小説を書く人であれば、一度は新人賞に応募した経験がおありだと思います。
最初は期待も大きいですよね。自分の作品が書籍化され、行く行くはドラマ化や映画化もされて……なんて夢見ることもあるかもしれません。
でも現実は厳しく、自信を持って送り出した作品が呆気なく落選し、意気消沈した人も多いのではないでしょうか。
私も同様で、2年前から新人賞への応募を始めましたが、一度も通ったことがありません。
最初の時は二度と立ち直れないくらい落ち込み、小説を書くのを止めようかとさえ思いました。
その後も細々と応募はしていますが結果は奮わず。応募するたびに期待値も減っているので、落ち込む度合いも少なくなっていますが、それでも多少は気に病んでしまいます。
ただ思うのは、新人賞に通らなかったからといって、作品の価値が損なわれるわけではないということです。
作品自体に面白さがないわけではなく、単にその出版社が求める作風ではなかっただけかもしれない。それは就職活動と同じで、たとえ不採用(=落選)が続いたとしても、それで自分の(作品の)価値が否定されるわけではありません。
こんなことを言うと、次のような反論があるかもしれません。「一社ならともかく、複数の出版社の賞に落選し続けたら、それは自分の作品が出版する価値がないと言われているのと同じなのでは?」
出版社は商業目的ですから、売れそうな作品に価値を見出すのは当然だと思います。
では、売れない作品には全く価値がないのでしょうか?
私はそうは思いません。
カクヨムには書き手が集まっていますが、世間一般の人は最初から小説を書こうなんて発想がありません。
他に手軽な楽しみがいくらでもあるのに、わざわざ時間をかけて作品を文章化しようとする行為自体が価値のあることだと思います。
そうやって生み出された作品にはすべからく価値があります。編集者の目には留まらなくても、自分の作品を気に入ってくれる人は必ずいます。そうした目に見えないファンと出会えることが、カクヨムのような小説投稿サイトの意義だと思います。
もっと言うと、頭の中にある作品を形にする行為自体に価値があるのだから、極端な話誰かに読んでもらう必要すらないと思います。
自分が自分の作品の一番のファンとなり、楽しんで書いていられれば十分。でも、そうやって書いた作品を誰かが読み、楽しんでくれたらもっと嬉しい。最近の私はそんな思いで小説を書いています。
カクヨムを通して、自分の作品を評価してくださる方々と出会えたことで、私は執筆を自分の1人の楽しみではなく、誰かを喜ばせる活動としても捉えられるようになりました。
だから新人賞の結果に落ち込むことはしません。編集者には注目されなくても、自分自身と、私の作品を好きでいてくださる方が価値を見出してくれれば十分です。
評価や選考結果に一喜一憂せず、「まずは自分が楽しみ、それが誰かのためになる」という初心を忘れずに執筆を続けていきたい所存です。