中編「M/キミがいない世界で、キスなんてできない」の連載を開始しました。
M/キミがいない世界で、キスなんてできない
https://kakuyomu.jp/works/16816927860723618299元は2015年春の東京文フリで頒布される同人誌への寄稿作として書き下ろした作品です。「うちの家族のこと」というお題のアンソロジーでした。
先日完結した「Agnus Dei」もこのアンソロのために構想したのですけど、土壇場になってこっちを書き出して一気呵成に仕上げて提出したのです。当時のタイトルは「world's end island」でした。
たしかそのアンソロは文フリで即日完売して通販の在庫もなかったと記憶しています。そんなわけで長いこと読む方法がなかったのですけど、いまさらになって気まぐれで公開することにしました。
同じお題だけあって、内容的にも「Agnus Dei」と共通する部分が多く、姉妹編のような立ち位置となっています。
さらに言うと処女長編「放課後のタルトタタン」に引き継がれた要素も少なからずあります。ローカルな信仰や、優しそうな住民の二面性など。
これはちょうど同じ頃に放タルの構想が固まりつつあったからでもあります。
また、公開にあたり、宮﨑勤の発言をエピグラフとして添えてみました。詳しくは書けませんが、この作品は宮﨑勤にまつわるノンフィクション――特に『M/世界の、憂鬱な先端』が発火源となっているからです。宮﨑事件なくしてこの作品はあり得ませんでした。
同時にイメージしていたのは、当時の感覚からしても一昔前となるゼロ年代のギャルゲーでした。
優柔不断な主人公とヒロインたち。ボーイミーツガール。夏の青空。そんな感じです。
わたし自身はギャルゲーと言ったら『パワクロクンポケット』シリーズしかやったことがないのでぼんやりしたイメージでしかないのですけど。
美少女に囲まれつつ特定の誰かと付き合っているわけではない、モラトリアムな日常。
宮﨑勤の言葉を借りるなら「甘い世界」です。その危機を描くのが眼目でした。
その危機を具象化したのが怪異である「魔臼」の設定でした。これも宮﨑勤の供述に登場する「ねずみ人間」から想を得たものです。
また、Mouth、口とのダブルミーニングでもあります。ねずみの鳴き声とキス。2つの「チュー」が鍵を握る話でもあります。
宮﨑事件からはもう30年。ゼロ年代が終わって10年。発表からさらに7年の時間が経ち、よりノスタルジーを感じさせる内容になっていると思いますが、読んでいただけると幸いです。