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演じると言うことについて

さて、今回は演じると言うことについて話しましょう。3流の役者は、自分の感情をのせ、2流は正しく演じ、1流は分離するなんて言います。

最後は何だって話ですが、分離、これは自分と役の分離。感情と自分の分離。自分と嗜好の分離です。

これは、相当に恐ろしいことで体に二つの人格を入れることになります。大抵。皆怖いので入れるのを嫌がり、自分のまま小手先ばかり上手くなっていくわけですが…

2件のコメント

  • はい!
    つまり、二重人格としていうことなんですか?
  • 質問ありがとうございます。
    ある意味ではそうであり、そうで無いとも言えます。

    まず、第1段階の感情の発露。これは、お客さんに熱量を届けることに役立ちます。興味を引くと言ってもいいですね。イメージでは形の不恰好な飴玉です。尖ったり、凹んだりしてます。ある面からは完全な球体(役)に見えますが、実際の役の凸凹と違う。そのため、お客さんからは不恰好さ、歪さが印象として残ります。それはそうですよね。ありのままの感情を発露させたら、それは役じゃなく自分ですから…鼻水流してたとか、声裏返ってたとか関係ないこと思い出しちゃうんですよ。

    2段階目、正しい演技、これはコーティングです。不恰好、歪さを完全な球体(役)に整形、正確には付け加えを行います。これはある意味では尖ったところが無いので、作品全体を楽しむことはできます。でもこれは、あくまで、付け加えでしか無いので、役そのものとは遠いものです。

    3段階目、コンティングを剥がし、歪んだ飴玉を正しく歪ませる。殺人鬼と自分の歪みが同じだと思いますか?恋愛に関しての濃淡、友情の濃淡、落胆の濃淡。殺人鬼の殺意を、自分の中から持ってくることは土台不可能です。なぜなら、あなたは人を殺したことがありませんから、殺したいほど憎いとは思っても貴方のそれと、殺人鬼のそれは全く違う。

    貴方が、部屋の隅に見つけた転がったゴミをゴミ箱に投げ込むような気持ちで、もしかしたら殺人を起こしているのかもしれません。でも共感、出来ませんよね?

    今のはかなり大袈裟な例ですが、このために必要なのが分離なんです。
    まず、役の行動と自分に自分の感情、を分ける。自分の日々の行動で感じたものを、自分から分離する。

    役の行動と自分の感情を合わせて演じる。そして、自分の嗜好を分離し、忘れる。そうすると段々と役の嗜好が身についてきます。アイデンティティを捨てることに直結しますから、これが怖と感じたり、無意識に嫌がってできない人は多いです。僕の友人に役者の生き方が気持ち悪いという男がいましたが、そういうことなのかもしれませんね。
    ともあれこれが、正しく歪んだ飴玉(役)を作る一つの方法ということです。

    では、どうやって元の自分に戻るんでしょうか?入り込めば入り込むほど、那須さんがいう二重人格に近づくのか、それとも自分というアイデンティティを忘れることになるのか。それはまた別のお話。
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