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『飛鳥』第四部、終了しました。



 こんにちは。いつも大変お世話になっております。

 『飛鳥』の改稿、無事に第四部まで終了しました。ここまでお付き合い下さった方、お疲れさまです & 誠にありがとうございました。三分の二が終わりましたよ、あと三分の一です。もうちょっとの辛抱ですよ~(^^ゞ←待てい(汗)
 かなり削ったのですが、やはり百万字に届きそうだなあと、溜息をついています。申し訳ございません。

 第三部~第四部は、読者の方にとっても重い内容だったろうと思います。簡単に解説させて頂きます。

 第三部の終了時にも書きましたが。二十代半ば(大学生でした)、私達は大切な友人を事故で失いました。脳挫傷で生命はとりとめたものの重度の障害が残り、現在も寝たきりです。私達は、心理的に危機的な状態に陥りました。
 当時の私は、自分達の精神的な混乱を把握し、客観化し、鎮めようと努力していました。その昇華作業として小説を書いていたのです。

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 ガンなどの致死的な疾患や、身体機能を失う重大な疾患(四肢麻痺など)にかかったとき。人がそれを受容するまでの心理過程には、大きく分けて次のような段階があると言われています。(E.キューブラー=ロス著『死ぬ瞬間』シリーズ参照)

 まず、ショック――パニック等。
 次に、否認・孤立――「何かの間違いだ」「診断ミスだ」等。とにかく否定する、防衛反応です。
 怒り――「どうして私なんだ」「何故、あいつではなく」等、周囲に対する妬みにも似た感情で、相手構わず投射され、非常に対応が困難です。
 取引――『神との取引』です。「神様、自分は進学を諦めて治療に専念しますので、助けて下さい」「一所懸命働きますので、助けて下さい」、家族なら「私の命を削りますから、助けて下さい」等。避けられない結末を出来るだけ先延ばしにしようとする段階です。
 抑うつ――出来ていたことが出来なくなる、または身体機能の一部を失うことによる反応的な抑うつと、この世との永遠の別れをする為の準備的な抑うつがあります。この二つは、性質が全く違います。前者は励まし元気づけることに意味がありますが、後者の段階にいる人は、思う存分嘆き悲しむことを許されなければ、次の段階へ進めません。
 受容――絶望や諦めではなく、感情が殆ど欠落した状態に近いものです。この段階で最も助けを必要とするのは、本人よりも家族です。
 希望――全ての段階において常に存在し、患者を支えます。どんなに非現実的であっても、もう間に合わないことであっても、人は最期の瞬間まで希望を持ち続けます。

 ロス博士は、アメリカの精神科医で、多くの末期癌患者とそのご家族、医療スタッフの状態を観察しインタビューした結果を、上記のように纏めました。勿論ひとりひとり状態は異なります。順序が入れ替わることがあり、最終的に亡くなる方とそうでない方(障碍をもって生き続ける方)でも異なります。
 しかし、だいたいこれらは相前後して、または繰り返しその人に現れます。本人だけでなく、その人を愛する身近な人々や医療スタッフにも、同様の反応が起こります。

 死にゆく人、重度の障碍を負った人の心理に注目したロス博士のこの理論は、当時かなり画期的でした。批判も議論も多くありましたが、何より重要な点は、医学・心理学の分野でこうした問題に真正面から取り組んだ研究が、まだ少なかったということです。
 問題に直面した当事者のひとりとして、また医療従事者になる前段階の学生として。――当時の私は、自分達の心理を理解しようと努めました。意思疎通が困難になった友人の気持ちを、理解したいと願ったのです。

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 トグルは、死へ向かう過程で重度の心身障碍を負う、不可逆な遺伝性疾患に罹患した人物です。
 彼の場合、最初の「ショック」と「否認」は作中に表れません。ジョクの例があるため、パニックを起こすことはなく、黙ってその期間を耐えています。
 そして、様々な「取引」を開始します。(部分的に「怒り」も存在しています。)――プロット上は「取引」として扱っていない行動もありますが、こういう心理学的な解釈もあるとお考え下さい。

 まず、トグルは隼を手離します。彼にとって二人の意見や価値観の相違は当然で、一緒に生きていく障害ではありません。それでも手離そうとしたのは、彼女が重要だからです。更にジョクを喪い、彼を支える存在はタオ一人になります(本当はそうではないのですが)。
 戴冠し、己の人生を戦争に傾けますが(これも「取引」の一つです。王(テュメン)は戦争の為の存在でしかないと、彼は知っています)、追い討ちがかかります――後継の問題です。ここでも彼は「取引」を行い、隼でなく、他部族の娘を選びます。彼がそうしたのは、隼を自分の『死』と『病気』から守る為です。本当に愛しているから、彼女を巻き込みたくないわけです。(これは、難病や障碍を持つ多くの方が行う選択でもあります。)
 それも無効と知った時、彼は「取引」を止め、闘いを中断しようとします。――しかし、鷲に助けられます。その後は、反応的な「抑うつ」期間に入っています。
 トグルの内面には、もう一つ、戦争で人を殺すことに対する罪の意識から、己を罰しようとする思考も存在しています。大切な存在を自分から奪うことで、自らを罰しているわけです。
 隼達《天人(テングリ)》は、トグルにとって「良心」であり「希望」の象徴でした。だから、実際以上に美化し、『穢れた』自分達に触れさせまいと拒絶していました。
 でも、それは、彼自身がそれを求めていることの裏返しです。彼には、隼達を追い出す(=「希望」を完全に放棄する)ことが、結局出来ませんでした。

 第三部~四部の流れは、ここまでです。『物語』としては恋愛感情だけを問題にすれば充分かもしれませんが、初期に想定した心理はこうでした。
 当時の私には、喪失体験に関わる自分の葛藤を昇華する作業が必要でした。今回の改稿は、逆に《トグル》という人格からその精神状態を考えおこす作業となりました。(勿論、隼や鷲を含む、彼の仲間たちの心理も重要なテーマです。私は、複数のプロットを並行させて物語を書いています。)

 健康な人にとって、『死』や『障害』は他人事です。不意打ちのように現れて、理不尽に全てを奪い去って行くものです。
 一方、『死』や『障害』を直視しなければならない人にとって、周囲の健康な人々は、憎悪と怒りの対象になりかねません。――トグルが恐れていたのは、愛する人々に怒りや憎しみを投射することであり、『障害』を知られる(彼の価値観では「生き恥を晒す」)ことでした。『死』や『病気』そのものより、それらに対峙して生きることの苦痛です。懸命に自己を支えていました。

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 死に行く人々と、その心理過程にご興味のある方は、是非、ロス博士の『死ぬ瞬間』シリーズ(読売新聞社・中公文庫)や、山崎章郎先生の『病院で死ぬということ』シリーズ(文春文庫)を読んでみて下さい。私の拙い小説より、何千倍も心に響くと思います。

 長く重い話にここまでお付き合い下さり、本当にありがとうございました。
 もし、最後までお付き合い頂ければ、光栄です。


2003年6月 サイト内初出
2019年2月 改稿
                  作者 拝


2件のコメント

  • Azuriteさま、

    圧倒されました。


    大学生の頃の私が同じ立場にあったとして、自分の想いを作品としてここまで昇華することが出来たかどうか……答えは否です。あの頃の私は、自分のことで手一杯でしたから。



    日々、命を預かるお仕事に関わっていらっしゃるからでしょうか。Azuriteさまのこういったコメントの一言一言が、とても重く心に響いてきます。


    第五部の更新、楽しみにしています。
  • 由海さま、こんにちはv (*´-`)いつも大変お世話になっております💕

    はわわ(汗)長い上に重いじれじれ話にお付き合い下さっただけでなく、こちらにもお優しいコメントを、ありがとうございます(*^^*)

    学生時代……自分のことだけで精一杯でしたよ〜、私も。友人が事故に遭った直後は、毎日泣いていました(^^; 本当に役立たずで、取り乱さないように小説を書いて自分を落ち着かせようとしていた次第です(恥)。

    ロス博士の著書は、助けになりました。患者さんや医療スタッフの生の声が掲載されていて、勇気づけられましたし、考え方の指針になりました。思えば、あの書籍が、現在に続く「グリーフケア Grief care」の先駆けでしたね…。

    いわゆる「余命もの」や医療フィクションは、あまりに重い葛藤や生々しい問題は描かない傾向なのですが。私はこんな書き方しかできないので、何か、申し訳ありません…(^^;

    第五部開始まで、しばらくは気楽な内容を上げていきますので、どうぞ休憩なさって下さいませねv
    本当にありがとうございました💕(*´-`)
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