あの旅の真実。【再掲】

 ※この駄文は、見落としがちなメディアリテラシーを指摘する役割に意味がある、と考えるため、表示順位が下がってきたら再掲します。

--------ここから再掲--------
 CXは僕の著作者人格権を侵した。

 そのことについて何度も文書で、文書による回答を求めたが、ついぞ回答はなかった。
 
 この駄文の結論だけ先に書いておく。
 
 TVはニュースも含めてその動画の全てが作為的な作り物、いわゆるやらせの塊だ。
 
 ヤラセを前提とした情報リテラシーも持ち合わせないまま、明々白々な違法行為をしたわけでもない人々を、TVが悪しく取り上げる様を信仰して、悪し様な罵り愚痴をネットに吐き出すのはもってのほかだ。
 
 二十一世紀の一般市民が持つべき情報リテラシーが
 
 
 
 第一条 うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい
 
 
 
 だとするならば、次ぎにふさわしいのはこれだ
 
 
 
 第二条 新聞・ラジオ・TVを問わずメディアは、作為を持って報道を「造る」から、ヤラセを前提に評価をされぞかし。








 あの旅で僕は詰まらない駄文を書いた。

 それがさらし者になったのは当たり前に自業自得と思っている。

 まあ、未だに駄文を書いてるのだけど。



 当時の駄文で、僕は初期の文章から登場人物名を変えて後半をまとめた。

 その方があの旅に向いていると判断したからだ。

 CX直のプロデューサーは、変更前の登場人物名を気に入り、そちらを使えと、指示してきたが僕は断った。

 そして原稿用紙には、あたらしい登場人物名で統一して提出した。

 その後も製作会社とのやりとりがあり、ヱ○スの駅で待ち合わせをした。

 もう、何の用事だったかは忘れたが、用事を済ませて帰ろうとすると、製作会社のAD氏から呼び止められた。

 「前のキャラ名何だったっけ? 番組はひとりで造るものじゃないからさ、間違えないようにみんなに周知したいから、念のためここにメモしてよ」と、白紙の原稿用紙を突き出され「絶対間違わないでくださいよ」といい残して旧登場人物名を書き込むとその場を去った。

 そして、その一書が、上手に切り張りされて番組で使われた。

 それは違うと思ったし、他にもおかしな構成だったので「このシーンは明らかに前後の画像が別の日でこのような編集はやらせじゃないか」「参加者の人格を歪めた番組づくりじゃないか?」と質問状を送り、ついには役員にまで送ったが、帰ってきた文章は「やらせとは認識していない」とのことだった。そして僕の著作者人格権の同一性保持権侵害についてはコメントすらなかった。

 あの旅では日記を書いてそこで心情を語る場面があるが、スタッフに提出する用とは別に、僕はその日その日の詳細をまとめた日記を持っている。

 それは走り書きなので僕にしか読めない。

 ただ、労働者生活を隠居した後、過去の記録のデジタルタトゥーとして書き起こし、後世に残すのも一興かと思っている。

 そこには、出納記録もあり、いつの昼食、夕食の出費で、幾ら使ったかが正確に記録されている。



 知っているだろうか? 一行飛ばしのスタッフ提出用の日記に「最近、○○君とは話が合う。仲がいい。でも新しく入ってきた女子の◇◇とは話が合わない。なんだあいつは?」と書いたものが、番組では「最近、新しく入ってきた◇◇と仲がいい」とかってにつぎはぎされて放映される事実を。



 知っているだろうか、2週間前後の撮影で約400時間分の録画が行われ、それが1ヶ月にわたって放映されるも、VTR部分は17分程度で、前回の振り返りもあることから、新しい動画は14分もないということを。そしてそれだけの素材があれば「新メンバーを悪者にして」「卒業間近のメンバーが旅を通じて成長を遂げたような」14分を作ることなど造作もないことを。



 知っているだろうか、そうやって、なかば嘘のストーリーにより、モノを知らない大衆から総批判を喰らい、涙に明け暮れる日々を過ごした女性参加者の多さを。


 知っているだろうか、入出金をしっかりと管理したが故に「お前のいるときは『旅の資金を使い切ってしまい何とかする』というイベントが撮れなかった」と帰国後に渡ってなじられることを。そしてみんなが満足に夕食を食べられるように配慮しつつ旅の資金を管理した結果、「また改めて支給するから、一旦残りを出して」と、折角やりくりした資金を取り上げられることがあることを(そんなことはあの旅の長い歴史の中で僕だけだったらしいが……)。



 ヤラセか? と問われることばかりだった帰国後の僕の人間関係。ヤラセだ、といえば伴侶と巡り会えたことも否定すらことになる。しかし、事実か? と問われれば自分の虚像を真実と肯定する事になるジレンマに曖昧な返事しかできない。

 制作側に、しっかりしているところがないわけでもない。



 知っているだろうか、男性と女性とは、必ず別々の宿に宿泊させられることを。
 
 
 
 ある日、スタッフの調整が折り合わず、男女とも同じホテルに泊まることがあった。ホテルというより宿のそれは、雑魚寝をするのに調度よかった。その時も男性と女性の参加者の部屋は最も遠い配置にされ、かつ入り口に男性出演者の部屋では男性ADさんが、女性出演者の部屋では女性のADさんが雑魚寝するという念の入れ方だった。
 
 僕の旅路では、特に女性参加者に、恋愛に真摯に取り組む姿勢の人が多く、スタッフから旅に課せられたルールを守る人がほとんどだった。その点の真摯さについては、女性参加者全員だったといっていい。でも、歴代には手癖の悪い参加者がいたらしい。僕は自分の恋愛が忙しい三~四年程、過去現在未来のメンバー総集合の忘年会の幹事をしていたことがある。だから「らしい」とは書くが、当然当事者たちから聞いたエピソードであり、そして当人の態度にもめんどくさい思いをさせられた当事者でもあるから、その肌感覚から間違いないと思っている。
 その女性は、告白の前に相手の気持ちに気づき、スタッフのいないところで「断るよ、だって旅続けたいもん」と勝手に振った。振られた男性は告白を取りやめることをディレクターに伝えた。
 
 
 
 知っているだろうか、およそ一カ国の収録をひと班の制作陣が担い、最低一回の告白を作ることが求められていることを。そうして、テンポよく放送を回していたことを。
 
 
 
 当然、告白を練り上げてきた制作陣は激しい怒りを示した。明日はあなたのリタイアシーンを取るから、と宣告された。その女性参加者は打算ずくだったのだろう。リタイアエンドならカップル成立でエンドを迎えた方がいいと考え「やっぱり自分からいきます」と答えを切り替えた。帰国後もあーだこーだあったらしいが詳細は知らぬ。ただ、男性側が一途に好きを貫き通したとは聞いている。男気のある方だったのだろう。
 
 
 
 知っているだろうか、あなたが涙しながら見送ったそのカップルが成立した動画が撮影された日は、どんなに短くても撮影から四ヶ月、長ければ半年も前の出来事だということを。あなたが翌日、友人と、同僚と「昨日の番組感動した」と語り合っているとき、当人同士はとっくに分かれて、新しい相手を見つけているということを。
 
 
 
 これは全くの後日談となるが、僕が幹事を務めた忘年会で、その女性は最初、欠席を返事してきた。曰く付きの人物なので、来ないことにほっとした。ところが当日「近くまで来たから」と勝手に顔を出してきた。そして「すぐ帰る」というので仲間の輪に混ぜたが、いつの間にかドリンクを頼み、食事も取っている。お店の方が「一名増えられましたので、料金をちょうだいできますか」と尋ねてくる。そこで僕は「参加費、払うか帰るか決めて」と伝えた。するとその女性は舌打ちを添えて「じゃあ払う」といってきた。何とも浅ましいと思ったが、まあ二度と会うこともあるまい、と受け取って処理した。
 
 旅を続けることに固執する姿勢は、仲間内から軽くみられる。
 
 そりゃそーだ。男性四人、女性三人の組み合わせで、旅をしながら恋を見つけるコンセプトだ。
 
 旅だけしたいんなら勝手にやってろ、って話しだ。
 
 
 
 制作陣も口だけはちょーしイイモノで、合流したばかりの参加者には「自由に過ごしてご覧」「旅を続けたいからと告白を断る子もいるしさ」とかたる。しかし一旦、長く旅してきた子の告白対象となったら態度もガラッと変わる。「もし、いま、誰かから告白されたらどうする」「断っちゃうの?」「誰から告白されたら断るけど、誰から告白されたらOKとかある」「なんで? 旅を続けたいから」「この旅は恋愛が中心だから」「告白を断るような子は恋愛に向き合えない子だから、と判断すればリタイアしてもらうこともあるかも知れないよ」と長く旅をしてきた子の恋愛を成就させるよう、様々な働きかけをする。なぜなら、長く旅してきた子は、これまでの悪印象の操作を裏返せば、好印象に変え、視聴者の目を欺くことなど造作もないし、その上でカップル成立となれば視聴率も稼げるからだ。
 
 最終的には、本人の意志で受ける、受けないが決まるから、そこに嘘はない、ともいえる。
 
 しかし、そこまで作為的な作成側のリーディングがあって成立したカップルに、どれほどの真実の愛があろうか。
 
 その多くが、続くはずがない。
 
 それが、結婚カップルの少なさに比例している。
 
 
 
 知っているだろうか? 桃色の乗り物に乗るときの座席位置は、朝からスタッフに決められているということを。そして一日のあいだになんども組み替えられ、全員の異性と隣になることが決められていることを。つまり、誰かが自身の意志で、誰かのとなりに座るなどということはほとんど無いということを。
 
 
 
 知っているだろうか、人気の少ない景勝地で語らう場合も、一通りのローテーションがあり、全員が異性の全員と語らう時間を持つことを。これは、誰かが自身の意志で、誰かとの語らいに向かうということは、事実上ほとんどあり得ないという意味であることを。
 
 
 
 これは知っているひともいるだろう。七人の旅が、実はその数に倍するスタッフの同行により二十人超の大所帯となっていることを。
 
 
 
 知っているだろうか、背中を向けて語らうカップルの音声が、片方は風切り音がノイズとして混ざっているのに、もう片方はクリアな音声である理由を。ここまで読んでくださった方にはもう、自明の理だと思う。その二つの音声はその二人が背中合わせに語らっているときに集音されたわけではない、別々の日の別々の音声を組み合わせた会話だということを。
 
 
 
 知っているだろうか、最後部の三人掛けのシートに、たまたま同じ配置、同じ服装で座ったときの三人が、違う日にも同じ配置、同じ服装で座っていた時をブレンドして、全く存在しない、まるで情緒不安定なようなシーンが作られたことがあることを。これについてはスタッフの細やかさと手だれた編集に舌を撒かないわけにはいかない。そして、画面に映り込む、中段の席に座っている人物をよく見れば、違う人物が座っており、違和感を感じてもおかしくない。しかし視聴者の視線は最後部の三人掛けの席にしか向かっていないので、気がつく余地がない。
 
 
 
 最後に、知っているだろうか、告白の言葉を交わす前から、お互いがお互いを「この旅を終わらせる唯一の相手」と心に決めたときから、スタッフによって、わざとすれ違いのシーンが作られることを。二人で帰国することで知った、「あの時のあれはどうしてなの」「あれはディレクターさんの指示で……」の数々があったことを。
 
 
 
 これらは全て、制作陣から視聴者へのプレゼントこと、創意工夫による恋愛のおもしろさの演出であって、なにも悪意からなるばかりのことでは無い。
 
 しかし、そのエピソード一つ一つを自分の行為かと問われると、少なくとも「あんな事実はない」と答えるしかない。
 
 すると次ぎに来るは「では、ヤラセか」と聞かれるので、もはや答えようが無く「ヤラセだ」という。
 
 すると次ぎに来るのは「ほんとはお前はあの相手と帰国したわけではないんだろう」と掘り下げられる。
 
 いや、「ほんとに好きで今つきあってるんだ」と答えても「それもヤラセでそう答えろって指示なんだろ」と聞かれる。
 
 もう、答えようがない。
 
 
 
 長男に恵まれたときもそうだ。
 
 僕は、制作側の「ほら、ヤラセじゃないでしょ」という文脈に使われることに辟易していたのと、その子がやがて大きくなったときに「例え親とはいえ、自分の映像を勝手に使って欲しくなかった」という反応があった場合に取り返しがつかないことになると思い、制作側に伝えることを反対した。妻は自分の唯一の大冒険であり、生涯の思い出となる旅に、幸せの報告をして何が悪いのかと泣いた。泣かれれば男は弱い。結果として、一枚の写真を差し出すことが折衷案になった。
 
 事ほど斯様に、同じ参加者といっても、一人ひとりの受け止め方も、振り返り方も違う。
 
 
 
 ただ、作為的に作られている一シーンを取り上げて、その人の人格を否定する行為は、一般人の参加者でも、職業タレントでも、臣籍降下した一般人でも、臣籍降下が予定されている皇族でも、それは等しく違うと思う。
 
 ここに提唱したい。
 
 
 
 マスコミの報ずるところは、まずヤラセありきで受け止めるのが、当代日本人に求められる情報リテラシーの姿だ。
 
 
 
 急に昔の事に飛ぶが、現毎日新聞は戦意発揚の美名の元に、二人の日本兵が中国大陸で自分の愛刀一振りを頼りに百人斬り競争を行ったと報じた。
 
 それは現場を知る数多の日本兵にとってヤラセであることは明々白々だった。
 
 銃後の日本人は「弱い中国兵相手にどんどんやれやれ」と受け止めた。
 
 戦後の中国の戦犯法廷は「屈強な中国兵に向かって百人斬りなどできぬ。無辜の市民を虐殺したな」として死刑を宣告した。
 
 執行までのあいだに、戦犯とされた二人は、現毎日新聞に記事が創話であることを明かして欲しい旨手紙を書いた。
 
 人の命がかかっている手紙だった。
 
 現毎日新聞から中国国内の戦犯法廷に出された書状には「当社は虚偽をしたためるに非ず」の旨のひとことだった。
 
 二人は現毎日新聞の非情に泣いた。
 
 そして刑場の露と消えた。
 
 このことは山本七平の著書『私の中の日本軍』に詳しい。
 
  「この事件は、今では、中国語圏、英語圏、日本語圏、エスペラント語で事実になっている。しかし、明らかに記事の内容自体は事実ではない。従って、これを事実と報じた人びとは、まずそれを取り消して二人の名誉を回復して欲しい。独裁国ですら、名誉回復と言う事はあるのだから。そして二人の血に責任があると思われる人もしくは社(東京日日新聞現在は毎日新聞=筆者)は、遺族に賠償してほしい。戦犯の遺族として送った戦後三十年はその人々にとって、どれだけの苦難であったろう。

 人間には出来ることと出来ないことが確かにある。しかしこれらは、良心とそれをする意志さえあれば、出来ることである。もちろん私に、そういうことを要求する権利はない。これはただ、偶然ではあるが、処刑された多くの無名の人々の傍らにいた一人間のお願いである。」(山本七平ライブラリー『私の中の日本軍』P247)→『「百人斬り競争」事件について日本人が知らなければならない「本当」のこと - 渡邉 斉己 アゴラ 2012.02.04 01:08配信』より
 
 この事件は、二十一世紀になってから元毎日新聞の虚報であるとした裁判が行われたが、判事による数々の裁判進行妨害により、原告側の敗訴が急に決まった不自然さがある内容だった。
 
 マスコミを侵している外患という毒は、法曹をも侵している。
 
 https://www.senyu-ren.jp/100/002.HTM
 
 
 
 そろそろ結びに入る。
 
  TVはニュースも含めてその動画の全てが作為的な作り物、いわゆるやらせの塊だ。
 
 ヤラセを前提とした情報リテラシーも持ち合わせないまま、明々白々な違法行為をしたわけでもない人々を、TVが悪しく取り上げる様を信仰して、悪し様な罵り愚痴をネットに吐き出すのはもってのほかだ。
 
 二十一世紀の一般市民が持つべき情報リテラシーが
 
 
 
 第一条 うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい
 
 
 
 だとするならば、次ぎにふさわしいのはこれだ
 
 
 
 第二条 新聞・ラジオ・TVを問わずメディアは、作為を持って報道を「造る」から、ヤラセを前提に評価をされぞかし。
 
 
 
 ただ、作為的に作られている一シーンを取り上げて、その人の人格を否定する行為は、一般人の参加者でも、職業タレントでも、臣籍降下した一般人でも、臣籍降下が予定されている皇族でも、それは等しく違うと思う。
 
 大手メディアを侵す外患は、皇統の継続を厭む。
 
 当然だ、二千六百八十三年の長きにわたって、男系の皇統を紡いできたことが、日本を世界最古の国家たらしめる確たる証拠だからだ。

 これを侵せば王朝がかわり、日本は改めての新参国となる。

 「長幼序有り」の儒学思想にとってこれほど都合のいい形はない。
 
 ニュースは嘘を語り、嘘を隠して国民を欺く情報源。裁判の判決の結果ですら、判事と検事の心情に揺り動かされた妥協の産物。
 
 そしてバラエティなどは、ヤラセにヤラセを重ねた、と形容しても表現が過多ではないほどの作り込みによって捏造された、この世に存在しないストーリーであることを前提にみなければ、
 
 
 
 あなたが非難しているその人は、あなたが「斯く為る行為こそがふさわしい」と唱えている、その行為の体現者かも知れないよ。
 
 そんなこと知らなかったでは許されない、だって人の命に関わる事なんだ、いわれのない誹謗中傷は。
 
 だってTVで放ってた、という言葉は言い訳にできない。
 
 なぜならテレビの動画はニュースを含む全てのカテゴリにおいて、作為と悪意に充ち満ちている事を、ここで十分に語っているのだから。
 
 
 
 否定するなら同じ体験をしてからにされぞかし。

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