• 現代ドラマ
  • 異世界ファンタジー

「書きたい」>「読まれたい」を維持する

いつも応援いただき、ありがとうございます。

今日は、作家としての気持ちのコントロールについて書いておこうと思います。

きっとどんな作家であれ、作り上げた作品は読んでもらいたいでしょう。
ぼくも例に漏れず、いつもその気持ちがあります。

長編を一気読みされたい。
感想をもらいたい。
応援のハートやコメントをもらいたい。
PVが増えてほしい。
星をいれてもらいたい。

そんな気持ちに押されて、ついついカクヨムや小説家になろうのダッシュボードを見に行ってしまいます。

まぁ、ちょっとうれしい結果になっていることもあれば、見事な凪で凹むこともあるわけです。

でも、これらの気持ちって受け身なのですよね。
自分ではどうにもならない。

なので、その気持ちを上回る他の気持ちを自分の中心に置くことが必要だろうなと思うのです。

言い換えると、他のことに夢中になって「読まれたい」という感情を脳から忘れさせる。
とても大事なことだと思うのです。

だって切りが無いのですよね。

一気読みされたら、また一気読みされたくなる。
星をもらったら、またもらいたくなる。
承認要求に振り回されてしまいます。

そして、ランキングなどを見ると、はるかにすごい数字を叩き出している猛者がいて凹むのです。


あれ?
自分は何がしたいのだっけ?


作品を作るのにかけていた情熱は、作品が出来上がると違う気持ちにシフトしてしまうと思うのです。

「書きたい」が「読まれたい」に変わってしまう。
能動的だった想いが受動的な想いになってしまう。

そして「読まれたい」という気持ちが満たされないと「もう書いても仕方ない」となってしまう。
いろいろな作品を作りたかったはずなのに。


なので、ぼくは「書きたい」>「読まれたい」という不等式を維持するようにしています。

えっ? そんな不等式にできたら苦労しないって?
そうでしょうね。

でも、「書きたい」を促す、とんでもないパワーを持つ事実があるんですよ。

「ぼくは、いつか必ず死ぬ」という事実です。

皆さんもそうですよ。
考えたくない事実です。

でも、ぼくは物語を作ることの面白さを知ってしまいました。

作りたいと思い描く物語のタネがたくさんあります。
どう書いたらいい? と悩むくらい落とし込めていないアイデアがあります。
実力の足りなさを実感することもあります。
筆の遅さに、愕然とする時もあります。

書けるようになりたい。
書きたい。

いつ終わるかわからない人生です。
死を迎える時に、精一杯やったと胸を張りたい。

それに比べて、読まれた、読まれないと一喜一憂するのは、小さなことなのかもと思うのです。

もっと物語を紡ぐことに、専心していこうと思います。


なので、次の課題は二作同時制作。
「あめはれ」を連載しつつ、もうひとつの作品の制作を進めていこうと思います。

そのプロジェクトの開始は、七月十日。
意図的に、電撃小説大賞の一次選考発表の日に決めていました。

第31回電撃小説大賞に応募したのは二作。

最悪の結果は、二作とも一次落ち。
最高の結果は、二作とも一次通過。

どんな結果になろうと、それはぼくにはコントロールできない受け身の結果です。

いまは作家として、もっと実力をつけたいのです。
皆さんに、最高に面白いと思ってもらえるお話を届けられるように。

無名なので、実績もほしいですけれどね。
それは後からついて来ると信じています。

がんばろ。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する