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私のすべてが始まったとき

こんにちは。

今日はお天気で、気温もそこそこ上がるようですが、昨日の夜に寒くてついにコタツを出してしまいました。まだコードは繋いでいなくて上掛けだけですけど、さっそくコタツムリが発動しています。

一昨日の夜遅くまで、今年のカクヨムコンの準備をしていたのですけれど、昨日と今日は「読み」に徹しています。そんな中でも作品フォローをしてくださったり、ページを覗きに来てくださって本当にありがとうございます。あと1冊読み終えたら再び「書き」に戻りますね。(これ、ただ読むだけでなくて、基本的にDMか何かの形で作者さまに感想を書かせていただいてます。それが私の応援なので…)

さて、来月に入ると私の物書きはとうとう31年目に入ります。ですが、本当はもっと前からその素地はあったんですよね。

私が小学生時代に市立図書館で読み込んでいた科学小説がありました。ほとんど一般に出回ることはなく、ほとんどが図書館で見ました。そのうちの数冊を偶然にも入手することができて、私の本棚に入っています。

そう、ここ・これがすべての始まり。
そこに登場していた子たちを自分の頭の中に移植して、その子たちを動かし始めたのです(今で言えば二次創作ですか? 形にしていないので妄想でしょうか)。本の奥付を見ると、発行は1984年ですから、40年前の本です。

特に中心になったのが今回の写真の二人です。
本を何度も読み込んで内容ももちろんですが、彼女たちの人格を頭の中に移植しました。どちらも小5設定の二人です。(向かって左側が文【あや】ちゃん・あだ名がブン、右側が香ちゃん・同じくカオリン。それぞれストーリーの中で男の子たちを唸らせるほどの知識や推理を発揮します)

そして、他のメンバーも移植して頭の中で喋らせるようになった。
この本たち、この子たちに出会えていなかったら、今の物書きとしての私はいません。
キャラを頭の中で動かすことを9年も続けていた(書くことはしませんでした)。その時の経験をベースにしていろんな作品を読んで、取捨選択しながら何層も積み上げたのが今の私です。

それを初めてやったのが小学5年生。あれから基本的な作り方は技術の差はあれど、ほとんど変わっていないんですよ。

ほとんど遊ぶ友達もいなくて、学校のない日は図書館に入り浸っていた私。

その代わりキャラの人格を頭の中に移植した。本当は話し相手もいなくて寂しかったんでしょうね。

人はそれを空想や妄想と言うでしょう。きっと当時周りに知られれば嘲笑されて、何も言い返せない私はそれをやめてしまったかもしれません。たまたま形にしていなかったから、頭の中にだけ存在させていたから残った。

その形が今の作風の大元。だから作品を作る時にキャラクター絵から入るとよく話していますが、本当なんですよ。これ以上逆上ることはできません。その前になると純文学の作品になってしまいます。(例えば「銀河鉄道の夜」に登場するジョバンニとカムパネルラを自分の思いで自由に動かすことはしないでしょう。一緒に物語を辿りながら彼らの心理、作者の宮沢賢治の想いとは…を深めていくのが純文学の醍醐味だと思います)


きっと来月からも、いつか筆を置くまでこの書き方は変わらないと思います。

ブン、カオリン、二人の出番は今はもうほとんどないけれど、煮詰まるときみたちに戻ってきます。これからも一番下の縁の下で後輩の子達を見守っていてくださいね。

そんなことを積本を1冊ずつ消化しながら改めて思ったのでした。

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