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嗚呼 無情 ノートルダムの夜はふけて


巷に溢れてる?異世界もののラノベやらアニメを観てチート能力とか全知全能やらハーレムやら一切の障害もなく好き勝手やりまくる無双ぶりに、なんだろうこれはと思っていた。

チートの言葉の意味じたい動詞としては不正を働く、詐欺をする、カンニングする、浮気する。名詞としては、いかさま、インチキ、イカサマ師、誤魔化し、ズル、ずるいやつ、偽物、不正行為、騙すこと、詐欺師、こんな感じで、あまりいい意味で使われることのないような言葉であるらしい。

異世界飛んだらいきなりチート能力備わってて綺麗な女の子周りにはべらして空も飛べるのなんて当たり前。という設定。仕様。

リアルなヒトの脳も実は、時間と空間を認知するのではない。はじめから時間と空間があるという認識。これがはじめから脳に埋め込まれている。だから、この事の意味は何なんだろうと考えていた。

例えばアコギの生音にエフェクトをかけて全く別な音に加工する、女性の声を男性の声に変える、みたいな事を脳が自動で行なっている。人のいわゆる知覚というのは、ダイレクトではなく、すべて脳を経由して自動で再構築されたものを認識する。

しかし、そもそもそれが現実世界と言われているものの再構築なのかすらわからない。つまり時間と空間の形式が既に組み込まれている脳で世界がはじめて構築されているのかも知れないということ。

それで異世界モノのチート能力に話は戻るが、あの全知全能のチートは実はチートではないのではないか。何の努力もしないで楽々手に入れた能力。時間を停止させてしまうとかアイドル以上に綺麗でスタイルのいい好みの女子と好きなだけヤリまくるであるとかバカ丸出しの荒唐無稽さは実は荒唐無稽ではないのかも知れないという話をいましています。

つまり、生まれ落ちた時から脳に織り込み済みの時間と空間の形式の認識というのは世界を再構築する際の縛りではないのか、という事を言いたいわけなのです。実のところ人には無限の能力が備わっていて本当は人が考える事は全て可能なのではないか。それを規制するために脳にいわゆる「タガ箍」が嵌められているのではないか。そのタガを外してしまえば人はほんとうに自由で変幻自在、行くとして可ならざるなしな存在たるわけです。

つまりは神にも悪魔にもなれるわけであり好き勝手に無双やられては困るのは明白ですからタガが嵌めてあるという感じじゃないかな。

とどのつまり、行き着くところは、結局「脳」🧠なわけです。世界の認識は勝手に脳がやっているわけですから脳内の縛りを外してしまえばアニメの中でしか可能ではないと思われている事、不死身であるとか巨大化するとかも朝飯前となる。

そして更に言ってしまえば、人は時間と空間のあるこの地上に縛りつけられているわけで時間と空間の外には出られないことになっている。つまり時間と空間の檻に閉じ込められているわけで、しかし時間と空間があり地上に縛りつけられている肉体を有することが人として存在するという事であり時間と空間から抜け出す事は即ち死を意味するわけですね。笑

で、ラノベのよくあるパターンに関して苦言を呈していらしゃる方がいて、それをさっき少し読んでたんですが、あまりにも軽佻浮薄かもしれないのですが、キモヲタが自分の好きなように憧れる自分を描いてどこが悪いのかと思うんですよね。

言っちゃあなんですが、あのノーベル賞を取り損ね続けている村上某も、あの程度のビジュアルで、あれだけキザな台詞を登場人物に吐かせているんですからね?
作者のビジュアル云々は、作品に対する評価に関係ないですよね?

コメント

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