• 異世界ファンタジー

ヒルデガルドのレシピ

 教会博士という称号を贈られたヒルデガルドという女子修道院長に興味があって調べ始めると「ひょっとしたら現代からの転生者か?」などとネタが思い浮かぶ。

 中世の医療が酷く退化したのは、あくまでも表向きであって、ギリシャ・ローマ時代の知識などは、隠者の碩学よって継承されていたとするなら、ヒルデガルドが転生者など妄想するまでもなく、彼女の先見性や卓見と中世の後進性(貴族主義的な側面)との齟齬について、ある程度、自分の中で折り合いをつけることができるような気がする。

 そもそも修道会というのは、キリスト教的な価値基準では表に出せない知識を代々伝えるような社会的・歴史的機能を担うにはピッタリではないだろうか(偏見)。まるで映画「薔薇の名前」のような設定であるが、修道院のお偉いさんなら禁書的な知識を保有できてもおかしくはないし、生活の中で実践することで実利があれば、誰からも文句などでない。なるほど——というわけで彼女の名前を冠するレシピ本に正真性を感じ取って購入した。

 このレシピ本は、中世ヨーロッパ(神聖ローマ帝国)における医食同源的な何かであったらしく、大変興味を引かれる内容なのだが——カボチャ(南北アメリカ大陸原産)。

 本文から引用しよう。

「ヒルデガルドのレシピには、かぼちゃを使った料理がたくさん登場し、その栄養価についても触れているので——云々」

 だからといって「カボチャに似た野菜が中世にも存在していたようです」というのは些か早計ではないだろうか?

 歴史の流れの中に忘れられた食風習などは珍しくもない。縄文時代の主食であったとされる「どんぐり」は、現代日本ではほとんど食べられておらず、また飢饉でもなければ「カラスウリの根」なども食べないだろう。ヨーロッパに忘れられた根菜類があったとしてもおかしくはない。当然とは思う。

 出土した石板に書かれていたレシピでもなく、版を重ねたであろうレシピ本(活版印刷は聖書を印刷するだけのものではない筈)の中の記載であれば、材料をより美味しい作物で置き換え、レシピを改良し、レシピ本を上書きすることなどあり得ないことではない。またそうすべきである。食事を美味しくいただくことは根源的な欲求でもあるのだから。

 ヒルデガルドのカボチャのレシピもおそらく上書きされたものに過ぎず、カボチャに似た植物の存在を主張するのは行き過ぎだと思う。そのような誤解を防止する意味でも改変ログは残しておいて欲しかった。

 ウィキペディア先生によれば、ルペルツベルクの修道院は三十年戦争で破壊された。アイビンゲンの女子修道院は世俗化が進みビスマルクの時代に閉鎖された。現在、ひまわり(北アメリカ大陸西部原産)に囲まれた石造の中世風の修道院は、前世紀に彼女の名前を冠して、再建されたものである。

 断絶と承継の中で失われる記録も記憶もあったであろう。それらの価値は人により評価が変わる。価値が要不要で決まるものでもないが、不要となったのだから無価値である、という考え方もできるが、同意することは難しい。

 オリジナルのレシピに記載されたカボチャのような野菜が何であったのか知る機会に恵まれることを望む。

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