自分は終わりというものに拘り過ぎていたんだと思う
窮屈に考えすぎていた。もっとラフに考えてもいいのかなと思う
天之神社まで書き終わって、1か月間を開けて、また、変な動機でカー学の続きを書き始めて、少し違う思いが湧いてきた。
別に、厳密な完結扱いに拘らなくてもいいんじゃないかと。ややみっともなくても、連載中にしてさ、たまに話を思いついたら投稿してさ、それくらいのスタンスでいいんじゃないかなって
カー学は終わったけどさ、僕の人生は終わらなかったんだ。何もなく、漠然と、寂しい日々が続いていた。カー学を書くこともない、怠惰な日々が。それで、色々失敗して、結局カー学を書くことになって、その作業の中でようやく気づいた。
終わりなんかないって。
人生をは続いていくんだって、いくら終わりを求めても、何かを終わらせたあとにくるのは、また当たり前の日常で、僕の人生には終わりはこなくて。
何が言いたいかって僕は漠然とした終わりを求めていた。それは成仏、浄化、救済、安寧、そういったもので語られる、死とはちょっと違う、何となくの漠然とした終わり。何かを始めると、完璧な終わりを求めてしまう。それは多分贖罪だったのかなと思う。
僕がずっと引きずっている後悔、それはやるべきときにやるべきことをやらず、真っ当せず、そして奈落のような現実に叩き込まれたことだから。何かをするとき、失敗すると、地獄に落ちると思うのは、その記憶がトラウマになっていたから。だから、二度とあの思いを繰り返したくない。だから何かをやるとき徹底的に終わりを求めてしまう。全うしないことは地獄に落ちることだから。怖くなる。
でも、凄く軽く、簡単に考えたくなった。
作品にとって、読者にとって、一番いい終わり方ってなんなんだろうって、考えた。それで、思った。
生きてるって思えることかなって。
終わらないことかなって。
僕が普通に生きて、普通に執筆して、普通に活動し続ける。生きて活動し続ける。それが多分、読者にとって一番生きてるって思えると思う。それが、一番いいだろうなって、今は思ってて、今の僕の結論です。
普通に生きるよ。そしてさ、頑張るよ。
またくだらない投稿するかも。没ノートとかさ。その時は笑って許してね。
Xみたいに、普通に楽しい投稿とかもしたいな。新作書くのは遅れるかもだけどそれは許してね。僕は知っての通り安定感のまるでない作者なのです。でも、大事な人にたくさん応援もらったからね。書くよ。
カー学の読者にあんま心配かけたくないからさ、強く生きるよ。本当はさ、いつもみたいに結構ヤバイノート描いてた。でも、小説書いてたら引きずりながらも心境変わったんだ。不思議だよね。小説は人を救って、成長させる力があるよ。だから、ずっと書き続けてたんだろうな。
天之神社の話は結構書けてるからその内投稿するね。
最後に、2章をあの形で書いてよかった。今は心の底からそう思ってます。ちゃんとさ、2人の成長と関係がさ、綺麗に描けててさ、意図したものじゃないけど、それって奇跡だよね。