• 歴史・時代・伝奇

秋葉

二月が終わり三月となりました。

いつも『奥遠の龍』をお読みいただき誠にありがとうございます。
ご声援、ご支援、様々な形で応援いただき、大変励みになっております。

 二章は天野家侵攻のお話となっております。
奥遠天野家は、秋葉寺を押さえるように門前町の犬居を拠点にしていました。
寺自体を押さえるように秋葉山中にも城を築き拠点としていたようです。


 『秋葉』というと多くの方は東京の『秋葉原』を思い出すと思います。
残念ながら秋葉原は、あまり秋葉山とは関係が無いようでして、火避地(火事の時逃げる場所)に神社(秋葉神社)が建てられることになった際、勝手に市民が秋葉山を連想して『秋葉原』と呼ばれるようになったのだとか。

 元々、秋葉山は山岳信仰の盛んな山だったようです。
今でこそ、寺と神社は別の宗教施設と考える人が多いと思いますが、実はそれは明治に入ってからの話だったりします。
明治に出された神仏分離令という法令によって、神社は神社、寺は寺となりました。
それより以前は、神社の御神体が観音様だったりということが普通にあったということですね。

 秋葉寺も例に漏れずそういう寺だったようでして、山岳信仰と仏教が融合された寺だったそうです。
なのて、秋葉神社でお守りを買うと「正一位秋葉神社」と「金幸寺」が併記されていたりします。

 戦国時代の秋葉寺は、明治時代の神仏分離令によって廃寺になっています。
御本尊などは持ち出され、現在は袋井三山の一つ可睡斎に移築になっています。
その後、秋葉神社として正式にスタートしています。


 現在、秋葉神社は、上社と下社と二つあります。
行くとわかるのですが、上社はいかにも整備された神社という佇まいで、下社は山奥の古寺という佇まいをしています。
実はこの下社が本来の秋葉寺だったみたいです。
じゃあ上社はというと、実は天野氏の秋葉城が廃城になり、それを神社にしてしまったようなのです。
確かに上社の社のある場所は、何となくですが天守っぽい雰囲気があるんですよね。

 秋葉神社は、毎年ジュビロ磐田が優勝祈願にシーズン前に訪れています。
秋葉神社は火避けの神社なのに、なんでジュビロが祈願に行っているかは謎ですが、ここ十年以上の成績を見るに、あまりご利益があるようには感じられませんね……

 ちなみに、戦中に秋葉神社は焼け落ちているそうです。
火避けの神社とは一体……


さて、本編では最初から登場していた兄山城守が急死してしまいました。
これから話は、花倉の乱と呼ばれる内乱に向けて進んでいきます。

今後とも、ご支援、ご声援のほど、よろしくお願いいたします!

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する