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20230324

私は私自身に就いて語る場合に、過去形でそれを行わなければ安堵できぬというある種の臆病を患っている。
いつだって何者でもあり得ない私自身が、時間の流れに晒されて、嘗てあり得た何者かへと化合していく様を写し取る化学実験じみた方法が、私にとっての言葉であるのかもしれない。

自分を白刃に喩えることができるなら、時間は血汐であり、言葉は錆であろうか。しかし、だとすると、錆は刃の通りを悪くするので困る。

言葉は我々に流れる時間に対しての堰にはならない。我々は往々、それを夢見るのだが。

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