今回の騒動(詳細は直近二つの近況ノートを参照)を経て、拙作『¿Paranoia?』の週間ランキングが10位になるなど、予想以上の大きな反響がありました。短編としては『Joke?』に次ぐ史上2番目のヒットに驚いております。
騒動に便乗して宣伝じみたことを書いてしまいましたが、拙作をご覧になってくださった方の多くは意外にもフォロー外から。本当にありがとうございます(フォロワーの方で応援してくださった方も、どうもありがとうございます)。
多かれ少なかれ、皆さんそれぞれ胸に秘めたる思いがあるということが、びしびしと伝わってきました。ちょっと僕の方に寄せられたご意見と、それに対する僕の回答を共有して今回の騒動の何が問題なのかを、もう一度整理させてください。
(以下、Q&A方式による紹介となりますが、実際には質問として寄せられたコメントではないものも含みます。より詳細なやり取りの内容は過去の近況ノートのコメントをご参照ください。)
Q.改善の余地を指摘した批評レビューはむしろ建設的で、人によっては喜ばれるもの。「批評」はレビューにおいて規制対象となるならば「星評価が三段階も用意されている意味」とは?
A.鋭いご指摘。僕にも分かりません(笑)。カクヨム側の意図としては、星1=Good(良い)、星2=Very Good(とても良い)、星3=Excellent(最高)というようにして、0を基準とする加点方式での採点をしろというのが根底にあるのかと。
しかしながら、僕がレビューをする際の個人的な方針としては、まず作品全体の面白さ、興味深さにフォーカスして基準となる点数を決めつつ、文章の作法、表現の手法、ストーリー構成、独創性や創意工夫など個別の項目における加点ないし減点をしているといった感じです。まあ実際にここまで厳密に深く考えてやっている訳ではないですが、敢えて言語化するならそういう風に取り組んでいるよということ。ですが、僕のレビュー方式はどうやらカクヨム側の方針に沿わないようでした……。
Q.「応援」「レビュー」のごく短時間における連投行為が規制対象とならないにもかかわらず、真摯に作品に向き合っているレビュアーが規制されるとは?
A.僕が言いたいのはまさにコレ。といったコメントでした。
Q.確かに、改善点を指摘するようなレビューも場合によって、あるいは受け手の定義によって「アドバイス」または「誹謗中傷」と解釈されるかは分からないが、投稿されたレビューにつき作者側が「消さずに残しておく」という意思を見せているのに、運営側が過干渉に及ぶのはおかしい。運営側に干渉が許されるのは明らかに投稿されたレビューの内容が過激である場合にのみだ。
A.全面同意です。カクヨムのパターナリズムにはうんざりです。
Q.レビューには「プラス」の内容、応援コメントには「マイナス(アドバイス)」の内容を書くといった分け方をすると良いのでは。
A.ひとつ前の方のご意見でも述べられていた通り、情報の受け手によっては何処までが「アドバイス」で、また何処までが「誹謗中傷」か分かりません。創作物に対する感想というのは「プラス」か「マイナス」の完全な二律背反として受け止められている節があるというのは間違いなさそうですが、作品に対し真摯に向き合い、褒めるところは褒め、改善の余地があれば指摘するというのは当事者双方にとって有益であり、互いに「プラス」の影響がある一方で、ただ褒めるべき箇所を探して褒め、他者の意見に迎合し、徹頭徹尾、拍手喝采で終わらせるのは生産性もなく、表現者の承認欲求が満たされる以外に何ら利点のない、むしろ「マイナス」の側面が強いものであるということも言えます。
そうすると、何が「プラス」で何が「マイナス」かだなんて一概に断じることのできるものではなく、運営側が「これは明らかにマイナスだろ!」と言って他者の言論を弾圧するようなことなど言語道断という訳です。
Q.レビューにおける厳しい批判は、受け手の心情を考えると難しい。カクヨムが辛口レビューを受け付けないのなら、趣味で執筆を楽しむ人専用投稿サイトだと表明したも同然では?
A.誰もが無理やりに批評をする必要は、もちろんありません。建設的な批評もあれば、正直な絶賛もある。これは何も問題ではないのです。問題なのは、一方を許容し、もう一方を排斥する言論統制であり、表現の自由の後退です。
カクヨムが「趣味で小説を投稿する方向け」のサイトであったと仮定しましょう。でも、例えば、趣味で何らかのスポーツに興じている人が「趣味でやってるんだから怪我なんてしたくないよ」なんて言ってたら、一緒に競技を楽しんでいる仲間は、その人に対して何もできませんよね。「趣味でサッカーをやっている同好会に属するメンバーが、他のメンバーを怪我させたから制裁を受ける」なんて、あまりにも不公平ですし、その同好会に参加している以上、ある程度怪我を負うというリスクは織り込み済みであるべきです。そんなことを言い出したら「誰かを怪我させてしまうかも」といって、一緒にスポーツで汗を流している仲間は何もすることができなくなる。表現の世界では、これを「表現の自由の委縮効果」と呼びます。「いつどんな表現をしたら制裁を受けるか分からない」といって、何も言うことができなくなるのです。
寄せられたコメントの中で、代表的な意見はこの通りです。表現の自由の弾圧の恐ろしさ、そしてそれが招いた結果が如何なるものであったかは、歴史が証明しています。願わくばカクヨム運営様にこれらの意見が届いて、システムがドラスティックに改善されていくことを期待したいところなのですが、もしカクヨムがこのノートを覗いたら僕のようなミジンコ同然の木端など踏み潰されて終わりでしょう(笑)。
その際には、また別のサイトで名前を変えずに転生し、いちから修行を積み直すこととします。僕は「小説家」として尊重されたいのではなく、ひとりの「表現者」として尊重されたいのですから、レビュアーとしての表現が守られない場所に居ても仕方がありません。
それでも、カクヨムで活動を通じて出会った沢山の仲間たち、尊敬すべき先輩小説家の方々、志を同じくするフォロワー様方の期待を裏切ることだけはしたくないので、強制退場を命じられるまでは、少なくとも現在投稿中の全ての作品が連載終了するまでは、全力で足掻き苦しみながら執筆活動に邁進して参ります。
カクヨムが変わろうと変わるまいと、皆様とだけは今後とも変わらぬお付き合いを、よろしくお願い申し上げたいです……。