「不可能、形態、能力」という形式それ自体に意味があるのではない。これもまた表現されたひとつの形態に過ぎない。
しかし、凡ゆる真理は、それ自体がそのまま発見されてくることはあり得ず、表現された形態の背後に(自然法則を表す数式が良い例だろう)、亡霊のようにして霊感されるくらいが関の山である。
私は上記3つの観念を用いて、世界の竜骨を成す再帰の構造を表現したかったに過ぎない。つまり、再帰的な表現による形態が、世界そのものの形態を表現し得るような、一段上位のメタ的な再帰の構造の可能性の一例として、これを提示したに過ぎない。
凡ゆるものは再帰で表現され得る形態であるはずだ。世界に秩序があり、それを表現し得る何らかの手立てがあるのなら、凡ゆる複雑は、凡ゆる単純の再帰的関係性によって表現された形態であるはずだからだ。