こんにちは。小森秋佳です。
今回は先日公開した作品、『噓でもいいから』について色々と書き記していこうかなと思います。
唐突ですが、皆さん、恋、していますか。恋愛っていうものはとても素晴らしいものだと私は考えていまして、人を好きになる、その人への溢れんばかりの想いに胸を焦がすなんていうのは尊ぶべき人生の一瞬だと思うんですね。まあ、かくいう私は長らく誰かに恋していないのですが……。だがしかし、人を好きになる経験はありましたので、その時の熱い熱い思いを思い出しつつこの作品は書き上げました。
持論ですが、恋愛って、制約があればあるほど情熱的に燃え盛るんだと思っているんですね(現実的な問題は別においておいて)。ドラマチックな恋、禁断の恋って言うんでしょうか。『ロミオとジュリエット』なんかその代表例ですよね。仲の悪いお家の息子・娘が恋に落ちる。嗚呼、なんてロマンティックなんでしょう。
この例で行くと、「お家柄」っていうのが一つの制約ですよね。この「制約が恋愛の火に油を注ぐ論」って最近の小説にも通ずるところがあると思っていて、ヒロインが不治の病に罹っていて余命宣告されていて……っていうのは結構王道になってきましたね。主人公の暗い過去とか、ファンタジー系で言うなら不老不死の相手に恋しちゃったとか、考えてみると自分が好きな恋愛小説って、大体主人公一行に何かしらの壁がある気がします。それを乗り越えるのか、甘んじて受け入れるのかは別にしても。
性別って言うのも、ある種の「制約」ではないかと私は思います。いや、そりゃ昨今は多様性の時代っていうのは重々承知で、LGBTがどうとか性自認がどうとかそういう話も聞き及んではいます。けれど現実的な事実として異性に恋する人間って言う括りの幅が広くて、同性に恋する人間っていうのはそれよりも少ない。「マイノリティが積極的に声を上げていける社会を」とかいう啓蒙が出来る人が全てではないし、まして高校生という多感な時期を鑑みれば、「目立ちたくない、みんなと同じ顔をしていたい」と思うのは、言ってしまえば至極当然の反応ではないでしょうか。
けど、そう思ってはいても、燃え盛る恋の炎は、自分じゃどうしようもできないわけですね。日々募る想い、現実との葛藤、好きな相手は自分の事を友人としてしか認識してくれない、そのもどかしさ。一友人として彼女を大切に思う気持ちと、彼女を好きになってしまった一人間としての気持ちが、日々乖離していきます。それでもひたむきに、それでいて切なく、全ては彼女のために苦悩する。「性別」という大きな壁が立ちふさがっていても、彼女を愛さざるを得ないのです。そこに、私は美しさを感じるのです。
『嘘でもいいから』は、主人公夏帆の、遥香を思う相反する二つの気持ちに焦点を当てました。自分で書いておいてなんですが、夏帆ちゃんは本当に良い子なんですね。真の意味で遥香を愛していた彼女には、今後どうにか救われてほしいと思うばかりです(全ては私の筆次第……)。
とまあ、こんな感じで。この小説を書いた動機には、人に恋する美しさというのを、どうにか限りなく綺麗に描けないかというものがありました。あえて百合という体裁を取ったのは、恋愛作品に男が出てくるとどうしても少しばかりむさ苦しくなってしまうからですね。白百合のような透明感、儚さを描けるのも百合小説のよさなのではないかなと思っています。
ということで作品紹介はこれにて。小説、まだ一作しか投稿していませんがそろそろ次作を出そうと思っています。どうぞお楽しみに。