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特に重要ではないけど、自分で書きながら感じたこと

たまに思うのですが、言葉が浮かんできて、いざ文字起こしをしてみると、それほど面白いことは書いてないんだけど、それが面白かった自分がいて、その理由をちょっと考えていました。案外、理由は簡単で、そこにイマジネーション(想像)ができるかどうか。目から入ってくる情報に対して、シチュエーションが浮かばないと面白くないんだなと思いました。
あえて、そこに挑戦して書いている小説ですけど、今はどうなんでしょう。昔みたいに色々情景を書かなくとも、僕は成り立つと思って書いているのですが、なんとなく、ラジオの聞き方みたいなもの、つまり人間が五感の1つで感じたものを、自分で膨らませないと、面白くないのかなと。そう考えると、人間って生き物は非常に高度な知的を持ってるハズなんだなと思うのですね。
タイパが叫ばれる現代において、果たして五感から受け取る情報を頭の中で考える能力が磨かれているのかどうか。解説動画が流行ってしまうのも、なんかその辺のイマジネーションが欠けていった結果なんじゃないかと思ったりするんですよね。
小説とはなんぞ、と考えると、たしかに情景など、細かい情報を書き込むことが重要かなと思ったりするんですけど、面白いと勧めてくる小説を読んでみて、たしかに話は面白いけど、そこに描かせるイメージを固定させることは正しいことなのか?作者の方はそれを意図としているのか?というのが、正直良くわからない感じですね。

確かに情報を細かく書いていくことが、いい作家の条件なのかもしれません。でも、そこに書いてある文章を想像で膨らませて、考えることで、もっと面白くなる世界はあると思ってます。

考えることは面白いんです。でも考えることで苦痛を味わったり、トラウマになったりする人もいるわけです。本来、僕らはそういう机上で生きているハズなのに、面白いことも、つまらないと思うことも、一方通行でいいのだろうかというのは、ずっと考えてることです。

まあ、なんでこんなことを書いているかというと、自分が面白ければいいと思っている小説を読んでいる時、情景が頭に浮かぶから、作者の僕は面白く感じるわけで、もしかして読者の方はそうでもないのかなと思ってしまったからです。

僕は受け取り手にすべてを委ねます。ただ、今更ながらに、もったいないよねと言ってもいいのかなと思っただけです。


おしまい

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