長らく、カクヨムではよほどのことがない限り短編以外には手を出さないでいたのですが、なんとなく最近栞をペタペタと。
こちらが気づいてないだけで、おもろい作品はたくさん埋もれてるんだなあ、と——当たり前のことをきちんと認識した次第。
で、それと同時に積ん読状態になりかかっていて、これはいかんと思うと同時に、並行して作品を読むうちに、あれ、なんだかこの感覚覚えがあるな、と。
そう、それは少年時代の私が、週刊少年ジャンプを買いに小銭を握って近所のたばこ屋まで走って行った時のような。
私がジャンプを購読するようになったのが、いくつだったか。八歳か九歳か、そのぐらい。で、田舎というのもあったんでしょうが、小学校二年生でジャンプを読んでる子らはおらず、しかも書店なんてないので(わが町に書店ができたのは、中学生になった頃でした)、走っていけるたばこ屋の、確か週に二冊か三冊か配送されるジャンプを手に入れるしかありませんでした。
ところで、少年漫画自体は、購入することなく読んでました。月に一度、親父と床屋に行き、その床屋にある漫画を読むのが楽しみでした。ジャンプ、マガジン、サンデーは揃ってたと記憶してます。時に抜けてたり、なぜか同じ週のが二冊あったりとまちまちですが、親父と床屋へいって、大体私が先に、それから親父の整髪が終わるまで漫画を読み耽り、時には「ちょっと待って、お父さん。ぼく、まだ読み終わってない!」などと待ってもらったりしたものでした。
牧歌的よのう。
それで、——と延々こども時代の漫画との触れ合いを書いててもキリがないので、エピソードをひとつだけ。
小銭を握りながらたばこ屋へ走り、無事ジャンプを入手して、早く読みたいからまた走って帰る途中、土方のお兄さん(おっとこの表現ひっかかるかな?)に、
「坊主、そんな小さいのに、そんなやらしい漫画買ってんじゃないぞ!」
とからかわれ、
「やらしくないもん!」
と怒りながら走り抜けた記憶があります。
でも、いまにして思えば、きっとお兄さんは、「ハレンチ学園」とか、あーゆーイメージがあったのでしょう、きっと。
モノクロの、親父の高校時代の文化祭の写真に、親父扮したヒゲゴジラを発見したのはいまではいい思い出です。
ただ、三人ヒゲゴジラはダメだろ。
ひな祭りかなんかか。
写真は、射倖的な何か。