・年を取ると肉が食えなくなるというが、わたしはさかながダメになってきた。においがどうもよろしくない。毎日、肉がたべたい。ときどき、刺身。刺身はよいが焼き魚はもういいや。
・わたしとは主張のちがう人からコメントが来た。まあ、まっとうな内容に思えたので、反論というか、議論してもよかったのだが、初対面なのにあいさつがないのでやめておいた。
仲良くなってからあいさつがないのはかまわない。でも、最初はダメ。あいさつ大事。「あいさつにスランプなし」(松村邦洋)。あいさつができない人と議論をしてもしかたがない。そもそも議論自体、仕事や家庭でどうしてもしなければならないとき以外は近づかない方がいい。SNSで議論をするのは小人であろう。これ以上、小人にはなりたくないので、議論はしないでおこう。
・斎藤茂吉に、「山ゆゑに笹竹の子を食ひにけりははそはの母よははそはの母よ」という歌がある。
ははそはとは、柞原(ははそはら)のことだろうか。
柞原は、『柞の樹の生い茂っている原』(広辞苑)。柞(いす)はイスノキのこと。
・また、七倉イルカさんの作品にレビューを書いた。この人の作風と文章はわたしに合っているようだ。
『ショートショートを書きたい人は必読。』
https://kakuyomu.jp/works/16817330653109064533/reviews/16818093074470410878 きのう、カクヨムの知人とショートショートについて話した。
ショートショートとは、明鏡国語辞典によると、『気のきいた落ちをつけたごく短い小説』とある。別名を掌編小説、掌の小説(広辞苑)。
広辞苑では、『短編よりも短い小説の形態』とあり、明鏡とはオチの有無でちがいがある。わたしは、広辞苑の記述のほうが正しいと思う。
思う、と書いたことからわかるように、ショートショートの定義は、細かいところが、人によってことなる。
「短編」のもつイメージよりもさらに短いものを指すのは、みな共通しているところだが、とうぜん、「短編」がどのくらいの長さを指すのかは人それぞれなので、自然、ショートショートの長さも変わってくる。
ブリタニカ国際大百科事典に、詳細な説明が載っている。
『小説を長さで分けて、長編(原稿用紙300枚以上)、中編(同100~300)、短編(同20~60枚)と考えるのが普通である。これを海外ではnovel、novella、short storyと呼ぶ。したがって、ショートショートはこの短編より短く、きりりとシャープな小説を意味することになる。その中に、完全なプロット、新鮮なアイデア、意外な結末の3要素を備え、短編小説に必要なあらゆる技法を内包することを条件にする。日本では以前、川端康成の「掌の小説」という試みもあったが、1969年星新一の作品が直木賞候補となって以来、よく聞かれるようになった。最近のビジュアルな雑誌の中の気軽な読み物として重宝がられている』
いろいろとツッコミどころのある解説である。あくまで、ブリタニカ(執筆を担当した者)の考えである点に留意が必要だ。
気のきいた落ち(意外な結末)をショートショートの必須条件とすると、星新一の作品の半分ぐらいは、ショートショートではなくなるように思う。新潮社から出ている、「星新一 ショートショート1001」という本の看板はまちがっていることになる。
とくに後期の星は、オチの明確でないものが散見される。その点を考慮して、私は、星新一について書くときは、「短編作家」とすることが多い。
・めがねについて書いたエッセイで、木内敦子さんからレビューをいただいた。感謝。読専の方にもけっこう読まれている。
フラットな目線
https://kakuyomu.jp/works/16818093074351541666/reviews/16818093074471916224・KACで一万字以上書く企画に応募するため、12色、干支、12星座から一つづつ選ぶという条件で、12の作品を書くチャレンジをした。
結果、きのう、13話、1万2千字を書き終えた。読んでくれた方に謝辞を。自分的には、なかなかうまく書けたと思う。条件を満たすために、強引につくった話はあまりないはずだ。
昨日書いたところから
「その部屋」
https://kakuyomu.jp/works/16818093074252119011/episodes/16818093074466176959最初から
「結婚の報告」
https://kakuyomu.jp/works/16818093074252119011/episodes/16818093074252290543 ではでは。きょうは禁煙日なので、創作はしない予定。