考えれば考えるほど深みにハマるというか、なかなか難しい問題です。面白く書こう、こう書いたら面白くなるはず、大抵の作者は考えて書いてるはずで、にも関わらず出来上がったモノが面白くない。ザラです。よくある話です。なのに、じゃあそういった人が「面白くなくてもいいや」とヤケになって書いたら、目論見通り面白くなくできあがるのでしょうか?
はち切れたことに拠る面白さや、自爆ぶりが面白さへ繋がったりと、意外と達成は難しいような気がします。
そもそも各自の考える面白い/つまらないの軸がどこにあるか、という問題も……。興味ない人がP PC6001でイースのオープニングを再現されたのを見せられても、は、だから? でしょう。ところがそこに熱狂的な面白さを見てしまう人は確実にいる。パチンコでいえば、……あ、パチンコはいいですか、さーせん。
という意味では、「面白くなかった」と過去に自分が読んで感じたものを提出することは、ひとつの意味があるはずです。
例えばそれは、コレを小説といっていいのかわかりませんが『惑星P13の秘密』(高橋源一郎、角川文庫)であり、『カムナビ』(梅原克文、角川ホラー文庫)であり、『黒い仏』(殊能将之、講談社文庫)だったりします。
全て私の好きな作家です。いま書いた作品を面白い! とかすげえ! とかいう読者もいるでしょうが、私は思い切り裏切られた期待感に愕然とし、金返せー! と叫んだものです。なお燦然と輝く、いっそ焚書しようかと思ったほぼ唯一の作品は『コズミック』です。もう金はやるから読んだ時間返せ!