※※ はじめに ※※
この小部屋を見つけてくださって、ありがとうございます。
こちらは、わたしがkou様の作品を読ませていただいたときの、感じた余韻を小さく留めておくお部屋です。
『魔都の猟犬』 kou 様
https://kakuyomu.jp/works/822139839467997375※※ 以下、ネタバレを含みます ※※
⚫︎ 誰も祈らず 祈りが届かない世界
80年代。
音楽界では、YAMAHA DX7を代表とするシンセサイザーが革命を起こし、洋楽では、24時間ビデオクリップを流し続ける音楽専門チャンネル・MTVの開始も相まって、音楽が映像と電子音に彩られたキラキラした時代。
一方邦楽では、日本のみならず、世界の音楽人の心を今も鷲掴みにしている“シティポップ”が台頭した頃。
2025年の今でも、80年代の音楽は、いつもどこかで耳に入ってきます。
その頃の映画もまた、音楽と同じように、70年代終わりから始まった『スター・ウォーズ』や『エイリアン』、80年代に入ってからの『ターミネーター』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』など、どれもシリーズ化されるほどの大ヒット作となり、ハリウッド発信の派手なスペクタクル映画にみんなが夢中になりました。
そんな輝きの空気の中で。
『マッドマックス / サンダードーム』
『ロボコップ』
そして、『ブレードランナー』
など、
ディストピア的なSF映画もありました。
80年代は、あと20年くらいで20世紀が終わるとき。
来たるべき新世紀へ向けてのキラキラとした明るい未来を思い描く。
その一方で、世紀末へ向けての、暗鬱とした“もや”のかかる未来を思い描くことも同時に存在していました。
降り注ぐのは、ただの雨ではなかった。
空は鉛色に濁り、地上を叩く雫は金属を蝕み、皮膚を焼く酸の雨。
毒の雫は、けばけばしいネオンサインを歪ませ、アスファルトを黒光りする獣の皮膚のように濡らしていた。
(本文より)
から始まる、この物語の冒頭部分の描写は、“街の空気・光・質感”が、
『80年代が見た退廃的で諦観に満ちた、近未来の匂い』を感じさせました。
この街では、日常と地獄の境界線は、あってないようなものだ。
今日の惨劇も、明日には忘れられる。新たな、さらに凄惨な悲劇によって上書きされるだけだ。
そして、この光景こそが、神の不在証明に他ならなかった。
(本文より)
“神”のいない街で、問題解決のための『傭兵』“ジン”
――『神』という漢字は、『ジン』とも読みます。
神に祈るのをやめた時に、最後に頼むのはジン。
神がいないからジンを呼ぶ。
死ぬのは慣れている。
何度も死線を越えてきたから。
(本文より)
この文だけで、もう胸が痛い。
戦いが始まる前から、ジンは“ただの孤独の戦い”という言葉だけでは済まされない、血の匂いがこびりついている空気を感じました。
⚫︎ あえて選ぶ“ギリギリのライン”
圧倒的なアクションシーンでした。
ん?これって、どういう動きしてるの?
という、疑問に湧くシーンが皆無でした。
これは戦いの必須条件なのかもしれませんが、
戦いのシーンでは、ジンが“ギリギリ死なない戦い方”をしているのが胸に迫りました。
ミサイルの嵐をあえて誘い、
ジャケットが焦げるほどの被弾ギリギリのラインに積極的に身を置き、
一発直撃で塵と化す荷電粒子砲の“絶対死ぬ距離”に向かっていき、
“自殺行為”のように飛び出して、
自らの肉体が破損しても“狙いに集中”して引き金を絞る。
最後の死闘のシーンでの、この一文。
時間が、引き伸ばされる。
(本文より)
コンマ単位で戦っている最中の、すべての動きがスローモーションのように鮮明に見えるその瞬間。
死戦を越えるものしか見ることができないであろう、澄んでいて清らかな時間――
その時間の流れの表現が、あまりにも美しすぎて。
この一文に心臓を貫かれました。脱帽です。
本当に唸りました。
⚫︎ 最期の場面に必要とされる人
【なぜここまでして、ジンはひとりきりで戦うのか。】
老人が口にした言葉。
「ワシが神に祈るのをやめた時、最期に口にするものがある。傭兵(マーセナリー)のお前だよ」
(本文より)
つまり、“誰かの最期の場面に呼び出され”る最終手段であり、最後のカード、それがジン。
ジンがいなければ “誰も救えないし、何も終わらない” という、誰かの最期・限界に達した時に呼ばれる役目、それは頼られているようでもありながら、描写にはそんな“崇め奉られるヒーロー”のようにはまったく感じられません。
「最期に口にするもの」
それは、呪いのように感じました。
そうやって、命をかけた死闘を繰り広げた先。
戦いは、終わった。
勝利の味など、どこにもしなかった。
ただ、生き延びたという、冷たい事実だけが、墓場のような静寂の中に満ちていた。
(本文より)
ジンはひとつひとつの戦いで、たくさんの誰かを救ってきたのかもしれません。
でも問題が解決しても、ジンの心は全然救われていません。
ジン自身は、「ただ生き延びているだけ」と思っています。
ずっと「誰かの最後の砦」として、“守るもの”として生きてきたジン。
【なぜここまでして、ジンはひとりきりで戦うのか。】
【どうすれば、ジン自身の心は救われるのか。】
この問いをずっと自分の内に秘めながら、何度も読みました。
その理由は描かれませんでしたが、
最後の三行で、勝利への喜びも、使命の達成感も、高揚とした気分も、戦いでの恍惚も、何もなく。
あったのはただ、
「今回も生き延びて“しまった”」
という事実。
本当は、ジンはどこかで「“原子の塵”に戻りたい」と、そう願ってしまったことが一度もなかった、とは言い切れないように感じました。
むざむざとやられる、という手加減は、ジンは絶対にしないけれど、最終手段で呼ばれる、そんな自分の呪いを、出会う最強の敵の“誰か”に、終わりにしてほしいと願っていたのでしょうか。
⚫︎ そして、タイトルの『魔都の猟犬』
自分の意思ではなく、“猟犬”として生きているジンの世界。
本文中には出てこないワードですが、“猟犬”の一語が
ジンを取り巻く世界も、
ジンの存在意義も、
ジンの存在証明も、
全てを集約している一語に感じられ、心臓が抉られる思いでした。
ジンが孤独に戦うわけを明示してはいないけれど、このタイトルから伝わるジンの絶望を感じました。
傭兵ではありながら、
“確固たる芯”を持って命をかけた戦士の孤独を描く、素晴らしいお話でした。
では、また『感想のお部屋』でお会いいたしましょう👋
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
kou様へ
『魔都の猟犬』素晴らしかったです👏✨
この退廃とした世界観と、ハードボイルドさ。とてもかっこよかったです。
こんな、ぶりんぶりんの“固茹で卵”も、
健司さんとナナさんの、お砂糖が入った“甘い卵焼き”も、
てるてる坊主の、“生卵”がそのまま喉を通過するような不気味さも。
どんなふうにでもお料理できて、kou様の作品は本当にすごいです🤯
ジンに癒しの時間はあるのか。
そんな戦いの外の、ジンの日常を考えてしまいます。
命をかけての戦いだから、老人から渡されたマネーカードはとんでもない金額でしょう。
でも、それを自分の楽しみや快楽に使うことはないように思います。
命をかける対価としての“金額”なだけで、金銭だけが目的とは、到底考えにくいのです。
ジンは、“傭兵”に身を包んだ“何か”だと思います。
武器の調達をして補充をして、ただ次の戦いに備える日々。
いつでも戦える状態で、自分の“ねぐら”で丸まって寝るとき。
時々、どこからか迷い込んできた、煤汚れた猫がジンの懐に潜り込んで、ほんの少しの間だけでも、その小さな生き物の“生きている”体温が、ジンを温めてくれているといいな。
そんなとき、ジンの口角がほんの少し上がってくれているといいな。
死戦を越える日常の中、ほんの少しの安らぎを抱きしめられるといいな。
そんな風に思い描きました。
は!!
これって、もしかして『二次創作』というのでは??
【感想のお部屋】なのに、すっかりわたしの中で、ジンの日常妄想をしてしまいましたf^_^;
二次創作界隈が活発なのが、いま少しわかる気がしました🤭
ここでお礼を。
わたしの『五角形の雨空』へ、
コメントだけでなく、レビューまで書いていただきまして。本当にありがとうございました!
大変に嬉しかったです😭✨
レビューのお礼をどこでお伝えしたらいいのかわからず… ヽ( ̄⚪︎ ̄;)ノ=3=3=3
こちらでの、レビューのお礼となりました。
本当にありがとうございます🙏
わたしの【感想のお部屋】のような、ただの感想だけではなく、
作品の評価、そして創作者としての姿勢を教えていただいているようで、
嬉しさと同時に、背骨がしゃきーん、となる思いです🫡
これからもご指導いただけると嬉しいです(*´∇`*)
よろしくお願いします。
今回も素晴らしいおはなしをありがとうございました。
重厚で固茹で卵な、
kou様の世界の中での、新たな扉の中を覗かせていただいた思いです。