫌だったんです。
もちろん、彼女のことを変に引きずって、ずっと暗い気持ちでいたいわけではありません。
だけど、背負ってはいきたいんですよ。
とはいえ、彼女は死ぬ前に計画的に、自分の生きた足跡を消してしまいました。録音した声のデータ、写真、文字、何も残っていません。遺書も、燃やしちゃいましたし。一緒にいた鈴ちゃんや藍ちゃん、養父母さんも既に亡くなっています。僕だけが、図太く生き続けています。
僕が覚えていなければ、あの人が生きていたという事実すら残りません。
覚えていたかった。願わくば、一人でも多くの人に、こういう人がいたんだということだけでも、知ってくれる人がいれば……。
そう思って、投稿することにしました。
しかし、独りよがりにならぬよう、精一杯気を配って書いているつもりです。
こんなことを書いておいてなんですが、「そんな人もいたんだね」「こんな奇妙な人生の人もいるんだなあ」と、気楽に読んでくだされば嬉しく思います。