⑨淀川戦記~先鋒駆逐編~

 淀川大は個室の中へと入った。
 狭いテーブルの向こうには、歳の頃同じくらいと見える年配の女性看護師さんと、まだ二十歳そこそこだろうと思しき女子看護師ちゃんが並んで座っている。

 はは~ん、これが噂に聞く「やさしい刑事」と「厳しい刑事」パターンだな。飴と鞭で相手の頑なな心を懐柔させる。そうは問屋が卸さないぞう疾患なんのそのってか。どんと来い。

 年配看護師さんが口を開いた。
「こちらは研修生でして、今回はこの二人でお話をお聞きしますね」

 まあ、いいが、ちょっと待て。
 研修生でして、お聞きしますね、じゃないだろう! まず、研修生なのですが、だろ。俺はモルモットちゃうねん。練習用じゃないのよ。これは本番の問診。研修中の学生は関与できないのが基本でしょうが。だから、そこは「ですが」だ!
 必要な事だというのは分かる。分かるが、それはそちらにとって必要な事で、俺には必要ないということを忘れてないか。当たり前のように接続するな。
 最後も、お聞きしますね、じゃなくて、お聞きしてもよろしいでしょうか、だろ! 許可を取れ、許可を。

 年配看護師は健康状態報告書と銘打った問診票に顔を向けながら話を続ける。
「まずお名前の確認から。淀川大様ですね」
「いかにも。私が淀川大であります」
「生年月日は間違いありませんか」
「はい。しかり」
「ご住所と年齢、血液型の記載にも間違いはないですね」
「ない……です」
 確認をしているつもりだろうが、これのどこが確認なのだ。氏名は相手に名乗らせんか。生年月日や住所や血液型も、そっちが情報を開示してどうする。

「健康状態の記載も間違いないですか」
 妙な事を訊きやがって。
 淀川大は言ってみた。
「それを調べるために来たのですが……」
「お具合が悪いようですと、検診できないのですよ」
「ん? 元気な人しか検診って受けられないのですか?」
「胃カメラとか、胃のレントゲンとかがありますからね」
「はあ……」
「記載ですと……ああ、かなり状態がお悪いようですねえ……」

 年配看護師が隣の見習い看護師ちゃんの手元の書類(たぶん私の問診票のコピー)の該当箇所らしき部分を指差している。看護師ちゃんは書類のその部分にマーカーでピッとした。

 おい、他人の身体状況データを勝手に学習資料にしてんじゃねえよ。人体状況は最高機密レベルの個人情報だぞ(これはマジです)

 一瞬だけ表情を険しくしてしまった淀川に、年配看護師さんは言った。
「途中のこの部分は婦人科項目の部分ですので、ご回答されなくても大丈夫でした。こちらで削除しておきます」

 ……

 しまった。はい、いいえ を鉛筆で塗りつぶす方式の問診票だったから、全部正直に「いいえ」を塗りつぶしてしまった。
Q 現在、妊娠をされていますか。いいえ
Q過去に子宮筋腫と診断されたことがありますか。いいえ
 当たり前だ。
 どおりで、いいえが続くなと思ったのだ。
 見習い看護師ちゃんの、さっきのピッは、削除のピッだったのか……。

 それより、問題はそれ以外の部分だろう。女性への質問項目以外の部分はほとんどがネガティブな回答となっている。
 当たり前だ。
 健康診断に行くのだから、少しでも不安があれば、多少大げさにでも書いておいた方が、隠れた病気とか気付いてない怪我などを見つけてくれる契機になるかもしれないではないか。
Q 頭痛はしますか? はい
Q 倦怠感はありますか? はい
Q 睡眠が足りないと感じていますか? はい
Q 動悸はしますか?  はい
Q めまいはしますか? はい
Q 腰に痛みはありますか? はい
 重症者だ。淀川大は、あるか無いかで訊かれたら、ある!と答えたのだが、彼女たちには違うように映ったようだ。明らかに表情か硬い。

 年配の看護師さんが席を立った。
「ちょっとドクターに確認してきますね」

 どうやら、淀川大はノーマルパターンではないらしい。見習い看護師ちゃんはレアケース遭遇!と言わんばかりの目の輝きを隠さないまま、手元の書類(たぶん私の問診票のコピー)に懸命に何かを書き込んでいる。

 その看護師ちゃんと、淀川大は狭い問診室の中に二人っきりにさせられた。
 場が持たないので、ここは年長者の淀川が口を開く。
「学生さん?」
「はい」
「歳、いくつ?」
「……22です」
「彼氏いるの?」
「……いや、それは……」
「住んでるのどのあたり。ここの近くかな?」
という想定問答が破綻に向けて突き進んでいくことを瞬時に悟ったので、
違う会話を切り出す。
「いろいろと勉強が大変ですね」
「はあ……」
「大変なお仕事だけど、尊い仕事の一つですから、頑張ってくださいね」
「ありがとうございます」
「困ったときは、いつでもお兄さんが力になるからね。何でも話は聞くから」

という流れを想定していたのだが、実際にはこうなった。

「いろいろ大変ですね」
「え? ……あ、いえ、丁寧に指導してくださるので、ありがたいです」
「? ……ああ、さっきの方のこと。指導教官さんなのですか?」
「いえ。(なんとか)タ―です」(早口だったので聞き取れなくて、しかも、覚えていない。何かの横文字だった)
「ふーん。いろいろあるんですね。医療業界も複雑ですからねえ」
「ご不明な点がありましたら、何でもお尋ねください。遠慮なさらず」

 おい。

 君は本当に答えられるのか。張り切っているのは分かるから、あえてツッコミは入れないが。経験から教えてやる。無理は禁物だぞ、何事も。

 ていうか、想定と逆に落ちてるじゃないか。なんじゃ、こりゃ。

 そこへ、さっきの年配看護師さんが戻ってきた。
「淀川さん、今日は検査を受けられそうですか」
「はあ……そのつもりで来ているのですが……」
「いや、ドクターが、あとは淀川さんのやる気次第だと言われるので」
 
 いったい、どういう医療判断をしたら、その結論になったのだ。どんな確認の遣り取りをしていたんだ! 
 検査をするのが危険か否かは、最終的に本人のやる気で決まるのか。つまり、やる気がなければ中止。子作りか!

「やる気というか、まあ、検査は大丈夫だと思いますけど。あの、去年もやった、バリウムを飲んで撮る、ぐるぐる回るレントゲンとか、体中にポンプみたいなの付ける心電図検査と似た検査とかの事を言われているのですかね。たぶん問題ないと思いますけど。その問診票を書いた時点は、あまり体調が優れなかったので、回答はそうなりました。すみません」
「分かりました。では、やりましょう」
「よろしく、お願いします」
「また番号をお呼びしますので、一旦、外でお待ちください」

 そう年配看護師が言った後、椅子から腰を上げた淀川に見習い看護師ちゃんが言う。
「よかったですね。(*^_^*)ニコッ」
「どうも」
 淀川大は軽く会釈を返してから、問診室を後にした。
 淀川大は思った。
   なにか、ちがう。

《つづく》

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