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もうすぐ書き上がる、という話。

鋭意執筆中の作品「怪異鬼譚:銀獅子」のプロローグ及び第1話がもうじき公開できる。
原型になったオリジナル作品の書き直しのつもりが、色々な作品、映画の影響を受けて大きく形が変わった結果、正直に言えば触れたくないぐらいに奇怪かつ複雑で、不可思議な作品となっている。
この作品の醍醐味は、何と言っても戦闘シーンだろう。だが、主人公シオンの強さに説得力を持たせたりするのに四苦八苦している。世界観はスタンダードな現代モノだが、現代でバケモノを主軸にした話を作るとなると、どうしても「バケモノを隠す」か「バケモノの存在は知れ渡っている」かの二択を迫られる。
実のところ、ある時期までは前者のパターンで書いていたが、その結果各設定と衝突を無数に繰り返すことになり、説明を付けてもその説明に膨大な尺を使うことになって、魅せるべき戦闘シーンが非常に冗長なものとなってしまった。この課題は、開き直っていっそ後者のパターンにすることにより、解決というか丸投げした。
ただし、その場合でも矛盾は付いて回る。高威力、高速力のあらゆる現代兵器というのは、基本的に我々一般人が想像する数十倍の威力がある。バケモノをいくら屈強にしても、ミサイルや砲弾で死なないものを生身の人間が倒すのは、難しいというか無理だ。対戦車ミサイルを担いだ小隊で主力戦車1輌を破壊することは困難で、必ず2、3個小隊(若しくはもっと酷い数)が文字通り消滅するほどの犠牲を強いられるのは、昨今地上で繰り広げられている現代戦争を観測するに明らかだ。
故にバケモノには、倒すための特殊条件か、単純に倒す以上の勝ちを与えなければならない。「ジョジョの奇妙な冒険」における”吸血鬼”や”柱の男”は、波紋呼吸法という特殊な技術を用いなければ戦うことすら困難である、というような描写が成されているし、「チェンソーマン」の”悪魔”は、それこそ銃や爆弾で倒せはするが”契約”によって言うことを聞かせる方がメリットがあるとされる悪魔も数多い。”狐の悪魔”などが代表例だろう。
ただし、”柱の男”が登場したジョジョ2部は、時代背景的に高火力殺傷兵器がまだ登場していない時代であるし、しかも作中で紫外線照射装置に抑制される場面もある。
チェンソーマンは準現代ともいうべき90年代を舞台にしているため、”悪魔”も前述する通り、恐らく通常兵器で討伐することは充分に可能と見積もって良いだろう。
要するに、バケモノに人間が対抗するには、相当な、何かの”下駄”を履かせなければならない。その”下駄”が一体どんなものになるのかは…………。

私にもわからない。

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