「紙がないなら籌木を使えばいいじゃない」
有名な歴史的捏造フレーズを焼き直して、チキンレースに挑むという暴挙。我がことながら呆れる。
それはさておき、異世界好きの多くの方々も僕と同じ疑問を持たれたのではないだろうか?
そして、異口同音に指摘された筈だ。
「流石にその設定は不味い」
通常のナーロッパには便利な生活魔法が存在する。尻を清潔に保つことに苦労は強いられない。魔法一発。ピカピカだ。
しかし、生活魔法など存在しておらず、一般ぴーぽーは浄化魔法など使えない、尻拭き用の紙は行き渡っていない。そんな異世界を想像するのも面白い。聖女様が広域浄化魔法で人々の尻を浄化する日々を過ごす。そんなスローライフ。少々、前のめりに過ぎた。
日本の中世を思い出そう。平安の時代に描かれた飢餓草紙の食糞餓鬼図に籌木が描かれている。画面には紙も散らかっている。平安期に既に紙も使われていたとは驚きである。とはいえ、平安、鎌倉、室町、戦国と時代を経てもさほど状況は変わらない。
ナーロッパは江戸時代という言葉もあるので、情報が豊富な江戸時代に目を向けよう。
北斎漫画や諸国道中金の草鞋などを眺めるだけでも江戸時代の厠事情をある種の臨場感とともに理解できるはずである。江戸末期まで日本の所々では籌木が使用されていたという事実が残っている。一方、江戸時代中期には、浅草紙(漉き返し紙)という再生紙が一般庶民の間でも使用されるようになっていた。
農村部では藁とか葉かと木片などが利用可能な素材にことかかなかった。江戸の街では、そうはいかない。再生紙は、都市化により居住者たちが素材を安易に調達できない、という状況下、必要性に迫られた結果なのかもしれない(暴論)。
結論。籌木は調べると面白いが、歴史的な事実は事実として、御伽噺では採用しないほうが無難だ。
やはり尻は紙でを拭く。これである。
因みにヨーロッパのお貴族様は羊毛やらレースやら麻織物の布切れを使用していたとのこと。
再利用してなかったよな……