明日(あす、あした、みょうにち、英: tomorrow)とは、今日の次の日である。 「明日」という語には、時間的経過のみならず、希望的観測を含むニュアンスがある。
と、Wikipedia先生はおっしゃっています。
なるほど。
さっそく「ひとつながりの明日」という作品を掲載しました。
これは少し昔に同人誌として発行した作品の焼き直しで、つまりほとんど完成しています。WEB用に改行を整えたり誤字脱字衍字を直したりはあるかと思いますが大部分は変化がありません。お買い上げいただいた方はありがとうございます。お久しぶりです。そうでない方は初めまして。お初にお目にかかります。ひとつながりの明日です。気軽に読んであげてください。
Wikipedia先生のおっしゃることには、「明日」という語には、時間的経過のみならず、希望的観測を含むニュアンスがあるそうです。
不思議ですね。昨日という言葉にはネガティブな意味をさほど感じられないのに、明日という言葉には不思議な活気があります。明日があるさという名曲を、よもや悲しみとともに歌い上げることはしないでしょう。誰だって明日と口にするときは、かすかな希望が胸のうちに輝いているはずです。
なんかクサいセリフになりました。もっと庶民的に行きましょうか。
では明日をからあげ定食としましょう。
からあげ定食を頼んで、からあげ定食がやってくることを心待ちにしない人はいないと思います。私はからあげを食べるんだ、そういう朗らかな気分で注文して、到着を今か今かと待ち望んでいるはずです。からあげ定食がいつか来ることは分かっている。そして私達はそれを楽しみにしている。からあげアレルギーの人はごめんなさいだけど、浮かれる気分は万国共通の認識ではないでしょうか。明日という概念もそんな印象だと僕は思うのです。
うんうんいい感じ。タイトルも変えちゃいましょう。
拙作「ひとつながりのからあげ定食」をよろしくお願いします。