• 異世界ファンタジー

三日月よ、願わくば我に七難八苦を与え給え

数多のキャラクターの思惑が交錯する群像劇なんかですと必ずと言っても良いほど出てくる、主君に身命を賭して仕える忠臣。

"滅びの美学"の典型例ではありますが、花は散るからこそ美しい……最期まで忠節を尽くし儚く散ってゆく忠臣系のキャラクターはやはり我々日本人の心を捉えやすく、刹那を駆け抜けるその生き様で以て大きな感動を与えてくれます。そんな小噺です(´・ω・`)

タイトルにもあります「三日月よ、願わくば我に七難八苦を与え給え」という言葉を遺したのは、今の島根県に本拠を構えていた戦国大名"尼子"氏に仕えていた家中随一の猛将・山中幸盛。戦国時代ファンの間では山中鹿之助という呼び名の方が有名ですかね(´・ω・`)

謀神・毛利元就でお馴染み毛利家に滅ぼされた尼子家を再興しようと、あらゆる手段を講じた山中鹿之助。悲願は達せられる事なく最終的に毛利の捕虜となり、護送中に吉川元春に暗殺されるという形で若くしてその生涯に幕を閉じるわけですが、その生き様故か非常に人気が高い人物ですね。

……なのですが、戦国時代は裏切り上等の時代。織田信長や上杉謙信を始めとしたメジャーな大名でさえかなりの頻度で裏切られているような魔境。その時代にあって最期まで尼子に忠節を尽くした山中鹿之助の生き方は当時としては些か異端なのではないか。

そもそも忠義、忠義と口酸っぱく言われるようになったのは江戸時代。主君を変えまくってその度に所領を増やしていった藤堂高虎みたいなのが毛嫌いされるようになったのもこの辺りからで、かなり時代が下ってからと言えます。

瓶割り柴田でお馴染み柴田勝家も、若き日の信長を裏切って信長の弟を盛り立てていた時期がありますし。高頻度で裏切られることに定評のある越後の上杉謙信は言わずもがな。

最近では山中鹿之助も単なるボンクラだったのではないかという説が浮上しておりますが、これに関しては私は流石にないなと思いますね……

と言うのも、信長や秀吉といった天下人が山中鹿之助をかなり気に入っていたからです。あの二人、両方とも優秀な人材大好きマンです。その二人に気に入られていたというのですから、才覚や魅力は間違いなくあったと思われます。

と、ここまで長々語ってしまいましたが、忠臣系キャラクターは往々にして魅力的ですよね。日本で諸葛亮や趙雲が人気なのも忠臣系キャラだからですし。

でも司馬懿や毛利元就みたいな謀臣・奸臣系キャラも捨て難い。彼らが暴れれば暴れるほど、忠臣系キャラの悲哀が強まるというものですし。

キャラクター造型って奥が深いなぁと感じる今日この頃でした(っ´ω`c)マッ...

3件のコメント

  • 忠臣、格好良いですよね…物語一つ一つにロマンが生まれます
  • 忠臣、必然キャラかつ憧れます٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
  • へ〜へ〜って(*⁰▿⁰*)!知らないから楽しかったよ!9教えてくれてありがとう
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する