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村上春樹はお好きですか? その2

というわけで、前回ノートの続きです。

今回は『海外小説の原文&初出訳&村上春樹訳を比べちゃおう』。

「何でもいいんですけど、ここの部分が(村上春樹っぽい)、みたいなの教えてもらえません?わがまま言ったら、原文&初出訳&村上春樹訳なんて見られたらいいなー」(括弧内は私の追記)

という@kobuupapaさまからの(無茶)振りを受けて、標記の件、やってみまーす。

(上記では初出訳とありますけど、厳密に言うと比較するのは初出訳=日本で初めて翻訳されたものではなくて、私が初めて読んだ訳になります)

(あと、私の英語力は中学生レベルですので、原文の読み込み・読み解きはできません、悪しからず)

77件のコメント

  • まずは、『ライ麦畑でつかまえて』から。

    前回、関川様がおっしゃっていたみたいに、会話文って、その訳者の特徴やセンスがすごく表れやすいと思います。ので、主人公のセリフから。

    原文:
    What I have to do, I have to catch everybody if they start to go over the cliff - I mean if they're running and they don't look where they're going I have to come out from somewhere and catch them. That's all I'd do all day. I'd just be the catcher in the rye and all. I know it's crazy, but that's the only thing I'd realy like to be. I know it's crazy.
    (『The Catcher in the Rye』J. D. Salingerより一部抜粋)

    野崎孝訳:
    僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――つまり、子供たちは走っているときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっからか、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ」
    (『ライ麦畑でつかまえて』J. D. Salinger、野崎孝訳より一部抜粋)

    村上春樹訳:
    で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子供がいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子供なんかがいたら、どっからともなく現れて、その子をさっとキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。確かにかなりへんてこだとは思うけど、僕が心からなりたいと思うのはそれくらいだよ。かなりへんてこだとはわかっているんだけどね」
    (『キャッチャー・イン・ザ・ライ』J. D. Salinger、村上春樹訳より一部抜粋)

    ここだけ見るとなんのことやらさっぱりわからないと思いますけど、これは主人公のホールデン君が妹のフィービーに言った言葉です。この小説のタイトルにもつながっていく、有名なセリフですね。ちなみにホールデン君は十七歳です。

    wikipediaによると野崎訳が出たのが1964年なので、かなり古いです。例えば「それだけをやればいいんだな」とか、ちょっと古めかしい表現があります。一方、村上春樹訳は当然古臭さは感じませんけど、キャッチするとか、キャッチャーをあえて訳さずにそのまま使っています。

    これはあくまでも個人的な好みですけど、私はやはり野崎訳の方が好きです。例えば、crazyを村上訳では「へんてこ」、野崎訳では「馬鹿げてる」と訳されています。私はここ、「へんてこ」はちょっとどーかなーと思うんですよね。まあ、あくまでも好みです。

    で、本題の村上春樹っぽいかどうか。どうでしょう。私、原文はよくわからないですけど、野崎訳でも、なんとなーく村上春樹っぽい感じはします。しません?

    村上春樹の小説で、十七歳の男の子のセリフは……あ、『海辺のカフカ』があった。十五歳だけど。でもカフカくんはもっと大人びてましたよね。とにかく、村上春樹の小説の中で、上記のようなセリフがあったかどうかわからないですけど、なんとなーく。「馬鹿げてることは知ってるけどさ」とかね。

    こんな感じでいいでしょうか? これけっこうおもしろいなー。また別のやりまーす。とりあえず、ではではー。
  • おー、これは流石の私も知っている有名な部分。
    Han Luせんせい、ありがとうございますm(_ _)m

    これはとても面白い。
    何が面白いって、野崎孝訳の文章の方がそのまま村上春樹の小説の文章に近くて、村上春樹訳の文章は村上春樹の小説の文章っぽくない、ということです。

    ところでこの部分丸ごと全てが、村上春樹。わかるようなわからないような例え話は、村上春樹の「僕ちゃん」たちの得意技ですよね。


    どうでもいいけど、野崎訳が出たのって私の生まれた年……。
  • 面白いですよねー。

    そうなんですよ、どちらかというと、野崎訳のほうが、なんとなく村上春樹の小説の文章っぽいんです。不思議ですよね。確か、村上春樹は、『ライ麦畑でつかまえて』の野崎訳はかなり昔に読んで以降ほとんど読み返したことはなかったと書いていた気がします。ということは、やっぱりどこか根源的に通じるものがあるのでしょうね。

    そして、この部分の丸ごとすべてが、村上春樹的だというのも、同感です。ただ、このたとえ話は、私にとってはわかりやすいです。

    この小説に限らず、サリンジャーの小説の登場人物たち、ティーンエイジャーや二十代の若者たちが多いのですけど、彼らの抱えている傷つきやすい自我のようなものをとてもよく表しているセリフです。

    崖から転がり落ちそうな子供たちを助ける人になりたい――。自分だってまだ子供と言えるような十七歳の少年が、ほとんど社会からドロップアウトしている少年が言うこのセリフには、とても普遍的で大事な何かが込められていると思います。それは、私たちが必死になって守らなければならないものだと思うのですが、それにも関連する次の作品はまた後ほど取り上げまーす。

    ではー。
  • 「私には、そのライ麦畑のキャッチャーというのがどういうものなのかはよく分からないけど、あなたが今とても傷ついていることは分かったわ」
    「うん、僕は傷ついているのかもしれない」

    「でね、そのライ麦畑のキャッチャーになるには、具体的にどうしたらいいのかしら」
    「具体的に?」
    「どういう資格を取ればいいのかとかどういう職業に就けばいいのかとか、そういうことを言ってるんじゃないのよ」
    僕は黙って頷いた。

    「いい? あなたには今とても明確に『なりたいもの』があるわ。そういうものがあるっていうのは、とても素晴らしいことなの」
    「ライ麦畑のキャッチャーが?」
    「そうよ、そのキャッチャーがよ。そのためにあなたは、先ずライ麦畑の中から外に出るの。そして、ライ麦畑のどこが危険でどこが安全なのか知らないといけない。そうしないと、子供を捕まえてあげることができないでしょ?」
    「よく分からないな」僕は俯いたまま答えた。

    「だからね、なりたいものがあるのなら、先ずは歩き出しなさい。ライ麦畑のキャッチャーになるために、先ずは歩き出すの」

    「僕にできるのかな」
    「できるかできないかじゃないの。そうするの、そうするべきなのよ。だってあなたは今、しっかりと生きているでしょう? 生きているということは、そうやって歩き始めることでもあるのよ」

    「僕は生きている……」
    「そうよ、あなたは生きてるのよ」



    村上春樹作品だったら、こんな会話が続きそう。
  • 冗談は置いといて……。


    学校から逃げ出してみたものの、大人の世界は欺瞞に満ち溢れたものと絶望した主人公が、ライ麦畑で遊ぶ子供たちの守護的役割になりたいと思うのは、夢想なのか逃避なのか大人への反抗心なのかはともかく、流石の私にも喩えの意味は分かりますよー。

    ライ麦畑も崖も物理的なそれを指してるんじゃないことは、もちろん分かってます。いや、分かってるつもりです。

    なんだかよく分からない、というのは、ライ麦畑をいくら走っても「崖」に遭遇することはないだろう、という(とてもどうでもいい)こと。

    こういう、ありそうでなさそうな話し、村上春樹もよくやるよなーって。
  • 「崖」はどこにでもあるんじゃないかなーと、私は思います。

    このホールデン君のセリフ、翻訳とは関係なく、村上春樹を連想させます。これ、次回で触れようと思っていたのですが、前倒しします。

    2009年村上春樹はイスラエルで最高の文学賞と言われているエルサレム文学賞を受賞しました。そして、エルサレムで行われた授賞式に出席し、そこでスピーチを行っています。そのスピーチの中で彼はイスラエルによるガザ地区への攻撃に触れ、そして、「壁と卵」というたとえ話をしました。一部抜粋します。

    「もし、硬くて高い壁と、そこに叩きつけられている卵があったなら、私は常に卵の側に立つ」(「村上春樹エルサレム受賞スピーチ」書き起こし.comより)

    あとで述べられますけど、ここでの「壁」は武力の、「卵」は非武装市民のたとえです。

    このスピーチの内容を読んだとき、私はまっさきにホールデン君のセリフを思い出しました。私の頭の中には、壁に向かって投げつけられた卵が壁にぶつかる前につかまえようと、虫取り網みたいなのを持って必死になって走り回っているホールデン君の姿が浮かびました。

    これは私の勝手な想像ですけど、『ライ麦畑』を読んだとき、村上春樹はこのホールデン君のセリフに自分の奥の方にある何かに通じるものを感じたのではないかと思います。

    それにしても、このエルサレム賞の村上春樹のスピーチは素晴らしいと思います。全文を載せたいくらいです。先に挙げたような戦争に対する見解だけでなく、作家としての基本的な姿勢が端的に述べられていて、この人の作家としてのスタンスを理解する上で非常に重要なテキストになっていると思います。検索して、読んでみてください。

    「崖」はライ麦畑にも、中東にも、どこにでもあると思います。
  • たぶん噛み合ってないです。

    私が言ってるのは、現実世界に存在するライ麦畑の中に「崖」はあるはずないんだけど、そういう喩えを持ってくるのが面白いというか、村上春樹もよく使うなっていう話で、上で紹介していただいたスピーチの話なんかが、まさにその似てるなと思ってる部分です。

    このスピーチは私もどっかで読みました。大方忘れてしまってるのが残念ですが、紹介いただいた部分だけは、よく覚えています。
  • たびたびお邪魔します!
    いや、すごいですね。原文と二人の訳文。こうしてみると本当に分かりやすいですね。

    ちなみに訳文って、同じものを二度目に訳出する時、極力前出の日本語とかぶらないようにしすぎている、そんな風に感じたことありませんか?
    タイトルからしてそうですが、あまりに不自然な言葉を選びすぎている。ライ麦畑のキャッチャー、すごく違和感を感じるのです。この語感がなんとも村上さんらしくない気がしたりします。
    この辺りが新訳を読みたくない理由だったりもします。

    ちなみにサリンジャーはグラース家サーガが一番のお気に入りです。
    野崎さんの訳だから嵌まったような気がしてます(笑)

    関連のない話ですみませんでした!
  • 関川さん(がいいんでしたよね)こんばんは。
    面白いですよねー、こうやって並べていただけると。
    Han Luせんせいに改めて感謝ですm(_ _)m


    話が飛ぶんですけどね。
    笑い男とキャッチャーミット、そして野球は得意じゃないって話、あれは村上春樹訳からのインスピレーションなのかなあ。
    ごめんなさい、相変わらず空気読めなさすぎで。
  • @kobuupapaさま

    ですねー。すみません!

    ああいう比喩表現も村上春樹お得意の手法ですよね。そして、アメリカの作家もすごく比喩をよく使っていて、それが豊かで楽しいです。比喩表現といえばチャンドラーで、これもまた村上春樹が新訳してますね。

    関川さま

    こんばんはー。

    私もそれ、まったく同じこと思ってました。絶対、前の訳とかぶらない言葉選んでるよね? って。キャッチャー、違和感ばりばりです。新訳あるあるですねー。

    私もグラース家サーガ、大好きなんです! というわけで、次回は『フラニーとゾーイー』です。
  • Han Luせんせい、本当にごめんなさい。

    せっかく真剣に、とても時間をかけて、大切なことを書いてくださったところに、くだらない冗談を書いた上に、とても舌足らずな上に本質から外れるようなことを書いてしまって。

    私は別に、自分の思ったことを押し通したいわけでもなく、ただHan Luせんせいの思いの丈と違うことを主張し続けたい訳ではない(はず)なことを分かっていただければ、それだけで安心です。
    安心というのも、かなり変なのですが。


    なんか、気を使っていただいたようで、本当に申し訳ない……。
  • 大丈夫です!

    伝わってますから、安心してください。

    こちらこそ、なんかお気を使わせてしまいました。

    引き続きよろしくお願いします!
  • こんばんは!
    フラニーとゾーイ―、すごい好きな作品です。
    ちなみにサリンジャー没後、未発表作品の中にグラース家ものが入っていて、死後に公表されるという話はご存知かと思います。
    あれってあの後どうなったかご存知ですか? 発表のアナウンスもなく、もちろん翻訳のアナウンスもなく、のままずいぶん月日がたっているような気がしてまして。

    それから@kobuupapaさん、こんばんは。
    笑い男とキャッチャーミット、そして野球は得意じゃないって話、あれは村上春樹訳からのインスピレーションなのかなあ、の所。
    ナインストーリーズの笑い男は分かりましたが、後の方はちょっと分かりませんでした。うまく返信コメントできなくて、ごめんなさい!
    サリンジャーのいろいろは底なしですね。

    ここに来ると皆さん知識が深いのを実感するばかりです。
    ということでまた!
  • 関川様

    こんばんはー。

    『フラニーとゾーイ―』いいですよねー。ことあるごとに読み返しています。何度読んでも色あせない。すごいです。

    サリンジャーの死後に公表される作品の件、私もずーっと気になっていました。結局何の音沙汰もないままですよね。その間、評伝やサリンジャーのエージェンシーだった女性が描いた本が出たりしてますけど、私は読んだことがなくて。

    ネットでちらっと見たら、「彼の遺言により2015年〜2020年のあいだに出版されることが明らかになった」とありましたけど……。

    未発表作品、読んでみたいような、読まないほうがいいような、複雑な気持ちです。でも、出たらもちろん読みますけどねー。

    あと、@kobuupapaさまの「笑い男とキャッチャーミット、そして野球は得意じゃないって話、あれは村上春樹訳からのインスピレーションなのかなあ」は、攻殻機動隊S.A.C.(特に最終話)のことを言われているんだと思います。ですよね、@kobuupapaさま。


    ということで、@kobuupapaさま。

    特に村上春樹訳とは関係ない(といいますか、『キャッチャー』の村上春樹訳が出たのはS.A.C.の後ですよね)と思います。

    ただ、神山監督は明らかに最終話で『ライ麦畑でつかまえて』に大きな意味付けを行っていますよね。一言で言いうと、それは青臭い正義感のようなものでしょうか。あと、やっぱり、ジョン・レノンを撃った男のことを連想しますよね。正義感をめぐるトグサ、課長、アオイとの関係についてはたぶん聞かれたことがあると思いますけど、一応ご参考に。
    http://blog.livedoor.jp/elrain012/archives/50415429.html
    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1139197446

    「野球が苦手」は、ただ単に、「九人目のメンバー」という課長の言葉に対して、野球の人数とかけて答えただけだと思いますけど。

    それにしても、改めて、サリンジャーの影響恐るべしです。隠遁したくなる気持ちもちょっとわかりますね。
  • さて今回は『フラニーとゾーイ―』の原文&初出訳&村上春樹訳比較です。

    原文:
    “But what I don’t like -- and what I don’t think either Seymour or Buddy would like, either, as a matter of fact -- is the way you talk about all these people. I mean you don’t just despise what they represent -- you despise them. It’s too damn personal, Franny. I mean it.
    (中略)
    But when you tell me about it -- and I’m not fooling, now -- you tell me about it as though his hair was a goddam personal enemy of yours. This is not right -- and you know it. If you’re going to got to war against the System, just do your shooting like a nice, intelligent girl -- because the enemy’s there, and not because you don’t like his hairdo or his goddam necktie.”
    (『Franny and Zooey』J. D. Salingerより一部抜粋)

    野崎孝訳:
    「しかし、ぼくの気に入らないのはだな――そして、これは実は、シーモアにもバディにも気に入るまいと思うんだが――そういう連中のことを言う時のきみの言い方なんだ。つまり、きみは、彼らが象徴してるものを軽蔑するだけじゃない――彼らそのものまでを軽蔑するんだ。それでは個人的にすぎるよ、フラニー。本当だよ。
    (中略)
    ところが、きみがその話をする場合には――いいかい、ぼくはからかってるわけじゃないんだよ――きみが言うのを聞いてると、まるで彼の髪の毛がきみの仇ででもあるみたいな感じなんだ。これは間違ってるよ――しかもきみ自身それを承知してることだ。もしも制度相手に戦争しようというんなら、聡明な女の子らしい銃の撃ち方をしなくっちゃ――だって、敵はそっちなんだろう。彼の髪のやり方やネクタイが気に入らないというのは関係ないよ」
    (『フラニーとゾーイ―』J. D. Salinger、野崎孝訳より一部抜粋)

    村上春樹訳:
    「でも僕が気に入らないのは――そして更に言えば、シーモアやバディーだってやはり気に入るまいと思うのは――そのような人々みんなについて語るときの君の口調なんだ。つまりさ、君は彼らが代表しているものを忌み嫌うのではなく、彼らを忌み嫌っている。それでは個人的な次元の問題になってしまうんだよ、フラニー。ほんとだぜ。
    (中略)
    しかし君が話ををするとき――なあ、これは冗談抜きで言ってるんだが――君はまるで彼の髪が君の個人的な宿敵であるような話し方をするんだ。そいつは正しくないし、そのことは君にもわかっているはずだ。もし君がその<システム>に戦いを挑むなら、君は育ちの良い知性のある娘として、相手を撃たなくちゃいけない。なぜなら敵はそこにいるからだ。何も彼の髪型やらネクタイが気に入らないから戦うわけじゃないだろう」
    (『フラニーとズーイ』J. D. Salinger、村上春樹訳より一部抜粋)

    今回も会話文ですけど、前回のように「文体」が村上春樹っぽい、ということではなく、内容が村上春樹っぽい、という点でピックアップしてみました。

    これも、ここだけ読むとなんのことかわからないんですけど……ええと、どこからどこまで説明すればいいのかな、この『フラニーとゾーイ―』っていうお話は、兄妹のお話で、フラニーが妹、ゾーイ―がお兄さんですね。で、ほかにシーモアやバディっていうい兄たちがいる(正確にはいた)、全部で(確か)七人兄弟の一番下の兄妹のお話。

    上のセリフはそのゾーイ―が妹のフラニーに語って聞かせているセリフです。フラニーは、ちょっと精神的に参っています。セリフの中に出てくる「彼」というのはフラニーが通う大学の教授のことで、その教授をはじめとした周囲の人間たちの欺瞞や偽善や自己顕示欲や、そういった人間の醜いもろもろについてほとほと嫌気がさしている、それが原因でボーイフレンドともすれ違っていて、でも、フラニーはとても賢い子だから、そういう自分にも嫌気がさしている、そんな状況。にっちもさっちも行かないって感じ。

    さて。

    今回は、私は村上春樹訳を推したいです。特に後半部分、ものすごく気合入ってる感じがします。ポイントはいくつかあって、例えば野崎訳では前半部分の「それでは個人的にすぎるよ」が村上訳では「個人的な次元の問題になってしまうんだよ」となってます。後半部分の展開を考えると、ここはやはり村上訳の、より具体的な表現の方が的を射ている気がします。

    そして一番のポイントはやはり<システム>です。ここが、前述した「内容が村上春樹っぽい」というところにつながるのですけど、原文では「the System」、野崎訳では「制度」、村上訳では「<システム>」となってます。ここはやはり今の私たちの感覚からいくと「システム」としてほしいなーと思います。しかも、村上訳、<>付きなんです。村上春樹としては、ここは絶対に強調しなければならない言葉なんですよね。

    さきほど述べたような状況のフラニーは、ともすると彼女の周りの個人に対して一方的な批判の目を向けています。それに対して、兄のゾーイ―は、戦うべきは個人ではなくて、<システム>だ、と言っているのです。つまり、悪いのは個々の人間ではなくて、あくまでも<システム>なんだ、と。育ちの良い知性のある娘として<システム>を撃て、敵はそこにいる、って言っているんですよね。

    ここは完全に村上春樹の小説世界、小説を書く上でのスタンスと、シンクロしています。見事なくらい。

    村上春樹と、<システム>との戦いについは、また次回!
  • こんばんはー。

    そうですそうです攻殻の話です。
    そして今、村上春樹訳の出版年がSACより後なことに気づいて、これは左利き用のキャッチャーミットだなと思ったところでした。
    (左利き用のキャッチャーミット、実際に存在するのに、なんでSACの世界では「無い物」のネット隠語になってるんだろう?)

    最終話でトグサが持ってた本は、まさに野崎孝訳のやつでしたね。

    SACはいろんなところにサリンジャー関連の仕込みがあって、探し始めたら大変。
    授産施設の子供たちの名前と『笑い男』の登場人物の一致とか、アオイが子供達に残したのが、ライ麦畑の一節が書かれた「キャッチャーミット」だとか(左利き用かどうかは分からん)、ラストの話で少佐に投げてよこされた「赤いハンチング帽」とか、それを「ツバを後ろに回してかぶる少佐」とか。あと、ホールデン君の妹のフィービーも(名前として)登場してるとか。
    細かいところまで見ていくともっとあちこちにいろいろ。
    ご存知かもですが、今ではそんなのを拾い集めてるブログとかもありますね。
    便利な世界になったものです。
    まだ電脳が直結してる訳じゃないのでタイムラグが大きいですが、外部記憶を検索しながら会話をする攻殻の世界が、かなり近づいてますね。

    ちなみにアオイのセリフは、野球が「苦手」じゃなくて「ヘタですから」でした。

    確かにこれは、これは別にサリンジャーは関係なくて、9人目のメンバーと野球のメンバーとかけてるだけですね。


    いやはや、大脱走ならぬ大脱線でしたm(_ _)m
  • おっと、くだらんことを書いていたら本題が投下されていたでござる(>_<)

    ごめんなさい、酔っているので詳細まで掴みきれないと思うのでその辺は明日ゆっくり。

    訳出ふたつを読んだイメージは、(私が知ってる)春樹作品の言い回しはやっぱり野崎孝の方で、春樹さん訳の方はまるでそれを「とてもわかりやすく誤解の無いように」書き直してくれたもののような、不思議な感じがしてます。
  • @kobuupapaさま

    攻殻の件、なるほど、たくさんありますねー。そっか、赤いハンチング帽ね、言われてみれば確かに。って、これ『ライ麦』のすっごくいいシーンに使われてるんですよ、でもぜんぜん気づかなかった。

    神山監督、よっぽど思い入れがあるんですね。『東のエデン』でも、『ライ麦』で出てくる重要な場所を使ってましたから。

    電脳。確かにそういう世界に近づきつつありますね。でも、人間が新しいステージに移行するよりもAIの進化の方が早い気がします。脱線しそうなのでまた今度。
  • 私はあまり評論や作家論を読まないので、今さら改めて言うまでもない、周知のことなのかもしれませんけど、ちょっと村上春樹と<システム>について書きます。といっても、本人がとてもわかりやすく(けっこう何度も)語ってるので書くことないんですよね。

    上記の『フラニーとゾーイ―』で出てきた「敵は<システム>なんだ」という部分、村上春樹の小説で取り上げられているテーマと直結しています。具体的な例を挙げるにはまたいろいろと引っ張り出してこないといけないので、ここは手抜きをして、またまたエルサレム文学賞受賞スピーチから引用しちゃいます(このスピーチむっちゃ便利)。

    「私が皆さんにお伝えしたいことは一つだけです。我々は国や人種や宗教を超えて、同じ人間なのだということ、システムという名の硬い壁に立ち向かう壊れやすい卵だということです。見たところ、壁と戦っても勝ち目はありません。壁はあまりに高く、あまりに暗くて-あまりに冷たいのです。少しでも勝機があるとしたら、それは自分と他人の魂が究極的に唯一無二でかけがえのないものであると信じること、そして、魂を一つにしたときに得られる温もりだけです。

    考えてみてください。我々のうちにははっきりとした、生きている魂があります。システムは魂を持っていません。システムに我々を搾取させてはいけません。システムに生命を任せてはいけません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです。」
    (「村上春樹エルサレム受賞スピーチ」書き起こし.comより)

    あんた、そんなたいそうな話書いてたっけ? という声も聞こえてきそうです。でも、いつの頃からか、確かに村上春樹の小説の中には(『ノルウェイの森』のようなリアリズム小説じゃないほうの、広い意味でのマジックリアリズム小説の方)、このようなシステムへの抵抗を意識した内容が盛り込まれてきました。もうちょっと引用します。

    「私が小説を書く理由は一つしかありません。それは、個々の魂の尊厳を浮き彫りにし、光を当てるためなのです。物語の目的は警鐘を鳴らすことです。システムが我々の魂をそのくもの糸の中に絡めとり、貶めるのを防ぐために、システムに常に目を光らせているように。私は、物語を通じて人々の魂がかけがえのないものであることを示し続けることが作家の義務であることを信じて疑いません-生と死の物語、愛の物語、人々が涙し、恐怖に震え、腹を抱えて笑う物語を通じて。これこそが、我々が日々、大真面目にフィクションをでっち上げている理由なのです。」
    (同上)

    もうこれ以上何も言うことができないくらい明確でわかりやすい宣言だと私は思います。システムに対抗できるのは物語なのです。これは別にシステムに対抗する内容のお話だけを指しているわけでないです。「生と死の物語、愛の物語、人々が涙し、恐怖に震え、腹を抱えて笑う物語」でありさえすればいい。ありさえすればいいけれど、きちんと「生と死について語られ、愛について語られ、人々が涙し、恐怖に震え、腹を抱えて笑う」物語でなくてはならない。さて皆さん、そういう物語、どれだけ知ってますか? システムに対抗できる物語、私は知ってるよ、これだよ! って、どれだけ挙げることができるでしょうか。

    最後に、カクヨムに投稿されている中にも、この<システム>というやつに触れている作品がありましたので、それを引用して、この回、終了です。

    ----------------- 
     私の世界では、いったん出来上がってしまったシステムはそう簡単に変えることはできない。それは私たちの、人間の持つ素晴らしい資質であると同時に、とても愚かな一面を証明するものでもあった。

     人間はこれまで何度も自分たちが作り上げたシステムに殺されてきた。システムを構成する人間一人ひとりは悪くなくても、いったんシステムに取り込まれてしまうと、人は簡単に愚かになった。

     そうやって私たちは何度も間違ってきた。

     システムには抗えない。

     それを証明するような歴史的事実を私は数え切れないほど知っているし、そんな物語を私はこれまで何度も読んできた。

     でも、この世界ではシステムを変えることができる。

     私の思い通りに。

     たくさんある可能性の一つだから?

     理由はわからないけど、もしそんなことができるのなら、やってみたい。

     やってみてもいいよね。

     この世界を本来の姿に戻す。そのために私たちはここまで来た。

     決めた。

     やっぱり私は別の選択肢を選ぶことにする。
    ----------------- 
    引用終わり。

    次回は、「チャンドラーの比喩表現と村上春樹」の予定でーす。
  • 触れるの忘れてた。

    @kobuupapaさまのおっしゃる通り、村上春樹の訳は、

    >「とてもわかりやすく誤解の無いように」書き直してくれたもののような

    そんな感じですよね。私もそれは感じました。

    たぶん、そこまでの文体を身につけるためには時間が必要で、今になって、たくさんの重要な海外文学の新訳を手掛けるようになったのは、そういうことがきちんとできるようになったと自ら判断できたから、じゃないかなーと思うのです。
  • こんにちは!
    フラニーとゾーイーの訳者対比も素晴らしいですね。これだけの作業、ホント大変だと思います。が、一目瞭然ですごく面白いですね。

    あとのテーマにもある『システム』を中心に、訳を比べた印象なども書いてみたいなと。

    野崎版でいうところの、このシステムは当時のアメリカの独特の雰囲気(間違ってなければ戦争中の雰囲気)、その根底に流れる不安と日常生活が続いている奇妙な状態、を指している感じでしょうか。国家体制とか社会情勢、風潮みたいなところまででしょうか。

    村上版では、このシステムがもう少し大きなものに拡大している印象がありますね。システムという言葉自体がもつ響きのせいでしょうが、もっと大きな、前者がアメリカ国内であれば、人類全体に関わるような感じのもの、普遍的なものにまで広がる感じがありますね。

    これはフラニーとゾーイ―だけが出てくる物語ですので、村上版の訳ではちょっと大げさに聞こえますね。というか村上/ゾーイ―になってるわけですね(笑)

    ただ、村上版はその後の展開も踏まえて、ちょっと突っ込んだところまで書きだそうとしている意欲を感じますね。
    物語を俯瞰してから書いているような印象ですね。

    そしてスピーチの内容を読んでみると、ここに彼の書きだしたい、表したいテーマが浮かび上がりますね。

    @kobuupapaさんの話も解説ありがとうございます。
    攻殻機動隊は見てましたけど、あまり深く見てませんでした……いろいろと隠されていたんですね。
    また見直してみたくなりました!

    ちょっと支離滅裂ですが、このまま投稿します(笑)




  • 関川さま

    なーるーほーどー。そうか、確かに野崎版のときの時代背景と、今とではぜんぜん違いますもんね。手元の文庫本では1968年刊行ってありますから、ベトナム戦争中ですよね。当時の普通の感覚だと、アメリカ国内の体制のことを指しますね。

    村上版、そう考えるとちょっと大げさです。なんか壮大なことになりますね。そうそう、村上/ゾーイ―になってる……。

    サリンジャーがほんとのところどこまで普遍的なテーマとして書いていたのかわからないですけど、後半に東洋哲学的なネタとか盛り込んでますので、視野を広く持とうとしたかも、とは思います。

    村上版、確かに全体を俯瞰したうえで、突っこんだり、わかりやすくしたり、という感じはありますね。

    むっちゃ納得のご意見ありがとうございました!

    作業はそれほど大変ではないんですよ。自分でも一度このへんちゃんと整理したいなーと思っていたので、よかったなーと思ってます。

    攻殻、今見たらまた新たな発見があるかもですよ。

    またいつでもご意見お待ちしています。ではでは~。
  • こんばんはー。

    まだ〈システム〉の話をちゃんと読めていないのです。
    なので、訳出対比の件の続き。

    野崎先生版は、恐らくあまりにも直訳的すぎるのでしょう。
    ライ麦畑のあのシーンの場合は、あくまでも抽象的な話なので、日本語として煙に巻かれてしまうような訳でも、語感がよければ恐らく問題はない。

    でも『フラニーとゾーイー』のこの場面に関してはかなり違いますよね。
    より日本語的な表現を使わないと、恐らく何を言っているのか分からないか、誤った解釈に陥るかもしれない。
    村上先生の訳出を読む限り、表現を「日本語的」にすることにかなり力を注いでいらっしゃるように感じる。

    で、『フラニーとゾーイー』を知らない私が何をか言わんやなのですが、Han Lu先生のこのシーンの解説を読む限り、Systemの訳語として「体制」はあまりそぐわない感じがします。恐らくは「構造」とかそのくらいのイメージ。
    でも、関川先生のおっしゃる、当時の米国がベトナム戦争に足を突っ込み始め云々ということを考えると、国家「体制」に影響された人々の行動やら発言やら、そういうものを指してるのかもしれない。
    そうすると「体制」という訳語もあながちそぐわないものでもないのか???

    村上先生がそれをあえて訳さず〈システム〉としたことの意図は、まだ私には窺い知ることすらできませんし、読んでないので本当に分かんないんです。

    でも、ひょっとしたらですけど。
    Systemという「英語」は日本語の概念としてピッタリくるものがなかなかないようにも思えます。
    「体制」「構造」「体系」「仕組み」……。

    こういう言葉を訳出する際、もっとも近しい日本語を選ぶことがもっとも正しい方法だと思うんですけれど、恐らくSystemは日本語として幅広い概念を含みつつ「定着」している言葉でもある。
    だからこそ、あえて訳さず〈システム〉としたのかなあとかね。
    こういうのをやりすぎると、明確でない言葉が独り歩きを始め、おかしなことが起こるわけでもありますけど。

    せっかく色々と例示していただいたのに、この程度のことしか理解(それも怪しい)できないのが歯がゆいのですが、とりあえずそのことは忘れて、Systemのお話をじっくり読みたいと思います。


    あいも変わらず支離滅裂でごめんなさい。


    それから関川先生へ。
    攻殻機動隊はいいですよー。できれば原作漫画も読んでいただきたいし、押井版の劇場アニメは言うに及ばずアライズ系も。

    一つのアイディアから押井版やら神山版やら冲方丁版がどうして出来たのか考えるのも楽しい。
    多分、商業的なことだけを考えていたのなら、こんなものは生まれていなかったと、私は思うんです。
  • こういう話は楽しいですね!

    ちなみに村上さんのスピーチは確か英語で行われたものですよね。
    となると彼の使ったことばのニュアンスは、日本人よりも英語圏の方々の方にしっくりとくる言葉だったかもしれませんね。
    システム、という言葉のもつイメージ、日本ではいろんな訳が出来ますが、英語圏ではその一語で足りてるわけですからね。
    言葉ひとつでも受け取り手のイメージはいろいろですね。
    runだって訳では走るから経営、実行といろいろ意味があっても、英語圏ではrunの一言で全部理解できるわけですものね。

    このあたり@kobuupapaさんの感じるモヤモヤの正体かも。
    あ、ちなみに攻殻機動隊の原作は大好きです。簡単に言えば士郎正宗のファンですね。アップルシードなんかも欄外の解説を隅々まで楽しんでいたクチです(笑)
    アライズ系というのはまだ未見です!
  • あ……書き忘れたことが。

    野崎訳に関して@kobuupapaさんのいう直訳的、というのは私も同感です。ですが、逆にそれが分かるのがすごくいいコトだと思ったりしてます。つまり訳者の個性を極力殺しているように感じられるんですね。

    そして、直訳的に言葉をつなげても、リズムよく読ませることのできる原文の力を感じたりもするのです。

    私はこれが地の文の読みやすさ、そのものだと思うんです。解釈や誤解の余地のない平易な書き方、文章とか言葉のつなげ方、時折ハッとするような表現を入れるタイミング。
    日本語で書かれた文体とは少し違う、ドライな感じ、論理的な文の積み上げ方、こういうものが心地よく、また初期の村上さんのフィーリングにも合っていたのではないかと。

    またしても支離滅裂ですね。言葉をつないでいく、言いたいモヤモヤを表に出すというのはいつでも難しいものですね。
  • あああああ、大事なことに触れるの忘れてた。

    カクヨムに投稿されてたシステムに触れたお話は、私がとても好きな物語で、これをきっかけに私はその作者様のことを知り、その作者様のファンとなったわけですが、そのお話がこんなところに繋がっていたとは。

    今になって初めて、その作者様の思いの丈の大きさを知らされました。

  • 途中で送ってしまった。

    課長さん、お久しぶりですm(_ _)m
  • 関川せんせい。

    アップルシードをご存知だったとは、何という釈迦に説法(>_<)
  • @kobuupapaさん
    ただの漫画好きです。
    士郎正宗は本編も面白いですけど、ミニ知識コーナーがまた面白いんですよね。あれでいろいろ勉強しました。政治や哲学とからSFネタ、ミリタリー、でも女の子の書き方が可愛くて、とすごい作家です。
  • おもしろーい。

    あのスピーチは、もちろんもともと英語で行われたものです。なので、表現も英語圏の方にしっくりくるような文章になっているはず。システムの日本語訳、確かに難しいですね。訳し方ひとつでかなりニュアンスが違ってきちゃう。

    私はあまり深く考えず、システムという言葉を使っていて、なんとなーくこういうものっていうイメージはあるんですけど、日本語にするとなるとできない。あえていうと、仕組み、かなー。

    野崎訳は、私も原文の感じをよりそのまま感じさせる翻訳じゃないかなーと思います。だから、原文にぎこちなさがあったらそれもそのまま訳している感じがします。村上訳は原文の雰囲気を損なわない範囲で修正している気がします。

    >日本語で書かれた文体とは少し違う、ドライな感じ、論理的な文の積み上げ方

    やっぱり、違いますよね、日本の地の文とは。明らかに違う。でも、その違いがうまく説明できなかったんです。ドライな感じは、ありますね、確かに。これもまた改めて考えたいと思います。

    こういうのって、やっぱり一人で考えるのは限界があるなーと、つくづく思いました。

    @kobuupapaさま、最後の引用はちょっと蛇足だったかも。

    アップルシード、私も読んでました。なつかしー。いろんな分野のネタがすごかったですよね。すごい情報量でした。
  • えーと、夕べからちょっと思ってたことをちょっとだけ投下。

    論理的とかドライとか感じる要素の一つには、日本語と欧米語の言語体系の違いが少なからずありそう。

    日本語は、結論が最後にくる。
    欧米語は結論が最初にくる。
    これだけで、欧米語的に書けば日本人にはドライに感じるだろうし、論理的に話が構築されているようにも感じる。


    思考は言語によってなされるものだと思うので、そこからくる理論の組み上げ方も、もちろん違うし、欧米人に言わせれば、日本人は何を言おうとしているのかわかりにくくてかなわん、となるわけですが)


    あとは、欧米人のユーモアのセンスと日本人のそれの違いも大きいように感じます。
    日本人は、真面目な話をしている時にユーモアを混ぜ込むことを好まないけど、欧米人はそれが好き。
    ウィットに富んだ会話、というやつです。ちょっと洒落たことを言ってウインクするような。
    「髪型やネクタイが気に入らないから戦うわけじゃないだろう?(ニヤッ)」みたいな?

    だからどっちが偉いというわけではないんですけどねー。


    うーん、まとめられない……。
  • ユーモアのセンスは、すごくあると思います。どんなときにもユーモアのセンスを忘れないということは、精神的にすごく強いことだと思います。日本人はそのあたりが弱いですよね。まじめすぎるのかなー。

    ユーモアのセンスがあるかどうかって、その作家が好きかどうかの判断基準の大きな要因の一つかもしれないなーと、今思いました。
  • 言語の話まできましたね(笑)
    ついでなので私の主観も披露してしまいます。

    私は日本語は伝える言語、英語は主張する言語、なんて思ってます。
    たとえば主語、日本ではわたし、あたし、おれ、アタイなんていろいろありますが、まず立場を表明しています。
    英語では全部「I」の一言で言い表せます。主張するのに立場はいらないわけです。確固とした自分の立場だけでいい。
    形容詞の追随する感じなんかもその一端だと思ったりします。

    ところがこの主張が地の文には合っているようなのですね。説明が簡潔で力強い。そうなんだ、そういうものだ、と説得するみたいに積みあがるのではないかと。

    もう感覚的なものなので『ふーん』と聞き流してください(笑)

    ちなみにユーモアの話は全く同感ですね。
    わたしもユーモアは作品の中で大事な位置を占めると考えています。

  • 欧米語は日本語と違って、基本的には主語を省略できないですからねー。
    日本語は主語なんていくらでも省略できるし、意図して省略したりもする。古典の名作然りです。
    伝える言語を超えて、伝わって「欲しい」言語なのかもですねー。

    人称代名詞が日本語ほど多い言語は珍しいのかな。ちゃんと調べてないけど。

    ねえどうなんでしょうHan Lu先生???
  • うわわわー。言語学、ひいては比較文化論にまで関連する話になってきましたねー。ちょっと私の手には負えないです。

    私たちは言葉で思考しているわけですもんね。言語の構造の違いが、コミュニケーションの形態の違いに結びついているのは、とても納得のいく考え方だと思います。

    優劣の問題ではなく、英語的な思考の仕方も、経験しておいて決して損ではないのではと思います。特に、東南アジア諸国に行くと、痛感します。それらの国々の若い人たちは日本の若者たちよりも英語に親しんでいるなぁと感じるからです。
  • 欧米人とアジア人とを比較すると、思考云々以前に骨格や筋肉の、つまり体の作りに関する違いも顕著。
    欧米人は、トレーニングしなくても筋肉量は多いし骨格もがっしりしてる。
    アジア人は骨格は華奢だしトレーニングしたって筋肉は付きにくい。

    DNAレベルでアジア人は劣った種族、という見方があっちの人たちには根強くありましたし、まあ今でもあるでしょう。
    というかあります。
    あえて例示はしませんが。

    だいたい人種差別は言うまでもなく、最近声高に言われてるヘイトなんとかとかセクハラとかは、もともと欧米社会の中には普通に当たり前に存在していたもの。
    レディファーストの真意も、日本よりもはっきりと「システム」として女性の行動を規定していたものなのに。


    ああああ、話がどこへ行ってるんだ、これじゃあまるで2ちゃんのネトウヨ……。
  • とうとう人類学までいってしまいましたねー。

    レディーファーストはもともとは、今のような女性を優先するという概念ではなく、まったく逆の行動規範から生まれた、というのは聞いたことがあります。それはまさに「システム」ですね。

    次回の翻訳対決(?)、週末投下予定でーす(ただいま出張中なのです)。
  • 週末まで時間があるので与太話。

    アメリカンジョークってあるじゃないですか。あれ、今のご時世だと「ピーー」の連続になりそうですよね。

    「俺はなあ、人種差別と黒人が大嫌いなんだよ!」なんていうのは、真っ先に槍玉に挙げられそう。
  • ミステリの書き出しの部分というのは、そこだけ集めた本が出せるくらい(実際に出ています)、いーかんじの文章が多いと思います。ということで今回は『長いお別れ』の冒頭部分。

    原文:
    The first time I laid eyes on Terry Lennox he was drunk in a Rolls-Royce Silver Wraith outside the terrace of The Dancers. The parking lot attendant had brought the car out and he was still holding the door open because Terry Lennox’s left foot was still holding outside, as if he had forgotten he had one. He had young-looking face but his hair was bone white. You could tell by his eyes that he was plastered to the hairline, but otherwise he looked like any other nice young guy in a dinner jacket who had been spending too much money in a joint that exists for that purpose and for no other.
    (『The Long Goodbye』Raymond Chandlerより一部抜粋)

    清水俊二訳:
     私がはじめてテリー・レノックスに会ったとき、彼は<ダンサーズ>のテラスの前のロールス・ロイス〝シルヴァー・レイス〟のなかで酔いつぶれていた。駐車場から車を出してきた駐車係は、テリー・レノックスが左足を自分のものではないといったように車の外にぶらぶらさせているので、ドアを閉めることができなかった。顔は若々しく見えたが、髪はまっ白だった。眼つきで泥酔していることがわかるが、酒を飲んでいるというだけで、ほかにはとくに変わったところのないあたりまえの青年だった。金を使わせるために存在している店で金を使いすぎただけのことだった。
    (『長いお別れ』Raymond Chandler、清水俊二訳より一部抜粋)

    村上春樹訳:
     テリー・レノックスとの最初の出会いは、<ダンサーズ>のテラスの外だった。ロールズ・ロイス・シルバー・レイスの車中で、彼は酔いつぶれていた。駐車係の男は車を運んできたものの、テリー・レノックスの左脚が忘れ物みたいに外に垂れ下がっていたので、ドアをいつまでも押さえていなくてはならなかった。酔っぱらった男は顔立ちこそ若々しいが、髪の毛はみごとに真っ白だった。泥酔しているところは目を見れば明らかだが、それをべつにすれば、ディナージャケットに身を包んだ、当たり前に感じの良い青年の一人でしかない。人々に湯水のごとく金を使わせることを唯一の目的として作られた高級クラブに足を運び、そのとおり金を使ってきた人種だ。
    (『ロング・グッドバイ』Raymond Chandler、村上春樹訳より一部抜粋)

    清水俊二さんが訳したのが一九五八年、村上春樹さんの訳が二〇〇七年です。チャンドラーがこれを書いたのが一九五三年です。

    以下、個人的な感想です。私には何度も読み返す小説というものが何冊かあって、清水訳の『長いお別れ』もそのうちの一つです。何度も読んでいると、清水訳の文章のリズムみたいなものが体に染みついてしまって、ほかの訳を読むとすごく違和感を感じてしまう。ですから、客観的に比較ができない状態になっちゃってます。

    その前提で、清水訳と村上訳を比べてみて感じることは、村上訳はかなり丁寧に訳しているということです。文章を短く切ったり、丁寧な訳出をすることで、より分かりやすい文章表現を行っている感じがします。一方、清水訳は「in a dinner jacket」を訳していなかったり、どちらかというと簡潔な文章で表現しているようです。丁寧さというよりも、原文が持つリズム感のようなものを大事にしている気がします。

    この冒頭部分も、主人公である私=フィリップ・マーロウが目の前の状況を淡々と描写しているだけなのですが、なんなんでしょうね、これ。なーんかかっこいい。そのかっこよさは(読み慣れているからかもしれませんが)なんとなく清水訳のほうが伝わる感じがします。

    この小説については既にいろんな人がいろんなことを語っていますので、今さらなにかを言うのも気が引けます。さらに村上訳『ロング・グッドバイ』の(長い)あとがきのなかでこれ以上ないくらい的確で深い解説を訳者自身が行っているので、もうなにも言うことはないです。

    ただ、一言だけ言わせていただけるなら。小説を読むことが好きな人が、この小説を読まずに一生を終えてしまうことはとてももったいないことだと思います。
  • さて。チャンドラーといえば比喩に代表されるその独特の文体、文章表現。ということでいくつか抜き出してみたいと思います。これも原文書いたほうがいいのかなー。まあ、一応書いておこう。

    原文:
    I climbed my steps and sat down in the living room to read it. The evening seemed very silent. Perhaps a letter from a dead man brings its own silence with it.
    (『The Long Goodbye』Raymond Chandlerより一部抜粋)

    清水訳:
    私は階段を上がって、居間に腰をおちつけると、手紙を読みはじめた。静かな夜だった。死んだ人間からの手紙が静寂をいっしょにもたらしたのかもしれない。
    (『長いお別れ』Raymond Chandler、清水俊二訳より一部抜粋)

    村上訳:
    階段を上り、居間に腰を下ろして手紙を読んだ。夜はとてもしんとしていた。おそらくは死者からの手紙がいずこからともなく沈黙を招き入れたのだろう。
    (『ロング・グッドバイ』Raymond Chandler、村上春樹訳より一部抜粋)

    びっくりするような表現ではないですけど、やっぱりうまいです。そして、こんなに短い文章でもやはり訳者の違いが出ているのが面白いです。やはり村上訳のほうがやや冗長(いずこからともなく、とか)な気がしますけど、どちらもいい感じです。

    もうひとつ、同じ章から。

    原文:
    But not to sleep. At three A. M. I was walking the flower and listening to Khachaturyan working in a tractor factory. He called it a violin concerto. I called it a loose fan belt and the hell with it.
    (『The Long Goodbye』Raymond Chandlerより一部抜粋)

    清水訳:
     しかし、眠るためではなかった。午前三時、部屋を歩きまわりながら、ハチャテュリアンを聞いていた。彼はそれをヴァイオリン協奏曲と呼んでいた。私にいわせればベルトのゆるんだ送風機だが、そんなことはどうでもよかった。
    (『長いお別れ』Raymond Chandler、清水俊二訳より一部抜粋)

    村上訳:
     しかし眠れなかった。午前三時半に部屋を行きつ戻りつしながら、ハチャトリアンがトラクター工場で労働に励む様子に耳を澄ませた。彼はそれをヴァイオリン協奏曲と称していたが、私としては「緩んだファンベルトと、それがもたらす苦悶」とでも呼びたいところだ。
    (『ロング・グッドバイ』Raymond Chandler、村上春樹訳より一部抜粋)

    村上訳がなぜ午前三時半となっているのか謎です。あとは、村上訳がほぼ直訳に近いのに対して清水訳はかなり意訳されている感じです。といいますか、「送風機」とか「そんなことはどうでもよかった」というのはちょっと違っているような……。

    ちなみに、ここは、マーロウがある重要な手紙を読んで動揺し、眠れない夜を過ごしている場面。そのイライラ感が伝わってきます。

    最後に、同じ章からもうひとつだけ。

    原文:
    A white night for me is as rare as a fat postman.
    (『The Long Goodbye』Raymond Chandlerより一部抜粋)

    清水訳:
     私にとって、眠られない夜はふとった郵便配達ほどめずらしいのだ。
    (『長いお別れ』Raymond Chandler、清水俊二訳より一部抜粋)

    村上訳:
     私にとって眠れない夜は、太った郵便配達人と同じくらい珍しい。
    (『ロング・グッドバイ』Raymond Chandler、村上春樹訳より一部抜粋)

    これは比較というよりも、いかにもな比喩表現というとで。昔のアメリカでは太った郵便配達人はいなかったのでしょうか。それともこれ自体がさらになにかを暗喩しているのでしょうか。

    ともかく、こういう表現はいかにも海外小説っていう感じで、決まると本当にかっこいいです。憧れます。でもたぶん、初期の村上春樹の文章が批判されていたのはこういう文章を日本人が描くことに、やっかみを含んだ反感を持たれていたのでは、と思います。鼻につく、みたいな。

    最後に、村上春樹自身の比喩表現を。もっといいのがあると思いますけど、探すの面倒だったので手近にあったものから。

    以下、引用。
    -----------------
    原因のない結果はない。卵を割らないオムレツがないとの同じように。
    (『騎士団長殺し』村上春樹 より)
    -----------------
    引用終わり。
  • そうそう。アメリカンジョーク、どうなんでしょう。本場では、今でもきわどいネタやってそうですけど。差別ネタは昔から定番でしたし。でも、たぶん日本ではダメですよね。これからはもう少し精神的にタフにならなければ(マーロウじゃないですけど)、日本人は(少し大げさに言うと)生き残っていけない気がします。
  • こんにちはー。

    最初に白状しておきます。チャンドラー読んでませんご免なさいm( __ )m


    それはともかく……、
    清水訳と村上訳、今回も不思議な感じですね。清水訳の方が、昔の村上春樹の文章のようだ。

    この二つをなんの前情報もなく読んだとしたら、私は村上訳の方がすっと頭に入るかな。
    短く切った文章が、英語の朗読を聞いているように感じさせます。


    清水訳の「そんなことはどうでもよかった」は、’’the hell with it’’を訳出したものでしょうかね。
    村上訳では前の部分の修飾の続きで「それがもたらす苦悶」としてるけど、どっちが正しいのか私には分からん。
    前の文もそうですけど、韻を踏ませてるようなヤツは綺麗に日本語にするのは難しそうです。

    (ところでこの場面、マーロウはたまたまつけていたラジオから流れてきたハチャトゥリアンのバイオリン協奏曲を聴いたんでしょうか。それとも自分でレコードかけて聴いてた? 自分でレコードかけといて緩んだファンベルトもないか……)


    「太った郵便配達人」の件は、村上春樹さんが大好きでよくやるヤツですね。この辺が元ネタなんだなるほどー。
    アメちゃんのファットマンは日本のそれとはレベルが違って、3歩あるけば息が上がっちゃうようなデブだから、まあ郵便配達人をやったりはしないんでしょう。

    いや、今回も面白かったです。
    ホント、ありがとうございます。
    てかすごいなーこんなに例示できるなんて……。
  • ところでアメリカの私立探偵ものというと……



    裏路地の雑居ビルの2階当たりにオフィスを構え、テーブルの上には崩れそうな書類の山と吸い殻の溢れかけた灰皿が置かれていて、ソファで仮眠から起きた主人公が焦げすぎのトーストと固ゆでのゆで卵をパーコレーターで湧かした苦いだけの珈琲のような飲み物で胃に流し込みながら夕べの出来事を思い出し「今回の依頼もくそくらえだ」とつぶやいているイメージがあるんですけど、これってどこで私の頭の中に作られたんだろう????
  • やっぱり村上春樹のほうが頭に入る感じなんですね。たぶん、そういう意図で訳されているのだと思います。

    ハチャトゥリアン、私はずっと勝手にマーロウが自分でレコードをかけているんだと思ってたんですけど、なるほど、ラジオという可能性もあるんですね。というか、たぶんこれはラジオですね。眠れない夜にわざわざハチャトゥリアンをかけるというのはちょっと考えられません。

    アメリカの私立探偵もの。完全にイメージが出来上がっていますよね。でも確かに、そういうのって、具体的に何からもたらされているのでしょうね。いろんな断片的な情報が積み重なっていくのでしょうか。

    そういうの、つきつめていくとネタになりそう……。

  • Han Lu さま

     奈月です。近況にコメありがとうございます。

     チェブラーシュカの映画は静かでゆるやか~な音楽や空気感がたまりませんね。チェブの日本語吹き替えの声もかわいいー。

     武田百合子さん「富士日記」ですね。あの犬が死んじゃうとこすっごく泣いた覚えが。
     文章が凄いですよね。豪気というか闊達というか。力強くエネルギッシュなのに情感があふれてる。あれって、いくら男っぽい性格とはいえ女性的な部分がそうさせるのかなーなんてすごく憧れました。人に読まれることを想定してないからこその文章ってよく言われるけど、そうなのかなー。あれこそ文才だよな。憧れます。またちゃんと読もうかな。

     百合子さんの山荘があった河口湖からの富士山は雄大ですね。まさに彼女の文章そのもの。
     河口湖は山中湖ほど観光地してなくてこじんまりしてるけどそこが好きです。若いころ星を見に行こうって友だちと深夜にいきなりドライブに行ったりして、河口湖の湖畔で、夜空いっぱいを一直線によぎる大きな流れ星を見ることができて感動でした。あんな流れ星、死ぬ前にもう一度見たいなあ。

     小清水くんシリーズは登場人物も増えて舞台として大分整って来ましたね。次のネタも楽しみです。お互い頑張りましょうー!


    PS. 銀英伝の話もしたいのでした~。最新話「不敗の魔術師」見れたらまたお邪魔します!
  • チェブラーシカ、私、字幕でしか見てないんですよ。チェブの声、ハスキーでした。吹き替えでも見たいなー。

    はい。「富士日記」です。ほんと、すごいですよね。すごい文章です。すごい人はいっぱいいますけど、それだけじゃなくって、百合子さんの文章って愛しいです。そういう人ってなかなかいません。

    確かに男っぽい性格の人だったのでしょうけど、私もあれは女性だから書けるんだと思います。そしてやっぱり、持って生まれた才能ですよね。まさに文才です。人に読まれることを想定してなかったのかもしれませんけど、逆に、人に読まれてもへいちゃら、って感じだったのじゃないでしょうか。だから、「人に読まれることを想定してないからこその文章」とはちょっと違うんじゃないかなーと思います。ロシア旅行記の「犬が星見た」もすっごく好き。

    大学生の時、部活の合宿で何日か河口湖の近くに泊まりました。すごくよかった。とても静かだった印象があります。自然って、とんでもないですね。あたりまえなんですけど。

    銀英伝、私も話したいのです~。「常勝」はどうでした? きれいにまとまってると思ったのですけど。ただ、お姉さんの描き方って、やっぱり難しいなーと思いました。あと、すっごくどうでもいいことなんですが、噴水のシーンってまるまるカットしてもOKなんだ、と目から鱗でした。伝わるじゃん、って。省略は大事だなーと。

    奈月さまとしては、次回が非常に気になるところだと思いますので、ご覧になったらいつでもお待ちしておりますよ~。ではでは~。
  • 「犬が星見た」は未読です。今度探してみよう。やっぱ良い文章に触れなければ駄目だなーと読書強化月間を始めてしみじみ思ってます。カクヨムの皆さんの作品ももちろん面白いけど、世楽さんいうところの「市販されてるブレンデッド」にも常に触れてなきゃ駄目ですね。舌がバカになっちゃいます。

    「不敗の魔術師」観ましたよ。

     ちょっ……。何ですか、少年ヤンのあの可愛さは! か~わ~い~い~。連れて帰りたい~かわいい~。横のマトリョーシカはなんですか? けしからんっ(←???)

     え、えと。順にちゃんと追いましょう。「常勝の天才」きれいにまとまってましたね。一回しか見れなくて残念。もう一回は見たかった。
     制服の半ズボンに驚愕。いや、なんか今見るとびっくり。ハルトもキルヒも普通に可愛い。キルヒアイスは何であんな目つきになってしまったのだ。

     アンネローゼは子ども時代はともかく、もうちっと物憂げな感じが良かったなーなんて。これからそういう描写があるかしら。(旧作一期最終話の画面越しにハルトと会話するとこ大泣きでした)

     噴水のシーンカットは私は唖然でしたよ。尺的にもしや……なんて思いながら見ててバッサリカットでびっくり。潔かったなあ。良いシーンなのになあ、あれ。その後の暖炉の前で笑い合ってるとこで補完してるから良いのかな。
     あとキルヒアイスがお父さんの蘭を盗んでアンネにあげちゃうシーンもなくて残念だった。(あれって原作にはなかったのか? OVAと道原版にはあったから外伝??)

     幼年学校や門閥貴族の描写も分かりやすくて良かったですね。原作を丹念になぞっていたのが好感持てましたが。

     次の「不敗の魔術師」はオリジナルシーンてんこ盛りでしたね。まあ「見せる」ためには必要。だがあのアメリカンなノリはなに!? いやフリープラネッツはアメリカンなイメージだろうけど、ヤンにまるで合ってないやんけ!! ネタですかねえ、これは。

     そしてキャゼルヌには違和感しか感じません~~。なんであんなキャラデザにしたのさ。イメージが全然違うよー。あと三次元チェスって、ボードが三枚立体になってるんじゃなかったのー? 超謎なゲームなんだよ、三次元チェスって……。突っ込みどころ満載の四話でした~。Han Luさま、フォローお願いします。

     あ、そうそう最後のヤンの寝ぐせのぼさぼさ頭は最高でした。いつもあれでいるべきでしょ! 身ぎれいすぎるよ、モテたらどうするんですかっ。
  • 見ました。

    ど~ど~。は~い、だめですよ~。連れて帰っちゃ~。

    確かに、か・わ・い・い。なんですか、あれ。そしてなぜマトリョーシカ。そういえば、一話の冒頭部分も、ロシアっぽかったですけど。あれ、どこの星?

    そのまえに、「常勝」。やっぱり半ズボンでしょう。『カメリア』の時にも触れましたけど、半ズボンですよ、やっぱり。ええと……。あのふたり、普通に可愛かったですね。あと、私も思いました。キルヒアイス、いつからあんな釣り目に?

    そうなんですよ。アンネローゼの雰囲気はものすごく難しいと思います。あまり暗すぎてもねー。元気すぎるのは論外ですけど。

    噴水のシーンはたぶん尺の問題が大きいのではないかと。たぶんこれから切れるところは、ばっさばっさ切っていくと思います。印象的なシーンだったんですけどね。私、その蘭のシーン、覚えてない……。OVA見てるはずなんだけどなー。

    そして、「不敗」。旧作のと一番の違いって、ヤンの描き方じゃないかなーという気がします。旧作よりも、柔らかいです。あそこまで厭世的ではなくて、年相応の、でも少し風変わりな青年という感じがします。

    しかも、あのジェシカのセリフ。あれは単に、ヤンに過去の戦史から未来の戦争の予知ができるということを気付かせただけなのか、それとも、これからのヤンの生き方に影響を与えたひとことだったのか。私は後者だと思うのですけど、だとすると、今後の展開にまで……ってさすがにそれはないですよね。

    微妙なアメリカンでしたねー。こういうの難しいですよね、舞台設定。私は段ボールがすっごく気になりました。キャゼルヌ先輩、ぜんぜん違いますねー。なんか見た目意地悪っぽい。でも、唯一の(?)眼鏡キャラだ! 謎の三次元チェス、ボードが三枚重なっているやつですよね。今回のあれは……なんでしょう?

    そして、エルファシルがすごく短い。いえ、別にいいのです。たぶん、余計な描写はどんどん省いていかないと、十二話でたどり着きたいところまで行けないはず。その代り、必要なオリジナルの描写はちゃんと入れている。たぶんこの新作は、ストーリー構成の力がものすごく重要になってると思います。で。今のところ、完璧だと思います。

    奈月さま。今回のヤン、はっきり言いますけど、モテますよ。だって……かっこいいもん。どうしましょう? 困りましたねー。

    ではまた、なにか思いついたらお邪魔しますので。おやすみなさーい。

  • こんばんはー。
    たまには小説と関係ないお話を。


    今日ねえ、『ヴァイオレット〜』の外伝ってやつを運びましたよ。2刷だったな、13,000部ほどあったっけ。
    重さにしたら、2.4トンほどです。

    私は製本所から倉庫まで横持ちしただけで、こいつは今日の路線のトラックに乗っかって京都まで行きます。
    一昨日は上巻と下巻が同じコースをたどってます。

    なかなかに人気あるんですねこいつ。
    京都行きだけで増刷かかってこの部数だもの。
  • 『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』人気なんですねぇ。アニメモにも書きましたけど、アニメはかなり微妙でした。

    京アニのエスマ文庫って、普通の本屋さんではなかなか見かけなかった気がするのですが、今は違うんでしょうか。エスマ文庫で過去唯一の大賞受賞作のはずなので、気にはなっているのですけど。

    アニメの新作も発表されたことだし、当分人気は続くのかも。

    お仕事、ご苦労様です。
  •  お邪魔します。奈月です。

    「不敗の魔術師」もっかい観ました。

     段ボール……MOVって何の略かしら? ていうか、走り去っていったバンにあれだけの段ボールが入ってたとは思えないのですが~。圧縮とか四次元コンテナとか!? ていうか、ヤンの荷物にしては多すぎじゃない? 「手ぶらのヤン」でしょ。まさか全部本とか。
     あとウィスキーのラベル剥がして栓を抜く音とか良すぎて笑ったー。なんでしょうね、音が良すぎるの。

     そうそう、冒頭の農民?もロシアなイメージ。ちょいちょい挟んでくるロシア色は何なのでしょう?

     ヤンはすっごく現代の若者に寄せていってると私も思います。なによりカッコよく描きすぎーーー。あとあと、原作当時の世相として、三十歳なら立派な大人=おっさんって感じだったのが、今のご時世だとまだまだ若者(完成されてない)な感じがあるのかなーなんて。
     ラインハルトもちょっと引いちゃうような偏執的な雰囲気が大分中和されてますね。腐女子人気を狙ってるってコメントを見かけたけど、そういうわけでもないんじゃ。旧作でも十分女子人気高かったですからねー。田中さんが今でいう腐に不快感を示されたから控えめだっただけ……。絵面的に、ロリ絵で巨乳が出なければ女子向けってことにでもなるのだろうか。

     それもこれも新しいファン獲得のためだとは思いますがー。だからわかりやすくジェシカとの関係をクローズアップしてるのかなーと。ジェシカとの絡みに比べてラップとの友情が薄く見えてしまうのが残念。大体ジェシカってヤンとラップの両方と付き合い古くてどっちに傾いてもおかしくない立ち位置だったと思うのだけど何か違うー。

     そうか。キャゼルヌは眼鏡キャラが欲しかったってこと!? 本篇まだ出てないけど、アッテンボローもシェーンコップもちゃらい感じでヤダ。確かに絵だけ見ると乙女ゲームのキャラみたい? やっぱ女子人気狙ってる?
  • 小清水くんシリーズ、新展開始まりましたねー。
    そろそろシリーズナンバー打っておいた方が良くないですか?


    なんかもう、シリーズファンとしてはすべての人に一作目から読んで欲しいわけですよー。
    特に今作は、前のを知ってるのと知らないのとでは大違いなので。

    ここ見てるはずの富士山で位置を確認しているどなたかに、気の利いたレビューを書いて欲しいところなんですががが。
    (あ、こういうのは書いちゃいけないんだっけか?)

    それはともかく、先が楽しみですね。
    息の長いシリーズにしていただければ、こんなに嬉しいことはないです。
    相変わらず読者は勝手です(>_<)

    クソレビューは、まあ勘弁してください。
    あいも変わらず、あれが私の限界だ……。
  • 私も、もっかい見ましたー。

    段ボール……。たぶんほとんどが本でしょうね。でもなんか、服とか入ってましたよ。あと、走り去っていったバンってヤンを乗っけてきただけ? と思っちゃいました。あれには入らないですよね。普通トラックですよね。四次元コンテナって! MOV、何の略でしょうね?

    音ねー。グラスの氷の音とか、異様にいい。昔のアニメと今のアニメの違いの大きなひとつに、音があると密かに思っています。昔って、音響監督なんていませんでしたよね。今は、監督が音響監督もやったりしていて、すごく力を入れている気がします。で、音がいいアニメは、ほかの部分の質もいい気がするのです。

    で、謎のロシア。帝国がドイツ、自由惑星同盟がアメリカ、だとすると、もしかしてフェザーンがロシア? でもヤンのお父さんは自由惑星同盟の人だし……。

    >、三十歳なら立派な大人=おっさんって感じだったのが、今のご時世だとまだまだ若者(完成されてない)な感じ
    これはまさに、その通りだなーと思いました。今は三十歳って、若造ですよね。それもどうかと思いますけど仕方がない。そういう意味でいうと、前作と今作って、昭和と平成っていう時代の空気の比較にもなっている気がします。

    ラインハルトもかなり中和されていますよね。このあたりは完全に今の女子狙い、もっというと、腐狙いだと思います。一部製作者サイドに二匹目の『黒子のバスケ』を狙っている意図が存在するのが確実に見えます。でも、こういうのって、最初から狙ってしまうとたいてい外しますよね。

    なんてひねくれた意見は置いておいて、新しいファン獲得のために今の時流に合った切り口に、真摯に取り組まれている部分は感じますから、ひどいことにはならないと思いますけど。

    眼鏡キャラは欲しいでしょー。私なら、もう一人くらい出しますよ、眼鏡。もう少し柔らかい感じのキャラで。うーん、誰がいいかなー(おいおい)。

    私も原作引っ張り出してきましたー(実は私が原作を読んだのは最近……といっても10年前ですけど、創元の文庫版です)。ほんとだ、いきなり「銀河系史概略」。でも、いきなり舞台設定から入るラノベもあることだし。本編はすごく読みやすいんですけどねー。新装版も出ているし、若い人に読んでもらいたいですね。

    戦争や政治について考えさせられるエンターテイメント作品って、今や稀有な存在ですから。
  • @kobuupapaさま

    まずは、★とレビュー、ありがとうございます! 

    シリーズナンバー、そうですね、ふっておこうかな。いずれ、八万字くらいの段階で一つにまとめるつもりです。

    連作短編、はじめてやりましたけど、結構むずかしいですね。ある程度構成を考えておかないとしんどいです。

    長く続けられるかなー。とりあえず、本一冊分のボリュームまでしか今は考えていませんけど、できれば続けたいですねー。
  • 小清水くんにまつわるサブ(メイン?)ストーリーが終わったら、またのんびり人間観察シリーズを続けるのも良いのではないかと。
    ときどき思い出したかのように書いていただくんでも良いのではないかと。
    そのうちまた、大きな伏線も生まれるのではないかと……。
  • 平日の怒涛の更新にうれしい悲鳴。
    続き読めるかなあ読みたいなあでも居眠り運転まずいから寝ないとだしなあ(>_<)


    私がレビュー書くとPVが伸びないから他の人に任せます……。
  • 実はこれ、今日が締め切りの角川文庫キャラクター小説大賞に間に合わせようと、かなり無理して書き上げました。なんとか間に合いましたけど、へろへろです。かなり力技の部分があるなーと思ってます。

    ええと、それは関係ないかと……。しかもPV気にしてませんし。がんがん書いてくださいよー。

    お仕事ご苦労様です。またお時間のある時に。お待ちしていまーす。
  • あ、今までのちょっとだけのんびりした雰囲気が今回ないのはそのせいなのか。
    削ぎ落としてますよね色々と。
  • 内容がこれまでよりはちょっとシリアスだというのもありますけど、あんまり余裕がなかったのも事実ですね。ちょっとバランスがつかめていなかったかもです。推敲もしてないし。ちょっと時間をおいてみて、また手を入れるかもです。
  • えー、なんかすごくいい感じになってて、作者さまの真骨頂は実はここにあったのか、と思いながら読んでますけど……。
  • そ、そうなんですか。今回はいつにも増してよくわからないんですよー。ちょっと落ち着いて読んでみます。
  • 推敲してないとかバランスをとってないとかが本当のことなのかどうかはさておき、勢いに任せて書かれた作品には、ものすごく勢いがあると思います。
    後から調整を入れれば入れるほどとんがったところがなくなって、普通のものになっていく。

    作者さまは多分知っているんだと思うんですけど、出版に当たって担当さんが入れる「赤」は、そういう部分ではなく、文法的なこととかあまりに読者が置いてけぼりを食らうようなこととか、そういうことです。
    (そのはずなんですがね……)

    このシリーズは、私が大好きな今までの作品をさらに超えてると思います。
    作者様こそ、実は「リアリズム小説」が得意なんじゃないのかな。

    脚本とか書いたことがあるのかなと思ってしまうくらい(映像浮かびまくるし)、素晴らしいシリーズだと思いました。


    私は改めて、カクヨムさんに感謝してます。
  • ほ、ほんとーですよー。最後の方、かなりあせってました。マジで。これは間に合わないかもなーと思いました。

    勢いに任せて書かれた作品には、ものすごく勢いがある――というのは、ものすごくよくわかります。自分でもそこは感じている部分がありますし、直すとしても、そういうところには手を入れません。大丈夫です!

    「リアリズム小説」ですかぁ。どうなんでしょう、あんまり意識してなかったですけど、少なくとも井戸に潜る系ではないですよね。自分としては、ばくっとエンタメ小説、な感じなのですけど。

    ご指摘の通りです。脚本、昔書いてました。小説を書く前は、せっせとシナリオの公募に出してました。でも、小説よりもさらに狭き門なんですよね。ぜんぜんダメでした。

    会話を書くのが好きなのも、たぶんそれがあるからだと思います。セリフだけでどうやっていろんなことを伝えるかを、ずーっとやってましたし、そういうのが好きみたいです。ほんと、延々と会話だけ書いていたい。あと、やっぱり、頭の中に映像が浮かばないと書けないです。

    今回も楽しんでいただけて本当に良かったー。でも、まだまだ書きたいことがいっぱいありますから。今は書き終わってホッとするよりも、ああ、これでまた次が書ける、という感じです。

    そんなわけで、これからもよろしくです!
  • Han Luさま

     眼鏡キャラ……うーん……フォークとか?! ヤンを偏執的にストーキングしちゃう?! ……そのまんまだ…………。
     やはし、そもそもですねえっ。根も葉もないところに煙を立たせるのが腐の妄想力というものでございます! そこに世の作家様方は震撼したのでございます! 提供されたネタでキャーキャーして何の喜びがありましょうか!(何の熱弁?)

     やーん、提督もっとカッコよくなっちゃう? なっちゃうの? やばいよ。心臓もたないよ。画面正視できないよ。なんであんなにヤンのバロメーター上げたのさ、もっとラインハルトに全振りしなさいよ、全振りー。そういえばここ数話の同盟祭りのせいで帝国サイドは意識の地平の彼方です(;'∀')
  • 奈月さま

    どーどー。はい、お気持ちはものすごくよくわかります。わかったうえで、でもやっぱり、あと一人は、ほしい(しつこい)。フォーク准将、確かに雰囲気的にはそうなんですけど、もっとこう……。でも、同盟側ですよね。帝国側にはいませんよね。同盟側か、あとはフェザーン……もろくな人がいないような……。ルビンスキーの息子とか? あーん。ところで、フェザーンっていつ出てくるんでしょう。

    今回、若いキャラのパラメーターはまんべんなく振られている感じですよね。そういうのも、今風な感じです。さて、後編、ヤンの「とにかく疲れた」が楽しみです。
  • Han Lu さま

     眼鏡キャラってパターンがあるよね。インテリ系なら「ホスト部」鏡夜先輩とか「ヒカルの碁」緒方名人とか。穏やか系なら「カードキャプターさくら」雪兎さん、藤孝さんとか~。「スラダン」小暮先輩なんかはどっちだろう……。そんな感じでテンプレにハマるキャラじゃないからねー、銀英伝の登場人物たちって。
     眼鏡要員……グリーンヒル大将とか……女子向けじゃない…………。

     そういや(……)フェザーン出て来ないねえ。今シーズンの黒幕的な感じで最後まで引っ張るとか!?
  • 流れを豚切りこんばんは。


    素敵な作品を盛り立てるレビューというのは、なかなか書けないです。こんな風に読んでほしいなーと思って書いてみましたが、なんとも中途半端な……。

    ネタはゆっくり仕込んでください。
    小清水くんが東南アジアに出かける回もあるのかなー。
    (インドネシアとか気をつけてくださいよ、数日前にも自爆テロ……)



    三千世界、じゃなかった反地平面に飛ばされた右京さん、元気にしてるのかな。
  • Han Luさま

     とりあえず、やあっと七話見れましたー。はー良かった。見逃すかと思った( ;∀;)
     凄かったですね。凄かったです。映像はもちろんハラハラドキドキの演出が良かったですね。スパイ映画みたい。シェーンコップのオリジナル回想も良かったですね。くっ、子どもとおじ様を出しとけば良いと思って!!(くらくら)

     しかしシェーンコップをあれだけ美形にするなら、リンツとブルームハルトとだってもうちょっとどうにかしなさいよって思ってしまふ。攻略キャラじゃないってことかしら? やはし腐向け?? だって、だって、ムライとシェーンコップのやりとりとか、ヤン提督とシェーンコップの握手とか、あれ必要? 演出過多じゃね? いい年したおっさんたち接触させてどうすんのよ、心で思っててもわざわざ言葉に出したりしないってのがおっさん方らしくて良いと思うのだけどなー。

     そして、キター! 指揮卓に胡坐をかく提督! おざぶを、おざぶを差し上げたいー。そして、Han Luさまの予言通り、さらにカッコよかったですね。怒った提督、カッコよすぎました。胸が痛い……。
     でもでも、最後の寝ぐせ頭にいちばんやられたー。や・ら・れ・たー。もうやだ、モテるよ。この人。どうすんだよー!!
     次回からの帝国ターンでの巻き返しに期待します。女子たちよ、そっちに食いつけ!!
  • @kobuupapaさま

    こんばんはー。『教えてあげて』にもレビューをありがとうございました。私、このレビューかなりお気に入りですよ。

    来週からようやく右京君の続きに着手できそうです。アップするのはもう少し先になるかもですけど、お楽しみに!

    インドネシアはやばかったです。テロがあったのは私がいたジャカルタではなくて、かなり離れたスラバヤというところでしたけど、ヒヤッとしますね。

    小清水くんは今のところ海外出張の予定はないですけど、右京君のほうで、出てくるかも?
  • 奈月さま

    お疲れ様です~。

    いやほんと、凄かったです。私もさっきもう一回見ました。やっぱり面白いわー。子供とおじ様、なるほど確かに鉄壁ですね。覚えておこう。

    リンツとブルームハルト……。なんか、この作品、メインは美形、脇はリアル路線ってはっきり分かれちゃってる気が……。少なくとも現場サイドは腐は意識してないかと。

    >ムライとシェーンコップのやりとりとか、ヤン提督とシェーンコップの握手とか
    最近のアニメ見て思うんですけど、押しなべておっさんたちの距離が近い……気がする。なんとなくですけど。たまに、えー、近い近い、って思うことがあります。私はこれくらいは……むしろ好き。

    そして。胡坐、きましたねー。提督。

    もうだめですね、ヤン提督、カッコよすぎですね。想像以上でしたよ。聞くところによると、やっぱり、その界隈ではヤンに対してはかなりざわついているみたいです……。でも、これまでヤンのウエイトの方が大きかったですからね。次回以降の帝国ターンに期待(?)しましょう!



    ザブングルもダンバインもすごく印象に残っています。富野さん、すごかったです。でも、私はイデオンが一番好き……(もちろん1stガンダムも)。当時のサンライズは素晴らしかったですよね。あ、あとレイズナーも好きでした。

    十五少年漂流記モチーフは鉄板でしたね。広くとらえたら、当時のサンライズ作品、だいたいこのモチーフに当てはまります。少年たちが戦いに巻き込まれて、自分たちの力で生き延びていく。

    バイファム。懐かしいです。原案は富野さんだったのね。でも、作品自体は富野さん的な屈折がなくて素直で真っ当な作品でした。子供たち、みんな可愛かったなー。あと、大人がちゃんと頼れる存在として描かれているのが、逆に新鮮でした。

    今のアニメはどうなんだろう……。あまりにも多様化しすぎていて、そういう古典的、普遍的なモチーフは見かけない気がします。そもそもオリジナル作品って少ないですし。ほとんどがラノベか漫画が原作で。

    あと、話は逸れますけど、当時のサンライズ作品の良さを今のアニメで表現することはかなり難しいのでは、と思います。あの頃のアニメの良さは一年間かけて描かれることで真価を発揮するものだっと思うのです(確かに、油布さまの言われるように失速していった作品もあるにせよ)。今の1クール12話で終わってしまうものとは根本的に作品の構造が異なっているのでは、と。いつかこのあたり、じっくりと書いてみたいなーなんて思ったりしています。

    ではでは~。
  • Han Luさま

     ほんとだ、ネットでけっこう見れるのですね。動物の絵が多いなー。「じゅうたんはねこのもの」ってペーパーブックもうちにあって、これは子どもたちがボロボロにしちゃいました(涙) お気に入りのマットに動物が次々にのっかって来て逆毛を立てて怒るにゃんこが可愛い。表紙の「どう?」って目つきがたまらんです。

     敬虔なクリスチャンでキリスト教モチーフの題材が多いのも引かれるところです。市立図書館行ったら見てみよう。地区センターのちっさい図書館には置いてくれてない。むー。
  • Die Neue These 特別番組「キルヒアイスのイゼルローン訪問記」

     なんですか、ユリアンのイゼルローン日記のパクリですか、なんて思いながら半笑いで見てたけど、広中さんの登場にびっくりして、田中先生の登場に驚愕でした。田中芳樹老けたなー。そうだよねええ。かわいいおめめは相変わらず。

     こういう特番てたいていスルーなのだけど見ておいてよかったです。Han Luさま、アニメモアップしてくれてありがとうございます。梅ちゃんイケメンで鼻水出ました。
     なにげに田中先生の創作話ためになりましたよね。到着地は同じだけどどの路線を選んで行くのか。なるほどですー。
  • 特番、ゲストが充実してましたねー。私、実は田中先生のお姿、初めて拝見しました。なんか、思っていた感じと全然違っていて、びっくりしました。もっと小難しいことを言う感じの人なのかなと勝手に思っていました。

    創作の話、さすがプロの作家さん、例えがわかりやすい。そして、説得力ありました。なるほどでしたねー。

    そして、梅ちゃん、むっちゃイケメン。
  • こんばんはー。

    私が書くと他の人が書きにくかろうと思ってコメには書かなかったんですけどね。

    リーリンちゃんの最登場シーンとか彼女がセンセイを抱きとめようとするとことかもう、完璧に、わざとやってるとしか思えない。
    なんなんですかこの「ラノベの典型」は(>_<)
    しかもアニメの絵まで浮かんできそうなこの描写(>_<)

    いやもうね、実は私ラノベも好きなんで、こういうのは大好きなんですよ。
    これを作者様がどう料理していくのかが、楽しみでしょうがないです。
  • @kobuupapaさま、こんばんはー。

    そうおっしゃらず、コメントがんがん書いてくださいよー。コメントないほうが書きにくいと思いますし。

    第二章は、あまりラノベっぽくならないようにしようと思ってたんですけど、アクションシーンとかはそうなっちゃいますね。絵が浮かんできたら、よかったです。でも、自分の中では描写力は相変わらず課題です。

    第二章、書いててすごく不安です。なかなかペースがつかめません。たぶん三人称だからだと思うんですけど、やっぱり難しいです、三人称。よく考えたら、これまでほとんど三人称って書いたことがなかったんですよね。小清水くんのは疑似三人称ですし。

    料理しきれるかなー。ここからはあまり深く考えず、とりあえず突っ走っていこうと思っています(なんか最近こんなのばっかですねー)。何卒よろしくです!
  • Han Luさま、奈月です。

     すごーい。ピュアラブ小説大賞の優秀作品に「嘘つき先輩」あったよん。ブラボー。

     あの完成度なら当然なのだけど……正直、戸惑うワタシがおります。え、だってさ、私から見たら結構大人びた物語な感覚だったのに、小中学生対象でいけるんだって……。カテゴリーがわからーん!!(@_@)

     いやいや、そんなことより、おめでとうございます。いいなあ、選評メールもらえるのだよね。
  • 奈月さま

    え、そうなの?

    うわ、ホントだ。^_^

    わーい、ありがとうー。

    正直、私も対象年齢がどうかなーと思ってたんですよ。でも、とりあえずぶっ込んじゃえ、と。

    そっか、選評メール貰えるのか。また詳細お知らせします。どうもでした〜。
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