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「流氷姫は微笑まない」の譲歩

https://kakuyomu.jp/works/1177354054886749032/episodes/1177354054886908374
 上、このあいだまた手を加えた「流氷姫」の新月です。
 義体に移ってから目を覚まさないエウドキアを前に、舞子が「私たちがやっていることは生命への冒涜じゃないのか」と松浦に訊く、そこんところの議論を追加したのです。
 彼女の問いかけそのものは彼女の父の請け売りかもしれないわけですが。

 この物語の登場人物はだいたいが内側の人間で構成されている。九木崎の内側にいる人間、サナエフの内側にいる人間、あるいは人間でなくとも何らかの存在。
 そうすると、彼らはもともとブレインマシンインターフェースとかを肯定している人間の集団だから、人間中心主義、アントロポモルフィズムの妥当性を語る時に身内だけでやっているとどうしても意見に偏りが生じてしまう。それはまあ構わんじゃないかという方向に滑っていく。
 碧と矢守は人間じゃなくたって、獣だっていいじゃないかと言ってる。
 松浦と舞子は必ずしも義体化を否定していない。舞子はそれを松浦に提案までしているわけで。
 そうなると「内側の人間」たちと持論の異なる読者はただ議論が遥かなる宇宙へ昇っていくのを見送るしかなくなってしまう。
 それではいけない。物語的に譲歩したくなってくる。つまり「内側の人間」たちに問いかけ立ち止まらせるキャラが必要じゃないかと。
 舞子の父はその点九木崎の外部にいて娘の舞子の仕事をあまりよく思っていない人物ですから、内側の人間たちの意見をぶつける相手として不足はない。そういうわけでキャラが増えるの承知で登場してもらったのです。
 ただ本人としては娘が連れてきた松浦にあまり真っ向から論をぶつける気にはなれないだろうし、実際AIの進歩を人間の尺度で捉えるくらいのところに留まっている。
 彼の本心を一番聞けるのはやはり舞子なので、新月では舞子が代弁している。
 そういった意味では「流氷姫」の中で舞子は非常に二面的なキャラとして仕上げることができるはずなのですね。現状、義体制作に熱を上げてるところなんか非常に「内側」寄りに見えているはず。どこかで立ち止まったところを見せられたら釣り合いが取れるかもしれません。
 

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