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歴史短編の裏側、備忘録①

 とある曲を聴くと、いつも想像してしまうシュールな光景。

 そんなものを書くために雨の中を遠方の図書館まで向かい、クソ重たい史料(内容的に)を二冊もゲットしてきた私は大馬鹿者です。我が事ながら笑ってしまいます。

『フライング・ゲットー』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054891696760


 読んで下さった皆々様、そしてこんなところまで来て下さった皆様、誠にありがとうございます。

 何度でも申し上げますが、この事件は捏造です。フィクションどころかファンタジーです。
 私は私の妄想を文字に起こしただけなので、解釈はご自由にどうぞ。どんな感情を持つべきかも含めて各位にお任せします。

 ただし私は、決してユダヤ人虐殺の歴史を軽んじて書いたわけではありません。むしろこの作品を通じて知識が広まればいいなと思っています。
 そこのところだけ誤解の無きよう。


 さてオマケにちょっとした解説をば。

 ユダヤ人による「ワルシャワ・ゲットー蜂起」(1943年)とワルシャワ市民による「ワルシャワ蜂起」(1944年)は別物なので混同しないように。私はしてました。(おい)
 ワルシャワ・ゲットー蜂起の後にユダヤ人たちが連れて行かれた「絶滅収容所」──要するに即殺害されるということ──の代表として、作中ではトレブリンカを挙げましたが、これはワルシャワから近いので大半がそこに移送されたんですね。
 「絶滅収容所」は基本的にドイツより東に作りました。ナチスは秘密主義なので、特にドイツ国内では残虐行為を隠したかったのです。アウシュヴィッツもポーランドの南の方ですね。
 因みにアウシュヴィッツ収容所に最初に収容されたのはポーランド人の政治犯たちです。アウシュヴィッツが「絶滅収容所」を兼ね始めたのは1943年3月からで、作中の1941年の時点ではまだガス殺はしていません。

 ドイツが戦争に負けた要因の一つは、資金や技術をホロコーストに費やしすぎたことだとも言われていますが、ヒトラーにとってはそもそも絶滅政策も戦争の一環でした。戦争によって「ドイツ人の生存圏」を広げると同時に、そこから「劣等な者たち」を排除せねばと思っていたようです。バカですね。

 そんで、戦争でドイツが降伏したあとソ連軍が東からぐいぐいと西進して占領地区を解放していくわけですが、それから逃げるようにユダヤ人たちは西へ西へと移動させられていきます。徒歩です。いわゆる死の行進というやつです。
 かのアンネ・フランクはアウシュヴィッツで強制労働させられていましたが、敗戦後は行進に参加、最終的にはドイツ西部のベルゲン・ベルゼン収容所にて力尽きて亡くなりました。
 そうまでしてナチスは、ユダヤ人虐殺の実態を隠し通したかったんですね。バカですね。

 そしてそのユダヤ人たちについてですが、別に「ユダヤ人」という人種が確固としてあるわけじゃないです。ナチスが「祖父母の一人がユダヤ教徒の者」を「ユダヤの血統を持つ人種」としたという破綻的な定義です。
 あとはシンティ・ロマもユダヤ人と同じ扱いを受けましたね。ナチスによると人種には優劣があって、「アーリア人(特に「ゲルマン人」とかのこと)」より「スラヴ人」は下等で、「ユダヤ人、シンティ・ロマ、共産主義者など」は最下位という感じらしいです。
 「ゲルマン人」の中にも優劣があったみたいで、同性愛者や精神障害者なども、血統を穢す者として扱われました。さらに、オーストリア人は純粋な「ゲルマン人」じゃないんだとか(なおヒトラーはオーストリア人です)。

 結論。奴らは支離滅裂です。


 ……ドイツではこんなにホロコーストの仔細が判明しているというのに、日本ときたら……イエナンデモナイデス



 ……あと、ついでに。作中でヒトラー・ユーゲントの間で流行った歌の歌詞、最初は元ネタ通り「フライング」にしてたんですけど、敵性語をわざわざ使うことなどありえんだろうということでボツにしました。

 あとあと、この短編の宣伝のために(というのは半分嘘で、単に私の趣味のために)、音楽と動画を自作したので、よかったら見てみてくださいね。
https://twitter.com/ricoshirasato46/status/1188260382705455104?s=21



参考文献
 ヴァンゼー会議記念館編著『資料を見て考えるホロコーストの歴史 ──ヴァンゼー会議とナチス・ドイツのユダヤ人絶滅政策』横浜市立大学新叢書、2015年
 エマヌエル・リンゲンブルム『ワルシャワ・ゲットー』みすず書房、1982年

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