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「私の支配者」投稿完了!

 プロローグを投稿したのが2018年4月15日、終章(エピローグに直しました)を投稿したのが同7月30日なので107日がかりでした。
 当初はだいたい80個節あるので80日くらいと言ってましたが、第2章から長い節が出始めて節を分割するようになったので延びたというわけです。結局毎日投稿にならなかったのは1週目だけでしたね。むろん気乗りしなくて23時台の投稿になっているところもありましたが……。

 無事完遂したとはいえ単に完遂しただけじゃないかという感じもします。特に第5章以降は落とし所がこれではまずい気がしてなかなかアップロードに気が進みませんでした。
 コーネリウスは周りのことを考えてはいるのに行動としてはあくまで利己的というか。罪を被るのは構わないんですが、きちんと償うならエルフリンクのメンバーひとりひとりが咎を受けずに済むように働きかけを行わなければいけなかった。そのためにはエルフリンクを解散しないでおいて、会社としてウィンの陣営を擁立していたと事後認識されるように手を回しておく方がよかったんじゃないかしら。
 もちろんコンサート頼みもよくない。そこには明確な対象が存在しない。メディアに訴える、放送を使う、というのはコーネリウスの立場を表明するにあたって悪い手段じゃないと思うし、実際野次に噛みついているところなんかから大衆に訴えかけようという目的意識は強く感じるんですが、それがNATOとかエーリンに響いているかどうか確認できないところがまずい。コーネリウスが確認しなくてもいいと思ってしまっていることになりますから。それだったらやはりエーリンかNATOの誰かと面と向かって議論するような場を設定するべきだったと思う。
 エピローグもどう落とすか当時いろいろ試行錯誤した記憶があるんですが、これだと場面としては身内で温まっているだけになってしまっているので、他の人たちがきちんとコーネリウスを赦しているのかわかるような描写をしなければ物語としてはフォローが足りないような気がします。

 あと終盤の問題としてはルーラーとロアの思想がかなり似ているというところでしょうか。ルーラーがコーネリウスに言うことと、ロアがヘレンやリュドミールに言うこと、これが結構似ている。区別できないくらい似ている。どちらも素直になれと言う。
 こればかりは自分でも解釈に困るんですが、それだけロアがルーラーに近い存在だったということなのかもしれない。当時の自分がこの2人をきちんと比較していたのか憶えてないし、作品の中に痕跡もないのでお手上げです。

 作品全体を通した問題としてはやはり場面間の繋がりの薄さ、脈絡の見えにくさでしょう。部品としては面白いかもしれない。でもそれをどこに嵌め込めばいいのかわからない。スケッチ的。その背景で世界が全体としてどう動いているのか見えにくいというのは第一章の所感から挙げていた問題点ですが。
 あるいはそれは「イヤホンをして聞いている曲を熱唱する人」に似ているかもしれない。本人は曲が聞こえてるからノリノリなんだけど、周りで聞いてると歌はアカペラだし間奏の間は無音だ。だから周りの人間には本人が何でノッてられるのかよくわからない。今の僕は当時の僕が何を聞いてたかあまり憶えてないので、どちらかというと周りで聞いている側に近い。だからシードルやウィンが動いているドイツの飛行場がどこなのかよくわからない。そんな感じ。曲が聞こえてくるような描写をしなきゃいけないですね。
 この反省が次回作に活きればいいな。

 次のキャンペーンは当初「狐の家族」と言っていました。心水体器の世界観に連なるものなので悪くないですね。実際どうするかはデータを開けてみてから考えます。

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