• 恋愛
  • 創作論・評論

【作品紹介】『迷える子羊の読書録』でのカクヨムコン10応援のはずですが……

久しぶりに感想・作品紹介エッセイ『迷える子羊の読書録』を更新しました。
https://kakuyomu.jp/works/16818093085464641449/episodes/16818093089967938053

今回は書いても書いても完成したと思えず、結局時間ばかりかかって、とち狂ったかのように9200字も書いてしまいました。しかもカクヨムコン中にヘミングウェイの短編『キリマンジャロの雪』の紹介です。

でも、これには意味があるのです。私は、10月末に九月ソナタさんの評論をきっかけにこの短編を読みました。九月ソナタさんは、この短編の重要なモチーフ「書きたいものは、まだ何も書いてはいない」をカクヨムコン10に挑戦する皆様へのエールとしています。

『キリマンジャロの雪』(九月ソナタさん作)
https://kakuyomu.jp/works/16818093087341546370

私もそれで『キリマンジャロの雪』を読んでみて、カクヨムコン10に挑む皆様へのエールとして相応しいと感じました。ですので、他の作者さんお勧めの小説を紹介する「お勧め、読んでみた!」コーナーでこの短編を取り上げ、九月ソナタさんからの応援エールのバトンを皆様に渡していきたいと僭越ながら思いました。

だから本来はカクヨムコン10開始前に紹介記事を公開し、今頃はカクヨムコン10応募作品を紹介しているはずでした。でも記事を書いているうちに、エールから脱線して自分の「書きたいもの」になってしまい、まとまりがつかずに超長文になり、時間ばかり経ってしまいました。これからはカクヨムコン10応援を名ばかりにしないように頑張ります。

それでは恒例の粗筋を近況ノートでも紹介します(結末までネタバレ注意)。

【粗筋】
アフリカ最高峰と言われるキリマンジャロの西側の頂近くに干からびて凍った豹の死骸がある。だが豹がこんな高所で何を求めていたのか誰も知らない。

作家のハリーは、妻ヘレンと共に東アフリカにサファリに来たが、茨の棘に刺された時の不適切な処理から脚が壊疽にかかってしまった。折悪くジープが故障し、救援を待っている間に壊疽の症状が進行し、ハリーは生死を彷徨う。壊疽の腐臭に誘われて昼はハゲタカが、夜はハイエナがキャンプの周りをうろつき、ハリーを益々弱気にさせるが、ヘレンは彼をなんとかして励まそうとする。でもハリーは自暴自棄になり、彼女に悪態をつく。

ヘレンがハリーの元にいない間、彼は世界各地での思い出を走馬灯のように脳裏に浮かべ、意識が現実と夢の間を行き来する。そして自分がどの出来事も未だに書いていなかったことに呆然とし、金持ちの女から女へ乗り換えて貪った怠惰と放蕩によって、才能と時間を無駄にしてしまったことを悔いる。ハリーはその遍歴の中でヘレンにも出会い、書きたいものも書かずに無為な時間を過ごした。その苛立ちから、ハリーは『金持ちのビッチ(rich bitch)』と彼女を罵ってしまったが、自分の責任だと本当は分かっていた。

ある朝、待ちに待った救援の飛行機がやって来る音がした。飛行機はハリーを乗せて離陸し、高度を上げていく。眩しい光の中に冠雪したキリマンジャロが見えた。ハリーが行こうとしている所だ。

ヘレンが夜中にハイエナの奇妙な声で目覚めると、見るに堪えない状態のハリーの脚が蚊帳から突き出て簡易ベッドからぶら下がっているのが見えた。彼女がいくら呼んでも答えはなく、ハリーはもはや息をしていなかった。

*****

乱暴に一言で言ってしまえば、身も蓋もないバッドエンドです(俗的な描写ですみません)。ハリーが金持ちの女から女へ乗り換えてツバメのような生活をしているうちに、「書きたいものは、まだ何も書いてはいない」のに死ぬ羽目になってしまったんですね。なので、書きたいものは先延ばしにしないで書きましょうというのが、ハリーの悲劇から言える教訓です。

素晴らしい紹介をしてくださった九月ソナタさんは、「砂漠を舞台にした愛と友情のファンタジー長編小説」『エメラルド色の秘密……』でカクヨムコン10に応募されており、カクヨムコン10【短編】応募用の短編も当分の間(2024/12/1現在)、毎日1作ずつ投稿していくそうです。それら短編の詳細は、九月ソナタさんのプロフィールページの小説一覧をご覧下さい:
https://kakuyomu.jp/users/sepstar/works

『エメラルド色の秘密……緑目の少年が砂漠にいたり、足の悪い少女がラクダレースの絶対王者だったり、もと山賊でダンサーの少年が王子になったりするちょっと変だけど、おもしろいかもしれない愛の物語』
https://kakuyomu.jp/works/16818093086215044422

※写真はギリシャの無名兵士の墓を守るエヴゾン/エヴゾナス(複数形エヴゾネス/エヴゾニEvzones/ Evzonoi)。『キリマンジャロの雪』にもこの服装の兵士達が出てきます。
出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Evzone_ceremonial_clothing.jpg

4件のコメント

  • 私が「キリマンジャロの雪」を読んだのはその昔漫画の「BANANA FISH」を読んだ時だった。アレを読んだ人はたいていヘミングウェイやサリンジャーを読んだのではないかと思う。自分も恥ずかしながら多分に漏れずそのクチだ。

    読まなければあの漫画を真に理解することは、出来なかっただろうと思う。いや当然全て理解したとは思っていないが、やはり作者と同じフィルターがなければ同じ尺度で読めないとは思う。

    「キリマンジャロ雪」の冒頭の豹について、主人公アッシュはこう語るのです。

    「俺は自分の死を思う時、このヒョウについて考える」
    「ヤツはなぜ、何のためにそんな高地へとやって来たのか。獲物を追い彷徨ううちに、戻ることのできない場所へ迷い込んでしまったのか、それとも何かを求め、憑かれたように高みへと登り詰め力尽きて倒れたのか」
    「ヤツの死体はどんなだったろう? 戻ろうとしていたのか? それともなお高みへと登ろうとしていたのか。いずれにせよ、ヤツはもう二度と戻れないことを知っていたに違いない」

    「キリマンジャロの雪」がその前編に渡ってこの豹のイメージがついて回った様に、このイメージが主人公アッシュの人生へとフィルタリングされるからです。

    当然私の解釈なので、作者の意図するところまではわかりませんが、この話があることで、物語のクライマックスの解釈がまるで変わってくるのです。ヘミングウェイの小説の様に。

    ハリーがどう死ぬかと言う事にあんなにこだわって描かれたこの名作をハリウッドはグレゴリー・ペックを使って超改変させましたが、あれはこの作品に対する冒涜でしかないでしょう。冒頭の豹が、何の意味もなさない。まあ、あくまでも私の感想ですが、小説のラストをバットエンドと捉えるか否か、これとまた人それぞれだと思われ、やはり文学と言うのは素晴らしいと思う次第です。

    長文失礼しましたm(_ _)m
  • とても参考になるコメントありがとうございます。
    私もBANANA FISHを読んでましたが(でも全部じゃない)、アッシュの言葉は全然覚えてないです(汗)

    映画のハリーはキリマンジャロでミイラになってしまった豹が単に道を間違えてしまったんだと結論付けていました。それが情緒もへったくれもなくしてしまって私はマイナスに感じました。あの豹は、何かを求めて高みに上ったんだと思うほうがハリーの渇望感に繋がると思うのです。

    私もあの映画は陳腐過ぎる展開と結末で傑作とはとても言えないと思います。観客の反応への恐れとヘイズコードに縛られ過ぎていたと思います。

    バッドエンドというのは、ちょっと俗的に書きすぎたと思いますが、悲劇ではあると思います。
  • 田鶴さま、
    あああ、私の評論を取り上げてくださったのに、非公開にしてしまっていて申し訳ないです。すぐに公開にいたします。
    拙文を取り上げてくださる方がいらして、それも、こんなに丁寧に書いてくださるなんて、初めての経験。光栄すぎて、穴を掘って隠れたい気持ちです。
    『迷える子羊の読書録』の本文のほうは、しっかり読ませていただき、後でコメントをさせていただきます。どうもありがとうございました。
  • 九月ソナタ様
    コメントありがとうございます。
    評論をまた公開してくださるそうで、お手数おかけしてすみません。
    実は、うろ覚えで書いた部分もあり、九月さんの評論から、かなり脱線してほとんど独り言になってしまっています。
    期待外れになってしまっていたら、すみません。
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する