僕にとってこの日は、核分裂エネルギーアレルギーの人達に、皮肉を言う日だと思っている。
七十八年前のこの日、朝八時十五分、人工太陽という名の悪魔が広島に降り立ち、広島を呪いの大地に変えた。
瞬時に蒸発したもの、むごい苦しみを数日間、数週間味わって死んでいったもの、幾多の悲惨が、地獄の釜を開けた広島で繰り広げられた。
福島の精製水海洋投棄を誹るなら、原発の稼働を忌避するなら、どうかこの、人類未曾有の惨事に見舞われた広島を、「ヒロシマ」と呼び「ヒロシマはピカッてる」と罵って欲しい。
そうではなく、永遠の平和を訴える静謐な場所を持つ広島として生まれ変わったというなら、原発の稼働を認め、福島の精製水海洋投棄を理性的に見守られたい。
広島は、直接原爆を落とされ、その放射性物質混じりの大気は、火球の上昇にともない、遥か天上へと登り、そして偏西風に寄って日本全土に降り注いだ。
もう、十二年前の福島の事故の後処理を妨げるなら、「ヒロシマ人はピカッてる」くらいの言葉を発しなければ認識としての整合性がとれない。
もちろん僕は、ヒロシマに放射性物質の偏見など持たない。
ていうか生牡蠣をたらふく食いたい。
一度更地になったが上に可能になった、何車線も連なる広大な大通りが、名古屋とは違い地形にそった走り方をしているところや、チンチン電車を眺めてみたい。
広島は工業力のある件であり、景勝地であるとも思う。
それは他の「原発の町」でも同じ事であり、福島だって、同じ事だと思う。
LGBTQがどーのなんて、元のままでいいから、放射性物質の影響は、人の一生ほどの時間でほぼ完全に無視できるほど小さくなることを理性として理解されたい。