病気は嫌いだ。
このノンフィクションの通り僕は中学二年生の頃に潰瘍性大腸炎と言う病気を発症した。この病気は治ることなく、状態がいい時と悪い時、再燃と寛解を繰り返す国指定の難病だ。
発症のピークは20代30代で若年層が発症しやすいが14歳という年齢で潰瘍性大腸炎になるのは珍しかった。症状はまた書く別の機会があれば。
10年以上この病気と付き合っており、体調のコントロールも上手くできていたと思っていた。しかし、最近過去一番持病の調子が悪く起きるのもやっと、常に身体が炎症を起こしている、発熱、貧血、めまいが酷い状況だ。
その影響もあり、「朝焼けに噛まれた夜」の執筆が進まないでいる。未だ投稿できていないのはとても悔しい。楽しみにしている方ごめんなさい。
中学二年生で初めて発症した僕は、入院をし、食事制限がかかり、運動も禁止された。あれだけ美味しいと感じていたハンバーグも食べれなくなり、休みの日も朝から晩まで練習していたテニスもできなくなり、みんなと会うのが好きだったのに学校に行けれなくなった。
同級生が学校で過ごす中、僕は病院で過ごす時間が長かった。
この頃から、本をよく読むようになった。病気の自分を受け入れたくなくて、皆と同じじゃない自分を受け入れたくなくて空想の世界に逃げるように没頭していた。
この時まで何も考えずにただただ友達と遊びまわっていた。
この時から色々考えるようになった。
なぜ生きているのか。なんの為に生きているのか。生きると言うことはなんなんだろうか。
思想が自分の中でうごめくようになった。
太宰治は「本を読まないと言うことは、その人が孤独でないという証拠である」と述べました。
太宰治らしい皮肉の効いた言葉です。人によって色々な解釈があるでしょう。
けど、僕は病気で孤独を感じたからこそ本の世界に触れ合えたと思いました。
僕と言う人格が出来上がる一番の根っこの部分はこの出来事だと思います。きっとこのことがあったから今小説を書き、自分の思想を作品にしているんだと思います。
そんな僕が書いた処女作ですが、カクヨムコン9の中間選考を突破致しました。読者様のコメントで気づきましたね。病気と格闘している時はとても孤独感を感じましたが、僕の作品を少しでも気にかけてくれる方がいると思うと孤独感から解放されます。少しだけ楽になりました。結音さん教えてくれてありがとう。
コメント返しはしないと決めたのですが、作品の応援コメントやレビュー全部目を通しています。一行の感想、一言の感想でも生きててよかったなって思います。コメントは嬉しいです。
少しメタい話にはなりますが、苦手な方はブラウザバックしてください。
僕は自分の作品を世界一面白いと思い、公開しています。唯一僕の自己肯定感が高いところです。
だからこそ、中間発表は突破すると思っていました。
そして、最終選考。編集部の方に作品を見ていただくチャンスです。もしかしたら他の作品も目を通してくれるかもしれないそんな思いもあり、新しい作品を書きたかったのですが、体調が足を引っ張ってしまいました。
けれど、作品は近日中に仕上がるので楽しみに待っていただきたいです。
ある文学者は「作家は本を始めるだけである。読者が本を終わらせる」と言ってました。
読んでいる方いないと本ではないし、作家とも言えないです。初めての作品でこれだけの方に見てもらい、感想をいただき、応援をしていただき、心にくる物があります。作家になりたいと言う気持ちが強くなりました。
本を始めようと思うことができる僕は幸福だと思います。
前まではよく想像することがありました。身体が丈夫で過ごしている自分を。
恐らく、順調に何も違和感なく社会に溶け込めていたと思います。平日はみっちり働いて、その後同僚と飲んだりして、休日は趣味に打ち込んだりして、記念日には恋人と過ごす。
傍から見れば幸せだと思います。
体調はすぐに悪くなるし、考えすぎてすぐストレスは抱えるし、そしてまた体調は悪くなるし、社会には馴染めないしで
周りから見たら僕は不幸かもしれないです。
けど、僕は自分のこと不幸と思ったことないです。
苦しみが無ければ思想は生まれず、不満がなければ創作はないです。
昔から自分の感情に疎かったですが、小説を通して自分の感情を知ることがあります。楽しいことであったり、嬉しいことを知る瞬間もあれば、人に対しての嫉妬や恋心、自分の過去の心の傷など気づきたくないことにも気づき、とても苦しい瞬間もあります。
というより作っている時は苦しいことばかりです。
僕が経験した苦しさの中で出来上がっています。
普通の人に対しての憧れ、生きづらさの不満、理想の生活と今の生活のギャップ。
書いている時は自分の感情に直面してとても辛いです。苦しいです。
けど、これまでにないほど生きてるって感じる。
作品を完成させた高揚感と読んでくれてる人がいる喜び。これを一度感じたらもう書かざる負えないです。生きていく上で書くのが幸せなんだと思います。
今までの人生、何か一つでもかけ違えていたら、今の僕はいないです。
周りの友達もいないし、友達を大切に思える感性もなかったかもしれないし、有限を知らずに周りの物事を雑に扱ってたかもしれないし、読んでくれる方もいない。
病気にならなかったら気づけなかったことがいっぱいある。
きっと作品を見てもらえる快楽も知らないままだったと思う。
その快楽を求めるためにとても苦しみながら書くことにもなってないと思う。
苦しいと思いながらも、もう僕の人生は書かざる負えないんだと思う。
だから僕は、病気が嫌いだ。