外山滋比古先生は『異本論』のなかで推敲には「距離」が必要であると述べられました。この「距離」というのは空間的なものと時間的なものの二種類があり、前者は翻訳されて海外の人に読んでもらうことを意味するので、これは他の文化圏で分身を育てている人でない限り到底個人でできるようなものではございません。しかし、後者は個人でも可能です。
拙著『転生なんかクソくらえ』は去年の六月くらいから書き始め、八月に一度ゴミとして完成いたしました。つまり目も当てられないほどひどい出来だったわけです。
それから二ヵ月ほどの時間的距離をおいて推敲(というよりはもはや書き直しレベルだったんですが)をし、本年一月よりカクヨムで投稿をはじめ、二月あたまに完結まで漕ぎつけました。
ですがほぼ新しい小説が出来上がったわけですからこれはまだ「ちゃんと推敲された文章」とは言い難い。なぜかといって、推敲しようにも時間的距離があまりに足りませんでした。ということで二ヵ月という時間が経った今、そのやり残していた推敲にやっと着手するに至った次第です。
しかし実際時間をおいて自身の文章を読み返すと酷いものですね。「この表現いいな」としたり顔していた過去の自分をひっぱたきたくなるのは当然のこととして、物語の根本には影響しないものの、明らかに「それおかしいだろ」みたいなところがウジ虫のようにわき出てきます。
それら全てを取り除けたかというとそうではないですが、まぁ「多少マシにはなった」とは言えるくらいになったかなと。とりあえず、『転生なんかクソくらえ』に関して今後は誤字・脱字・衍字の修正以外はほとんど手を加えないだろうなという感じです。
さて、誰も待っちゃいない私の次回作についてですが、独りよがりついでに言及しておきますと、テーマは「科学と落語」に決まっております。
ただ、カクヨムで投稿するかと言われるとそこはちょっとわからないところで、もし間に合うなら次はnote創作大賞にでも応募してみようかなと。ただちょっと読まなきゃいけない参考文献が多くて参っております。
果たして次回作は本当にあるのか――? それが一番注目されるべきところなのかもしれません。