誤字脱字って無い作品てないですよね。これはPCが普及し予測変換も当たり前になってきたので仕方がないものだと思う。
だけれどちょっとした誤字脱字をこれでもかと書いてる人いるよね? まるで校正かのごとく……。
私のノートを読んだことがある方だとおそらく誤字脱字も許さない、指摘してるだろうと思われてそうだが意外にもその辺は寛容です。なぜかって? 私も当然のごとくするからです。誤字脱字は気をつければ減らせるがどうしても無くならないと思う。ちょっとした誤字脱字なら読んでても勝手に脳内変換してるので気にならないのもあったりする。
とは言ったものの指摘しない事はないです。あまりにも誤字脱字が多い作品は流石に指摘したことはあるがそれは呆れるレベルの場合です。それ以外で指摘する時があります。それは意味が全く変わる場合です。
ではどんなものなのか。例をあげようと思ったけれど思いつかなかったので新人教育やある程度理解できる子供にむけて話す事があるのですが、それを例にしたいと思う。
『聞くと聴く』『見ると観ると視る』『話すと伝える』です。
一見どれも同じ似た言動をする言葉ですが意味が違います。
どれも前者が何気なくする行動の言葉、後者が自分がしたいと思ってする言葉と言ってます。
・聞く……何気なく聞こえてくる音
・聴く……注意して聞こうとする音
・見る……意識せず見えてるもの
・観る……観察しようと全体を見るもの
・視る……注意して一点を見るもの
・話す……何気なく話す言葉
・伝える……話す事を理解してほしくて話す言葉
と簡単に書きました。本来はもっと深く、それぞれの意味や「だから人の話や周りの事、言いたい事はこれらを意識しなさい」といった感じをつらつら言ってます。
とまぁ例題が思いつかなかったのですが、言いたい事は伝わるかと思います。伝わるよね?
読んでてこれは意味が変わるから文脈がおかしいとなる場合だけ伝えてます。たぶん……。記憶がないのでおそらく……。間違って伝わるのは作者も本意ではないと思うので。
なのでちょっとた
のようにちょっとしたものはスルーです。そんなのは書籍化された時に編集と校正に任せてそんなものを指摘するより、内容について語ってあげたほうが作者のためになるんではないだろうか? と私は思うのです。だから軽い誤字脱字ぐらいは無視してあげてもいいのでは? なんて思ったり思わなかったり。
とまぁ別に何か思ったわけでもなく、なんとなくネタないかと思って書いてみました。
なんだか執筆している作家の心境のような感じやな……。何か書かないと症候群……。
気づけばノートが20以上になってるけどこれそのまま投稿したら誰か読むんやろか……投稿してもいいぐらいのボリュームやな……と少し自分が滑稽に思えた今日のノートでした。