はい。そのまんまです。もう、このネタ何度目やろか。
序盤から一人称『俺』で始まる作品で話の最後、または途中で『こんなことになるなんて俺は知らなかった』としめくくる作品が多い事。
なぜ多いのか? これを違和感なく書く作家、読む読者が多いのはなぜ? やりたいなら三人称、もしくは次話で三人称かその事件の主要人物視点で書いたら良いと思うのだけれど。
推理やミステリー、サスペンスは次に何かが起きると思わせるのが面白さなのでそういった表現をされるが、そもそもそういった作品はほぼ三人称か主人公ではないサブキャラ、所謂ホームズの『ワトソン君』視点なのですよ。だから面白い。自分も同じようにその場に、主人公の側にいるかのように思える。
逆に主人公一人称は自分が本人なって物語を見てまるで主人公のようになりきるから面白いのに、神視点が入ると一気に現実に戻って興ざめる。
なんでまた同じこと言ってるの? と思われるだろうが、新しい作品ランクインしてるなと読むとそれなのです。そしてなぜか面白いと評価があるのですよ。
作家見ると違う作品でそのオンパレードしてた方だったわけなのだけれど。当然、同様に指摘もしたし、既に読んでもいないが。
本当になろうにしろ、カクヨムにしろ、アルファポリスにしろ、この手の文章が多い。
わかるよ? 知る由もないとか書かれたら「何が起こるの?」と思う気持ち。私も好きだ。後ろで睨んでるとかさ。この手で思い出すの漫画の『金田一とコナン』を思い出すよ。黒塗りで誰かわからない目だけかかれてるやつ。ドキドキするよね。でもあれ神視点で読んでるから表現できるの。漫画だから。視覚で読ませるから。
本当に同一シーンでの一人称と神視点を書く人、面白いという人が多い。プロの小説家が本離れを嘆くのがよくわかる。これまでの過去の小説家が研鑽して人称に気をつけて書かれてきたのに……良くも悪くもラノベが発展、そして壊していくのかね。
もしかしてもう当たり前になってるんか?
とりあえず結論としてはタイトル通り『ラノベ作家も読者も安易な知る由もなかったが好き』と結論。
内容良ければその手の書き方は読者つくから一人称だろうとしたら書籍化早いのかもね。たぶん修正しろと言われるだろうけど。
もしされなかったらその担当や出版社からだされたものは買わないだろうとは思う。
これ大手のとこしてら落胆すごいやろな……。
以上、また同じ愚痴でした。