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人の長所を視るべし

人のことを短所ではなく長所を見ろだなんて世間は言うが、さぁはて、どうしてだろうか?

「そっちの方が、互いに気持ちがいいから?自分がそうされた時を考えるべきだから?相手が不貞腐れるから?」

断じてNOです。

言志晩録でこのように言われています。

「我れは当に人の長処を視るべし。人の短所を視ること勿れ。短所を視れば則ち我れ彼に勝り、我れ於いて益無し。長処を視れば則ち彼我れに勝り、我れに於いて益有り」

短所を論って、彼を下と見ることに何にも意味はないよ。一段下がって、彼を上に視れば不思議なことに有益だということですね。
もっと言えば、相手の長短の勝負事なんてのはゲームとしては小さな足場の上の落とし合いです。片方が上から相手を落とす。若しくは落とされる。下に落ちた者は上を見上げる権利を得るが、落としたものは上に見上げるものがなく、下を視て終えばいつかそこに落ちる自分を想像して恐怖するでしょう。落ちた人は成長するでしょうが、恨みに思って仕舞えば、上に上がっても蹴落とすしか思わないかもしれません。こんな奴らには成長はないわけです。

1段上がって見下すは、実に愚かなことというわけですね。

さて、こんなつまらんゲームは辞めようと、足場から降りて相手を上に見上げる。これは実際、最後同じ足場に登った時蹴落とそうなんて思わないし、相手のくだらない足場争いに乗らなくなるわけです。そうすれば、僕らの目線の先はずっと坂道で高く高く登っていけるようになります。

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