当たり前のことを当たり前に思わないこと。
当たり前にある日常のありがたさ。
誰もが聞いたことあるような名言の中で当たり前を大事に思えている人はどれくらいいるのだろうか。
僕は元々身体が弱く、友達と遊べる時間のありがたさだったり、3年前に適応障害なり仕事ができなくなった時に仕事をできるありがたさだったり、生活ができていること自体に感謝を持って過ごしていた。
けど、そのような感謝を持っていても当たり前は当たり前じゃなくなるし、感謝すらなくとも当たり前を過ごせる人たちもいる。
僕は、今絶食を強いられている。
前回の「不幸と幸福」の近況ノートで述べたが、持病が重症化してしまい
入院することとなった。
小説の投稿が滞っているのもその影響だ。38.5度以上の熱が2週間続き体重が5kg落ち、薬も強めのものを使い、睡眠障害になったり頭がぼーっとしたりする副作用に見舞われていた。
入院し、治療してからは少しは体調が戻りつつ今こうして文章を書く余裕が出てきたところだ。
小説を楽しみにお待ちにしていた方、ごめんなさい。
書き途中の作品の登場人物はまだ物語完結しねぇの
って言う文句さえ聞こえてきてます。
ごめんね放置しちゃって。
ただその子達の為にできることをと思って、身体が動かせる時間は本を読んでいました。初めて、小説を書く側の目線として読み強い感銘を受けましたね。
「そう表現する手があったのか!」とか「この表現美しすぎる」とか「なんて構成力だ、読む手が止まらないぜ」とか
夢は作家になること。そこまでの距離感を嫌と言うほど感じました。
小説の中で紡がれている言葉達は、作家が感じてること考えてることの日常の一部が形になっているんだと、衝撃を受けました。
物語を書く上で大事なことは日常から、当たり前から何かを感じると言うことかもしれません。
早く小説を完結させたいです。
入院生活は今のところ5月下旬まで続き、退院後は1ヶ月自宅療養かなって感じです。
あまりにも長く休んでるため、お仕事は無くなりましたが療養中は時間だけはあると思うので待ってる登場人物のお迎えをしてあげたいと思います。それまでお待ちください。
治療の為、絶食を言い渡され6日目。
当たり前に食べていたご飯を食べられなくなり、今までの日常の中でどれだけご飯が楽しみだったかを知ることになりました。
友達と焼肉を食べたい、ラーメンを食べたい、お腹いっぱいになるくらいにミスドを食べたい。体調が良くなったらやりたいことリストを書いていたらご飯系のものばかり出てきました。
もう約1週間も胃の中に食べ物が行き届くことなく、今胃は暇をしてるのでしょうか。早くお仕事をあげたいものですね。
眠気が来たら寝る。食べたい時に食べたいものを食べられるそんな日常に早く戻るといいなぁ。