先程のコメントで地の文でも『!』や『?』のあとスペースをあけるのを知ったとあったのでせっかくなので題材にしてお答えします。
そもそも感嘆符の後はスペースを空ける事が文化庁できめられて書かれています。その中には「原則として普通の文には使わない」と書かれています。
普通の文とは? ようは今私が書いてるこの文。小説でいう地の文ですね。
が、ここで先程のコメントでもでてくるように小説で地の文でもするのは、使ったのなら空けると決められてるから空けるのです。
私も共感しなくはないコメントでした。ならばなぜ疑問に思うのか? そもそもプロになり書籍化され売られている本、特に物語になっている本で私は地の文で感嘆符がつかわれているのを恐らく見たことが無い。心情の描写であっても、先程の文章でいうならば、『「普通の文とは」作者は疑問になった。』とこのように書かれていて疑問や驚きといった事を伝えているので会話文以外では見たことがないと思われます。
私的見解として会話文が続くようなシーンを書いた場合、感嘆符を書いたほうが心情を書くよりもテンポがいい理由。地の文ならば言葉で驚くのを『青天の霹靂』や『鳩の豆鉄砲』など倒置法や擬人法を使ったりと地の文で読者に簡潔に伝えたり、想像しやすいようにと工夫されているからだと思います。
では原則として使わないとあるが、例外として一人称では使用しても良いかとは思います。心の中で叫んだり疑問符を浮かべたりするので。三人称が主流の小説だから見かけないと思われます。一人称で書かれる自叙伝やエッセイでは確かあったと思うので。
この近況ノートはエッセイのような日記のような感覚で私は書いてるので、平気で『?』を使い、応援コメントでも使ってますが、厳密に言うと駄目だが全く駄目というわけでもないので、使用しているといった理由があります。あくまでも『原則としては使わないようにする』は公的文書、書籍されるもの、教材などを指すのでいいのです。とまぁ自分に甘えて使っ……ゲフンゲフン……。
したがって小説を書くと言うのならば三人称ではもちろん、一人称でも地の文では感嘆符を書かず文字でその心情を表していくのが小説家としての心構え。または作法。と思われます。
なのでより良い作品、作家になりたいのならば地の文では感嘆符をなるべく使わないようにするのが良いと思われます。
だけれど、この今の時代では使っても良い気もしなくもないかなとは思いつつ、小説書いてるなら使わないようにして欲しいとは思うし、ラノベぐらいは良いのかなと悩みつつ今までその辺りは目を瞑ってました。
気軽に読める小説というのがライトノベルが生まれた経緯なわけですし。
欲を言えば出来る限り一般の小説家のように目指して同じような作品が溢れてくれたほうが私は嬉しいとは思ってますが。
うーん……今回のはためになる良い話のような……投稿してみよかな。コピペして蛇足消すだけの作業で簡単だし……とは思いつつ……柄では無いな
と書き終わって自画自賛しつつ反応いただいた方からの見解でした。