仕事に疲れて、おおよそ書ききれない小説を書く元気と耐え症がないので、ブログ感覚でノートを書きます。
私は会社で社内ウェブマーケターとして仕事をしています。SEO対策(特定の検索ワードで、上位表示されるようサイトを作成すること)に特別力を入れていて、もっといえばコラム記事の執筆なんかに心血を注いでいます。文章を書くのは皆さん同様好きですので、それなりに楽しくやっています。
「え?それなり?好きなことなのに??」とお思いの方。そうなんです。好きなことなのに、決してめちゃくちゃ楽しくはない。「まあ、他に仕事をするよか楽しいな」くらいのものです。ノートのタイトルに偽りありですね。
私は就活しているときに「自分が大好きなことは仕事にしないでおこう」と考えていました。理由は明白で、「仕事で行き詰まったとき、好きだったものまで嫌いになりそうだから」。わかりやすい、ひねくれ者の考え方。
しかし実際やってみると、仕事で行き詰まっても、決して物書きは嫌いになりません。むしろなにくそと文章を一人で書く(ちょうど今みたいに)。めちゃくちゃ楽しいわけではないけど、ほどほど頑張れるくらいに楽しい。このニュートラルな感覚はなぜ生まれるのでしょう。
趣味を仕事にした方ならお分かりいただけるかと思いますが、仕事は良い意味でも悪い意味でも「仕事」だからなのだと私は思っています。
仕事はいいです。お金がもらえます。相手が欲しいもの、求めるもの、素晴らしい結果を残せば評価と金銭で見返りが来る。しかし反対にいえば、「求められているものは何か?」を常に意識しなくてはなりません。つまり、仕事では好き勝手やっていてはお金をいただけないのです。
アフィリエイトブログが一時期流行りました。文を書くだけでお金が稼げるなんて!と手を出した方もいたかもしれません。でも大抵うまくいかない。多くの場合、彼らが書くのは「自分が書きたいこと」であり、それは必ずしも需要にマッチしないからです。一部のブロガーや作家さんがとても人気があるのは、彼らの作風や観点が多くの人から「たまたま」求められているものだったから。もしかしたら、私たちが気付かないところで需要を探っているかも。
だから仕事で書く文章は、趣味で書くそれとは本質的に異なります。好き勝手かけないストレスはとても溜まります。好きだからこそ溜まります。これ自体は私が新卒の頃に恐れていたことでもあります。
しかし、大きく抜けていた観点がひとつあります。
「好き勝手できない。だからこそ、好き勝手できる趣味の時間は楽しい」
私が仕事で疲れたと言いながら、こんなだらだらと駄文をしたためるのも、単純に「楽で楽しい」から。大好きな文章で好き勝手できないストレスを、私はプライベートの文章で発散するのです。
そう考えると好きなことを仕事にするのも悪くないかなと思えてきます。
好きこそものの上手なれ。私は文章を書くのが得意だから、その点にストレスは感じません。仕事では好き勝手できないことだけストレスを感じる。これは、ひょっとすれば仕事で受けるストレスが、常人の半分になっているのかもと思うことさえあります。
さらにこの「半分のストレス」が実はプライベートな活動のスパイスになっているというのも、なんだか得した気分。好きなことを仕事にするのも悪くないんじゃあないかという気がしてきます。
ここでタイトル回収。
「好きなことを仕事にするとそれがもっと好きになるという話」
自由にできないストレスを、自由にできるところで発散する。
そうすることで、私はもっと物書きが好きになれたし、明日も仕事を頑張ろうと思うのです。