小さい頃のわたしは、とても泣き虫でした。
幼稚園へ行く朝、制服がハンガーにかかっているだけで涙が出てしまっていました。
母はそんなわたしを幼稚園の先生に預けると、一度も振り向かずに門を出ていきました。
「おかあさーん」と、泣き叫んでも振り返ってくれない。
わたしの目に映った母の背中は、この世の終わりのように感じられたものです。
でも、午後のお迎えの時間に迎えに来てくれる母はいつも笑顔で、わたしは母の胸に飛び込んでいきました。
両親ともに本当にたくさん愛してくれました。たくさんかわいがってもくれました
けれども母には「この子を強く育てなければ」という思いもあったのでしょう。
泣き虫なわたしを、あえて抱きしめないこともあったのだと思います。
大人になって、わたしが母になって。
幼稚園へ子どもを送り出すときに、“母と離れたくない”という同じ理由で我が子が泣くのを見て、
当時の自分の気持ちを鮮明に思い出しました。
振り向いてくれなかった背中。母の本意ではないのに、置いて行かれるような焦燥。
だからこそ、“母のわたし”は子どもを笑顔で励まして、
我が子が幼稚園にいる時間に思い出す母の姿が“背中”ではなく、“笑顔”であるように
姿が見えなくなるまで、いつも大きく手を振りました。
「大丈夫、必ずお迎えに来るからね。お迎えの時、何して遊んだのか、聞かせてね」と。
寂しく感じさせないように必死でした。
その瞬間、振り向かずに幼稚園を後にした母の背中も、同じように必死だったのかもしれない、と気づいたのです。
母になって子どもを育てることで、追体験をしながら母の思いを理解できるようになりました。
想像力だけでも寄り添うことはできたはずだけれど、こうして追体験を通して深く実感できたのは、大きな学びでした。
子どもの頃のわたしと、母になったわたしが“同時にいる“と気づいた日。追体験を通してわかったことを綴りました。
そして――
わたしが自分でも気づいていなかった「寂しさ」に気づいてくれた、ただ一人の人がいました。
あなたが見つけてくれたおかげで、幼稚園で泣いていたわたしが“寂しさの元だった”と気づき、
自分とより深く対話できました。
あの言葉を、あの文字たちを抱きしめて、今も生きています。
わたしと、わたしの人生を守ってくれたと本気で思っています。
直接は難しくても、この感謝と祈りが届くことを信じて。
今日も静かに感謝を捧げています。