日本人の良識派は原爆に恋している

 twitterであげた記事のまとめなんだけど、日本人は概ね、原爆に放射性物質に放射線に、過剰に拒否反応してみせる。

 核戦争が起これば世界中の生命が失われると思っている。

 核戦争で、すべての原爆が爆発したら、多分人類の経済活動は壊滅するだろう。

 でも、生物は滅んだりしないし、わずかばかり残った人類もサバイバル生活を始めるだろう。

 そう、人類だって絶滅しない。

 昭和20年8月の原爆空襲から78年、広島の医師は広島の平均寿命を「全国的に低い傾向にある」、との声明を排泄しているようだが、フツーにクグレば、2021年10月28日に発表されたと思われる数字で女性の平均寿命が87.33歳で、全国の県で10位に着いている。

2023年9月15日の広島県健康福祉局発表では、下記のような情報もある。「百歳以上高齢者の数は、今年度は2,738人となった。 これは、敬老の日が制定された昭和 41年の約171倍、10年前(平成25年)の約1.6倍である。 また、女性は、2,440人で、全体の89.1%を占めている。」

 おいおいちょっと、ちょっと待ってくれよと。原爆が落とされたらこの世は消滅するんじゃないのかよと。

 原爆が落とされたら、死の大地になるんじゃないのかよ、と。



 実はそんなことはない、原爆が落とされても2~3週間程度は放射線が危険なレベルになるかも知れないが、それも直に落ち着く。

 今、広島をピカッてる、なんて世迷い言、狂人のごく一部の人しかいわない。



 ヒロシマ・ナガサキは毎年各種媒体で大仰に騒がれ、崇め奉られるが、同じ昭和20年は3月10日に行われた東京大空襲のことは、ほとんど無視されている。

 東京大空襲忌が3月10日だということを、この駄文で知った向きもいらっしゃるのではないか?

 8月6日が何の日か、8月9日が何の日か知らないと答えると、無教養な非常識人と目を顰められることは有っても、3月10日が何の日か答えられなくても、宜なるかな、とおいておかれるに過ぎない。

 一晩で無辜の東京市民11万人超が死者か行方不明者に変わり果て、それに並ぶ負傷者を出し、老いも稚きも無差別に焼き殺した大殺戮をすっかり忘れ去って平然としている。

 しかも原爆空襲とちがい、たった一機の爆撃機が訪れての行為ではなく、のべ300機以上の爆撃機が、敢えて低空を飛び、丹念に丹念に焼き殺した、組織としての行為である。

 いかな人間の行為といえども、差別心に捕らわれてでも居なければ、容易にはなし得ない虐殺である。

 当代人が良くも忘れ去らしめたものだと、天晴れに思えるほど酷たらしい虐殺だ。

 それでも誰もが3月10日を悼まない。



 恋愛で、愛慕の反対は憎悪ではなく無関心だといわれる。

 日本人の気質で行けば、暦が一環りした60年ほど前のことともなれば「過去のことは水に流して未来を生きよう」と態度を改めるのが美徳である。

 現に東京大空襲はそうやって風化せしめた。

 なのに原爆についてはいつまでも何時までも取り上げる。



 何故か?

 それは日本人の良識派とされる人々こそ、その猛烈な破壊力、破滅力に狂おしいほど恋い焦がれているからだと見れば、至極簡易にその謎は解ける。



 東京大空襲は恋想われるには足らなかった。「B-29を300機以上運用すれば、愚鈍なアメリカ人でも虐殺はできて当然」なのだろう。

 はぁ、とため息しかでないが、たった単騎で訪れて街を一発で焼き払う原爆は、我々がどうやっても手に入れられない。手に入れられないからこそ、狂おしいほどに愛おしい、そういう存在なのだ、と考えれば、同規模且つ首都で行われた虐殺は忘れ去ってもヒロシマ・ナガサキは忘れられないのだ、と説明がつく。



 とうとう気でも狂ったか、と罵られるなら光栄だ。

 科学的にも考えれば、最も単純な公式で解決できる事象は、その世界ではそれが正解なのだから。

 このような考え方が、ひとつのありきたりの考えになるまでには、人は数世紀の年月を必要とする。

 そういう生き物なのだから。



 僕は核武装や原発の積極的活用こそが、この国の未来をよりよいものにさせると考えてる。

 それと同時にヒロシマ・ナガサキ、フクシマの経験から、放射性物質が決して制御できないものではないことも「知っている」。



 だから何度でもいうよ。

 核武装と原発、原子力艦艇の装備という、「核の平和的利用」は本当に核を科学的に理解したときになし得、それによってこの国は三度世界的栄光に輝く、と。

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