私はわりとひねくれていて、穏やかで優しく愛に満ちた世界なんてものは、絵に描いたようなつまんない善人だけで作られた世界でなければ実現できない、と思っている。
そういう考えから「天国のはなし」を書いた。
これを書いたのは何年も前で、最初はコメダでノートに手書きで書いた。手書きで書いたものを家に帰ってからパソコンで打ちなおし、そのときにずいぶん、手を加えた。
この世界には、およそ犯罪と言われる行為がない。
それは、「篩にかけられるから」で、犯罪行為に走るような荒ぶる魂は「使徒」として天国にいる。
裏設定として、神が存在したころ、最初の「使徒」はほんとうの意味の「使徒」、天使と呼ばれるようなそういう存在だった、なんてのがある。
天使は、神の遣いとして罪を裁く。
そういう存在だった。
今はもういない神様はめんどくさがり(サイテー)で、いちいち新しく使徒を作るのもめんどくさく、地獄に堕ちた魂を「使徒」として転用することにした。
めんどくさがりの神様は、大昔に役目を放棄してフラっとどこかへ行ってしまっている。
でも、堕ちた使徒たちは穏やかな世界を守るため、神様に与えられた仕事をこなしている…。
それは憧れと矛盾かと思う。
荒ぶる魂だった使徒たちが、穏やかな世界を守るために働く。
私の中の憧れと矛盾がここに詰まっている。
穏やかな世界に生きたい。優しく愛と思いやりに満ちた世界に生きたい。すべての人がそういう世界で生きられるといい。そしたらどんなにか、幸せだろう。
だけれど、人の中から激情がなくなったら、それは穏やかだけどつまらないんじゃないかとも思う。
穏やかな世界への憧れ、同時に「そんな世界はつまんない」と思う矛盾。
そういうものが詰まっているかなと思う。
支離滅裂な文章を書いた。